7-34 御心紗希の研究成果
束の間の観光を終えた黄泉路がカガリと合流して村へと戻れば、集会所の中は出立前の忙しなさに輪をかけた様な状態になっていた。
「おかえりなさい。息抜きは出来ましたか?」
「ええ、おかげさまで。これ、お土産なんですけど……ちょっと足りなかったかもしれないですね」
出迎えてくれた掛園に土産を渡せば、忙しなさから強張っていた表情が僅かに緩む。
「いいんですよ、そういうのは気持ちだけで。第一ここにいる全員に配ろうとしたらそれだけで大した数になりますから、迎坂君が買ってたらかえって不審でしょう」
「ですよね……。お土産、ここに置いておくので、手が空いてる人に渡してください」
「ええ。お気遣い感謝します」
黄泉路は実年齢はどうあれ、外見はどう見ても成人しているようには見えない。そんな少年が何十人へと配る様に土産を買って居れば嫌でも目に付くだろうと指摘する掛園に、黄泉路も同意しつつ苦笑を浮かべる。
判り易く邪魔にならない場所に土産を残した黄泉路が集会所を後にすると、出る前までとは村の光景が一変している事にすぐに気づいた。
まず最も目に付いたのは、枝葉を屋根の上へと被せて周囲の木々に擬態するように作られたいくつものプレハブ小屋だ。
出入りしているのはいずれも三肢鴉の構成員であり、それらが三肢鴉の構成員たちが寝泊まりする施設である事は黄泉路も事前に伝えられてはいた。
だが、実際に目にしてみると黄泉路は自身の想定していたものがまだ甘いものだったと思い知る。
「すげぇ賑わいだなぁ」
「……想像してた以上でした」
考えてみれば当然のことで、戌成村の元々の人口が30人前後である事に対し、今回の作戦に投入されている三肢鴉の構成員は優に倍以上を誇る。
村のキャパシティなど軽く超える事は想定されていた事であり、仮の居住区を新設する必要があるのは理解しているつもりであったが、さすがにここまでとは想像すらできなかったのだ。
「なんというか、凄い……」
「お祭りみたいだよなぁ」
これで屋台でも出ていれば、などと思っていた黄泉路はシンクロする様なカガリの言葉にくすりと笑みを零す。
真新しい煙草を咥えて黄泉路の隣を歩くカガリの手には半透明なビニールの買い物袋が提げられており、軽食らしい惣菜パンやらが雑多に詰め込まれているのが袋越しからも見て取れる。
「そういえば、その袋は?」
「どうせ夜も詰めるだろ? だったら何かつまめる物があった方がいいだろ?」
黄泉路の手にも先ほど集会所に置いてこなかった小さめの土産品があることから、護衛として待機している夜鷹組の面々への差し入れが被ってしまったらしい。
「ならこっちは今からでも間食に回した方が良さそうですね」
増えた建造物によって多少道が変化しているが、元々村の中でも異質な建物であった診療所の外観だけは遠目からでもよくわかる為、黄泉路達の足取りに迷いはない。
道すがら、他支部の構成員に挨拶されるカガリを見て、黄泉路はその顔の広さに改めて感心していると目的地の屋根が見えはじめた。
診療所の入り口に見慣れた姿を見つけた黄泉路は荷物を持っていない方の手を挙げて声をかける。
「ふたりとも、おかえり」
「美花さん! こっちに来たんですか?」
「丁度入れ違いだったみたい」
片手を挙げて応える美花の格好は相変わらずで、山中だという事を忘れそうになる軽装ぶりであった。
自らの咥えている煙草へと向けられる相も変わらずの眠たそうな眼差しから逃れる様に、カガリが一足先に横をすり抜けて診療所の中へと入って行ってしまえば、残された黄泉路は仕方なしとばかりに肩を竦める。
美花とて別段、喫煙自体に目くじらを立てている訳ではない。
カガリに厳しい目を向けるのは、ひとえに互いの付き合いの長さに起因するものである事を知る黄泉路としては、この問題に対して何かを言うつもりはないのであった。
