7-35 夜を裂く狼煙
日を跨ぎ、深まった夜の森に虫たちの鳴き声が風を伝い響く時間。
にわかに騒がしくなった外の気配に黄泉路は小屋に設置された寝袋の中で目を醒ました。
本来黄泉路は肉体的な疲労は受け付けず、精神的な疲労とて度を越してしまえばリセットが働く便利な体である。極論を言ってしまえば睡眠を必要としないが、それはそれとして能力で無理をしているだけであり、元々の生活通りに行動したい欲求というのは大事な作戦の最中における精神の安定という意味では大いに役に立つ。
交代で見張りをしつつの睡眠のサイクルに入っていた黄泉路であったが、意識が覚醒してすぐに騒ぎの違和感に気づく。
「おはようございます」
「ああ、起きたか」
「電気付けないんですか?」
集会所に持ち込まれた発電機によって黄泉路達が寝泊まりしている小屋を含む設備には電気が通され、戦時中よろしくカバーを付けて外に漏れないように工夫した灯りは室内を照らすには十分な光源であるが、現在は何故か灯りが付いていない事に疑問を呈した黄泉路に、カガリは無言で電気をつけるように首を振る。
この場に居るのはカガリと美花、皆見に操木と、年少組と標を除いた夜鷹の全員が揃っているが、その誰もが電気に触れようとしない事に首を傾げつつ、黄泉路は促されるがままに照明のスイッチ――簡易的な物である為ひも付き電球だ――に手を伸ばす。だが、
「……あれ。つかない」
「これから美花さんに確認に行って貰う所だったんですよ」
一向に明るくならない室内だが、寝起きという事もあって慣れた視界に映った美花が靴を履こうとしている姿を捉え納得する黄泉路が相槌を打とうとした瞬間。
「そうだったんです――ッ!?」
――打ち上げ花火の様な体内を揺らす重低音が響いた。
音源からはそう近くないと瞬時に判断した黄泉路達の足元を、音を追いかけてきた振動が駆け抜ける。
黄泉路が先ほど点灯を試そうとした裸電球がゆらゆらと揺れて、その一瞬の揺れが嘘でない事を主張する室内で、黄泉路、カガリ、美花の3人は瞬時に自らの荷物から仮面を取り出して屋外へと駆け出す。
屋外へと飛び出した黄泉路の目に飛び込んできたのは、方々へと慌ただしく駆け回る三肢鴉の構成員達と、その遠方、木々の合間からでも夜の闇を裂くように飛び込んでくる黒煙だった。
『皆さーん!!! 大変ですよー!!』
「(標ちゃん! 何があったの!?)」
『あ、色々方々から飛んできてますけど全体送信なのでおおよその状況だけお知らせしますね!』
黄泉路の脳内に聞きなれた声が響けば、一瞬どうするか足に迷いが出で立ち止まった黄泉路が我に返る。
『戌成村東部、第2防衛ラインを超えた地点での爆発を確認しました。加えて東部第1防衛ラインにて我々とは異なる所属の集団による攻勢を確認。繰り返します。東部第1防衛ラインにて敵勢力と思しき集団が攻勢を開始しました。本作戦はこれより戦闘態勢に移行します。各支部員は行動を開始してください』
頭に響く標の声が告げる現状は予想通りで、黄泉路達は目線で小さく頷き合っていると、操木を伴って遅れて小屋から出てきた皆見が3人に告げる。
「どうやらひとり、相当突出した能力者がいるみたいです。ですが、他の支部も第1の防衛と避難誘導で手一杯の様子。大変危険な状態ですが……3人とも、行ってくれますか?」
「わかりました」
「了解」
「ん」
本当は向かわせたくない。けれど、他に任せられる人員が居ない。そう告げる様な苦い顔の皆見に黄泉路達は三者三様に応え、美花を先頭に東へと駆け出しながら各々の仮面を取り付ける。
燃える様な紋様の顔の上半分を隠す半円型の面。デフォルメされた猫を模った縁日を思い起こさせるような安物のお面。
そして、白磁のように白く、視線を通す為だけの穴が二つばかり空いているだけの簡素を突き詰めた様な無貌の面をつけた3名が駆ければ、他の支部の構成員達はさっと道を開ける。
元より名の通ったカガリと美花、そしてここ2年の間にそれなりに実績を得てきた黄泉路が向かうとなればそれなりに目立ってしまう。
『ミケちゃんカガリさんよみちんおっまたー! ここからは私がナビゲートしますよぅ!』