「そういえば、紗希が呼んでたから、手が空いたら研究室にって」
「御心先生が? なんだろう」
「私は皆見に合流するから」
皆見――本来の夜鷹支部長、南条果もこちらに来ている事を告げた美花が診療所を離れて行く。
その背には少しばかりの疲れが見て取れた気がして、思わず首を傾げた黄泉路であったが、診療所内へと足を踏み入れればその疑問はすぐに氷解……というよりは、正解を思い出す事となった。
「病院で煙草なんてするもんじゃないよ!」
「はい、はい、すんません今片づけるんで!!」
「片づける片づけないの問題じゃにゃあ! ちいさい子も居るんにいつもそうなのけ!?」
「(ああ……美花さん、人見知りだもんなぁ……)」
扉を開けた途端に耳に入ってくる混沌とした風情に、黄泉路は嵐に巻き込まれぬように足を潜め、カガリと村のお婆さん集団がぎゃあぎゃあと騒ぐ横を通り過ぎる。
ひとまず集団にこれ以上の燃料の投下をせずに済んだことを幸いと思えばいいのか、それとも土産を渡しそびれて診察室の方まで来てしまった事を後悔すればいいのか、どうしたものかと微妙な気疲れと共に黄泉路が診察室の扉を開ければ、
「兄さん。お帰りなさい、紗希先生が呼んでましたーっていうのは、もう聞きました?」
「うん。ただいま。美花さんが玄関に居たから。まぁ、あの状況じゃ中に居づらいよね」
普段は紗希が腰かけているものなのだろう、システムデスクに備え付けられた椅子に腰かけた廻が椅子の軸を回して黄泉路へと向き直る。
「あははー。そうですね。っと、兄さんが先生の近くにいるなら、僕は姫姉さんを回収してきます。あっちに呑まれたままなので。そのお土産は貰っていいですか?」
「うん、皆で食べて良いよ」
席から立ちあがった廻が土産を受け取り、未だ扉越しに騒がしさを伝える待合室の方へと歩いて行く。
廻が出て行った後、完全に扉が閉まったのを背後に感じながら黄泉路は紗希がいるであろう地下研究施設へと向かう。
螺旋階段を下った先は短い直線の通路が広がっており、白い蛍光灯に照らされた道は人がひとりすれ違うのもやっとという程の狭さであった。
護衛依頼が始まった翌日に一度訪れている黄泉路は道が一本しかないという事もあって迷いない足取りで通路の突き当りの扉を叩く。
「御心先生、黄泉路です」
「ああ、空いてるからどーぞーぉ」
許可が下りた事で扉を開けた黄泉路の眼に飛び込んできたのは、いくつもの戸棚と本棚、それから、黄泉路の眼からはどういったものかの辺りを付ける事も出来ない精密機器らしきものの群れだ。
数多の機材に囲まれた室内はそれなりに広いのだが、元々紗希ひとりが活動する事を目的に作られている事もあってひとり分の動線しか存在しない為手狭に見えてしまう。
そんな室内の最奥、書き物をする為に存在しているらしい机から黄泉路を呼ぶ紗希の方へと歩いて行けば、整然と整理された机の上に不釣り合いな物が置かれている事に気づく。
「それで、御心先生。用件というのは?」
「ああ。最終確認にと思ってね。私が知る中で、恐らくは君が一番の適任だ」
「何の話ですか?」
「その様子だと……いや、今はそれほど重要じゃないね。結果、君がここに居るという事こそを重視すべきだ。時間も惜しいしね」
真剣な、端々に垣間見える研究者然とした意志の宿った眼差しに、黄泉路はそれ以上の質問を投げかけられなかった。
机に置かれたジュラルミン製のケースを開けるように促す紗希に従い、黄泉路はケースに手をかける。
「これはね。私の集大成ともいえる“成果”だよ」
「……これが、ですか?」
「手に取って観察してくれても構わないよ」
ケースに収められていたのは1対の腕輪。
装飾もない簡素な金属製のそれは一見なんの機械とも呼べそうにない代物、そのはずだった。
「ただの腕輪ですよね。金属製の――あれ、でも、何か……」
「……」
どこからどう見てもただの金属製の腕輪のはずだ。しかし、黄泉路は手に乗ったソレに違和感を覚えた。
金属特有のひやりとした感触は確かにある。だが、金属というだけでは説明仕切れない、芯にまで届くような、空恐ろしさにも似た寒気が這い上がってくるような錯覚に、黄泉路は小さく息を呑む。
まるで黄泉路の内側にまで沈み込むかのような、既視感はあれどそれが何なのか思い出せない程に極小の異物感。
それが絶えず手を通して黄泉路の感覚に突き刺さり続けているのは明らかな異常と言えた。
これ以上手に取っていると危険だという意識を抱かない事だけが不思議で、それが強制されたものや誘導されたものでないという認識もしっかりしている。
「……何、だろう、ここにあるのに、本質はここじゃない。……金属製の腕輪ですよね? これ」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるね」
「何なんですか、これは……」
表面はつるりとしており、触り心地としてはよく研磨されているという程度の印象しかないにも関わらず、一度気づいてしまえばその存在は異質そのものだった。
答えを求めて黄泉路が顔を向けると、紗希は嬉しそうに口の端を吊り上げながら快く答えた。
「それはね、世界の本質とも呼べるモノで構成された輪さ」
「ほん、しつ?」
「そうとも。能力者がどうして物理法則を超える現象を起こせるか不思議じゃなかったかい?」
そう言われ、ぱっと頭に浮かぶのはつい先ほどまで自身と買い物に出ていたカガリの事だ。
カガリは炎使いだ。炎を発生させ、その出力や指向性を持って操る能力者で、その発生は必ず自身の身体のどこかから行われている。
では、銃弾をも融かすほどの炎を自身の身体から発生させる程、カガリの身体は耐火性・耐熱性に優れているのかと言われれば黄泉路は否だと考えている。
それならばこの夏場の熱気程度に顔をしかめる必要も、風呂程度の水で気持ちよさげにする事もないのだから。
ほかにも、カガリ以外にも能力の系統に合致していても日常生活に依存する様な態度・仕草を持つ能力者が多く、それらを直視すれば、確かに疑問を抱く。
「能力者の間ではそれは“能力によって保障されている”とか“能力を使っている時だけスイッチが入る”というけれど、それは結果であって原因ではない。つまるところ、本質はそこではない」
「先ほども本質、と言っていましたけど」
「そう、本質だ。この世界は“勘違いの上に成り立っている”」
断言した紗希は腕輪のひとつを黄泉路に求め、黄泉路は紗希の態度に圧倒されるままに右手に持っていた腕輪を手渡す。
すると、紗希の手元に渡った腕輪が途端にその光沢を変え、鈍い鉄色の簡素な外観だったそれが、エメラルドグリーンに輝く結晶の様な透き通る物質に変質してしまう。
「――!?」
「先ほど君はこれを“金属製の腕輪”だと言ったね。そして私はそれを“そうとも言えるし、そうでないとも言える”と答えた。その意味がこれだ」
「外見偽装……いや、材質変換? 紗希先生、能力者だったんですか!?」
「違うよ。私はただの非能力者だ。ただ、この現象を起こしたという意味では、私は能力者と呼ばれても不思議じゃあないがね」
くるくると指で腕輪を回す紗希は悪戯が成功したとでも言うように笑う。
その調子があまりにも先ほどまでの雰囲気と異なって――否、普段通りの紗希に戻ったように感じられたために、黄泉路は一瞬空気が抜けた様な脱力感に見舞われてしまう。
「結局、どういう事なんですか」
「そうだねぇ、ひとまずさっき言ってた本質とかの話は置いておくとして、この輪についての結論から言おう」
紗希は手に回していた腕輪を指と指の間でキャッチすると、再び鈍色に戻って行くそれをケースの中へと戻しながら静かに告げる。