「(全体の通信はいいの?)」
『何も三肢鴉の通信網は私ひとりじゃないですからねー。私の所属はあくまで夜鷹なのでぇ、コッチ優先で大丈夫なのです! あ、皆見さんからのナビも私経由で飛ばしますんでー』
「(わかった、よろしく!)」
皆見も操木の築いた木々の防衛陣地に向かいつつ、前線に目を向けて探ってくれているらしく、黄泉路達の脳内には現状を告げる標の声がひっきりなしに響く。
『どうやらウチのメンバー以外の輩同士でも小競り合いが起きてるみたいです。状況を見るに、“孤独同盟”と政府の極秘部隊とかだと思いますねー』
「(それ、大丈夫なの?)」
『第1防衛ラインは混戦状態ですが、そのおかげもあって向こうは敵同士足を引っ張り合ってくれてますから何とかなってるみたいですぅ』
「(なら、僕らの向かう第2の方は――)」
『そっちの方が割と深刻かもです。既に哨戒中だった小里井支部が交戦して足止めしていますが、状況は芳しくないです。よみちん達に遅れて小里井の増援もくる手筈なので――っと、15度くらい右方向ですー』
「(ありがとう!)」
現在最前線となっている第1防衛ラインへ向かう構成員の流れと標の的確な指示のお陰で、予想していたよりも早くに指定されていた地点に辿り着く事が出来た黄泉路達であったが、
「おいおい……何をどうすりゃあこんな事になるんだよ」
戦場というには静かすぎる沈黙の中にカガリの声が溶ける。
目の前に唐突に拓けた光景に声を漏らしたのはカガリのみであったが、声に出さずとも黄泉路や美花も同様の感想を抱いていた。
先の爆発の際に引火したのだろう、燻った匂いが鼻を突く。
それでも炎を示す赤色が見えないのは、夏の水分を多量に含んだ生木に囲まれている事と、三肢鴉の面々による迅速な消化によって早々に鎮火されている為だ。
だが、カガリのいう“こんな事”はそれを指している訳ではない。
――真横から抉り取られた様に幹に大穴の開いた木々。
辛うじて立っているそれはまだマシな方で、自重を保てなくなった事で周囲のものを巻き込んで盛大に倒壊した後だろう巨木の残骸があたりに散らばっていた。
それらが枝葉の天蓋が物理的に取り除かれた事によって差し込んだ月光に照らされ、木々と同様の力によってなされたであろう抉れた地面や、地面から湧きだしたように滲む多量の血痕が悍ましく描き出される光景は、ある種の絵画のようですらあった。
そして、その光景に黄泉路と美花は覚えがある。
「これは――」
「あの時と同じ」
2年前、黄泉路の転機とも言える孤児院を隠れ蓑とした政府の地下極秘研究施設に潜入した際に、黄泉路達はこの光景を見ていた。
抉りとられた様に消失した壁、ねじり切られたように飛び散った四肢。――誰一人として敵生存者の居ない、完膚なきまでの襲撃の痕を。
警戒をあらわにする3人の前に、木々の奥よりそれは現れた。
「ほう。増援が早いではないか。だが勤勉とて悪は悪、雑兵が増えようと同じことよ」
月光を受けて大仰に髪をかき上げるその色は銀。
左右で色の違った瞳が黄泉路達を見据え、仮面越しに刺さる視線と交錯する。
仮面など必要ないとばかりに外気に晒された少女の顔を見た瞬間、黄泉路はひゅっと息を呑んだ。
「こっちだ!!!」
「なん、っだこれ……!?」
「良いから夜鷹の援護だ! 包囲網急げ!」
遅れて駆けつけてきた他支部の構成員が展開する中、少女がさっと手を振り上げる姿だけが黄泉路の視界に焼き付いた。
極端に音が遠くなったような感覚と、少女が手を振り下ろす仕草がやけに緩慢に見えてしまう錯覚。
ただ一つはっきりしているのはこの惨状を引き起こしたのは目の前の“能力者”で間違いない。
――ならばあの手が振り下ろされてしまえば。
混線する思考に硬直する身体を抱え、黄泉路は喉に詰まった音を少女へと向ける。
「――黒帝院刹那!」
包囲網を形成しようとする周囲の喧騒を裂いて風に伝う黄泉路の声が少女の耳に届けば、いざ振り下ろさんとしていた手がぴくりと止まる。
「ほう。我が真名を知るか。……貴様、何者だ?」