「この輪こそ、能力者と呼ばれる存在を人工的に発現させる為の装置だよーぉ」
「!?」
黄泉路は思わず、手に持っていたそれを取り落としそうになる。本部での会合で聞いてはいたが、まさか実物をそれほど簡単に手渡しているとは思わずに焦ってしまった結果であった。
慌てて両手で抱えた姿が面白かったのか、咎める様子も無く紗希はちょいちょいと指で招くようにケースの中へと収めるように示す。
「正確には、輪を通すことで能力者と呼ばれる存在と近しい認識を発現させる装置、だけどねーぇ」
「どうして僕にこの話を?」
再びケースの中へと納まった腕輪を確認した紗希が蓋を閉じると、ぱちりという音と共に施錠される。
それを確認した紗希はケースに手を置いて中の腕輪を撫でる様な仕草で黄泉路の質問に答える。
「言っただろーぅ? 君が適任だと。まぁ、その辺りの話はややこしい事情もあるから今は置いておくとしてーぇ、代替としてそれでも納得できるだけの理由を提示するなら、完成品の報告と、優先保護の要請といった所だねぇ。保護対象が重要な物を持っている事を知っているのとそうでないのでは、護衛の難易度は変わるだろーぅ?」
「それはそうですが……分かりました。掛園さんにも伝えておきます」
「ああ、私が君に伝えたのは、あくまで最終的な確認の為だ。本来ならそちらのまとめ役に報告するのが正しいしねーぇ。護衛対象は私と、これ。最終的にはこの施設にあるものは放棄してしまってもまぁ構わない。論文はバックアップもあることだからね。ただ現物はこれしかないから、今回の作戦は実質これを守ってもらう為とも言えるわけだ」
「わかりました。それだけ重要な物ですからね。しっかり守ります」
「私だって別にこれを作る為に研究してたわけじゃあ、ないんだよーぉ? 偶然の産物というやつさーぁ。偶然こんなものが生まれなければ、私だってこの村に迷惑をかけなくて済んだんだからねーぇ」
「あ……」
珍しく憂い顔となった紗希の言葉に、黄泉路は小さく息を呑む。
わかってはいたのだ。この先、ここが戦場になるかもしれないという危険性を。村人たちもそれを了承したうえで警備をしていたのを。
黄泉路達がやってきた時に行っていた警戒も、全ては紗希を守る為。その紗希自身が村人を大切に思っている事を理解したうえで、この場を戦場にしてしまう様なものを完成させてしまった紗希の気持ちを考えてしまった黄泉路はぎゅっと拳を握った。
「大丈夫ですよ。村の人たちも、しっかり避難させて見せます」
「……頼んだよ」
気を張っていたのだろう。肩ひじを張らないへにゃりとした笑みを浮かべた紗希が静かに息を吐き、この後も後片付けがあるのだという紗希を残して黄泉路は来た道を引き返す。
待合室まで戻った黄泉路を出迎えた村のおばあちゃん衆への挨拶もそこそこに、集会所へと引き返した黄泉路は先ほどの事を今回の現場指揮を執っている掛園へと伝える。
「……そう、思った以上に大事ですね……。わかりました、村人については私たちが優先的に避難させます。そちらは護衛対象と重要物資に注力してください」
「わかりました」
「それから、このことは内密に、共有するのは夜鷹だけでお願いします」
「……了解」
「私からは以上です。既に福好支部の方が村周辺の警護に当たっていますので、夜鷹の方々は引き続き待機をお願いします」
報告を終え、黄泉路は待機指示に従って宛がわれたプレハブ小屋へと向かう。
集会所に程近い場所を宛がわれていた事もあり、中にある人の気配を確認して入れば、既に此方に到着していたらしい皆見、操木、それからカガリと美花も含めた年少組を除く全員が揃っていた。
これ幸いとばかりに先ほどのやりとりを共有した黄泉路は移送計画も大詰めに入った事を認識しつつ、詳細の打ち合わせを行う。
その夜、微睡む意識を引き裂くような爆音があたりに響いた。