赤と金の瞳が無貌の仮面を射抜く。その視線は黄泉路の知る色を宿していなくとも、真正面から受け止めた黄泉路は緩やかに仮面に手を当てた。
「お、おい!」
「「黄泉路!?」」
敵を目の前にして自ら仮面を取ろうとする黄泉路にぎょっとしたカガリの声を遮り、仮面から顔が半分ほど覗いた瞬間、少女――刹那と美花の声がシンクロする。
驚きをあらわにした刹那が回復するよりも早く、黄泉路は畳みかけるように口を開く。
「……僕が分かるか?」
普段の黄泉路であれば、このような勿体ぶった言い回しはしない。
だが、刹那にとってはそれが最善手であると踏んだ黄泉路の思惑は正しく機能する。
「貴、様――」
「ここじゃお互い都合が悪いだろ? 場所を変えよう」
刹那の注意が周囲を囲い込もうとする小里井支部の構成員達から自身ひとりへと集約されるのを体感しつつ、黄泉路が再び仮面を被りなおして一歩前へと出る。
「……良かろう。乗ってやろうではないか」
刹那が歩み寄ってきた黄泉路に対して手を翳す。
攻撃の予兆かと身構える美花とカガリを黄泉路が手で制するのと、刹那の口から詩が流れるのは同時であった。
「我が姿は虚、此処に在り、其処に無い。求め応じ、我が姿寄る辺を問わず汝が為に現れよう。――《幻を渡る魔性の虚像》」
詩の余韻と同化する様に刹那の姿が、そして、黄泉路の姿までもが薄らいでゆく。
景色を水彩画に見立て、絵の具が乾ききる前に水で滲ませたように霞んでゆく両者の姿は、能力という非日常と常に歩んできた三肢鴉の面々にしてもあまりに非現実的すぎた。
「戦線の方を頼みます」
一瞬の意識の空白を埋めるように発された黄泉路の声。
我に返った美花が慌てて手を伸ばそうとするが――
「黄泉――」
その手が黄泉路の服の袖をつかむよりも先に、黄泉路の姿が風景に溶けて消え、対面に立っていたはずの刹那の姿すら、その場には残されていなかった。
「黄泉路、黄泉路!?」
「くそっ、アイツ何処へ――」
初めに復帰した美花の後に続くように続々と我に返り、周囲を索敵し始めたカガリ達であったが、両者の姿を見つける事は出来ない。
「(おいオペ子! 黄泉路は!?)」
『近くにいるのは分かるんですけど、さっきの子がなんかしてるみたいですっごく曖昧で分からないんですよぅ!!! 皆見さんも第1の方の防衛指示に手一杯ですしぃ!!!!』
「クソッ!」
悪態をついたカガリが残骸と化した木片を蹴り飛ばそうと足を上げ――
「ッ」
咄嗟に地についていた片足で後ろへと飛び退いた瞬間、直前までカガリの居た場所に飛び込んできた影が拳を振り抜いた。
風を切って現れた人影の拳が倒木に突き刺さり、パァンッ、と倒木が爆ぜる小気味いい音が響く。
「っ可笑しいなぁー。殺ったと思ったんだけど」
カラカラと軽快に笑う青年が拳を引き抜けば、ぱらぱらと木片が地面に落ちる。
「まぁいいや。っつーかあんた、すっげーな。奇襲完璧だったと思ったんだけど」
「お前、何者だ」
後ろ髪だけを長く伸ばした一つに括られた金髪の青年がパンパンと手を叩いて楽し気に笑う姿はこの場においては不気味そのもの。距離を開けて睨むカガリの問いに、応えるつもりなのか金髪の青年が口を開きかけ――
「もう、置いてかないでよ裕理ー!」
更に後方から現れた青年によって遮られてしまう。
だが、裕理と呼ばれた金髪の青年は気分を害するどころか楽し気な雰囲気のまま、目の前のカガリなど忘れてしまったかのように後方から現れた外向きに跳ねた茶髪の青年へと応じる。
「いいだろー悠斗ー。急がないと祭りに乗り遅れるじゃん?」
「だからって最短距離でここまで突っ切る事無いじゃん。もうー、周り見なよ。敵陣ど真ん中じゃんどうすんのさー」
「あっはははっ、悪ぃ悪ぃ」
「悪いと思ってるならもっと顔引き締めてよね」
「へーいへい」
柔和な顔立ちの青年、悠斗に窘められた裕理がガシガシと乱雑に頭を掻く。
裕理は一見隙だらけで何処からでも狙えそうですらある。だが、その隙を埋めるように佇む悠斗に小里井支部の面々を始め、カガリと美花すらも攻勢を躊躇う中、
「それじゃ、俺達と遊ぼうぜ!」
あまりにも無邪気な宣戦布告と共に、拳を握りしめた裕理が再びカガリへと殴り掛かった。