7-32 戌成村4
御心紗希の護衛が始まってから早4日。
宴会の翌日から交代で診療所に寝泊まりしていた夜鷹一行は今日も今日とて診療所の待合室で老人たちの相手をしていた。
というのも戌成村は基本的に自給自足の集落であり、農家という物は早朝、陽が登り切る前に仕事をはじめて暑くなる頃には既に休憩に入っているというのが鉄則である。
加えて老人ばかりという事もあってこの村の活動時間は一般的な集団に比べて早い。
余った日中の余暇を潰そうにも、この村で唯一電気が通っているのは発電機を備えた診療所だけである。電気があった所でその用途は電灯や機材の稼働のためのものであり、当然電波も届かないのでテレビも無い。
そういった事情もあって村人達に出来る事と言えば、用事があろうがなかろうが誰かの所へとお邪魔して話し込むくらいだった。
しかし、ここ数日に限っては外からやってきた客人という格好の話題の種もあって、診療所へとやって来ては護衛として詰めている黄泉路達を巻き込んで他愛ない話をしこたま喋りつくして夕暮れ前に帰って行くというサイクルを送る老人たちで溢れていた。
無論、律儀に話に付き合ってしまう黄泉路にも責任の一端がないとはいえない。
共に詰めている姫更にしろ廻にしろ、黄泉路ほどではないにしろ無難に受け答えしているだけであるが、老人たちにとってはその年頃の子供との交流など滅多にあったものではない為、ここぞとばかりに甘やかしつくすというある種混沌とした様相を呈していた。
とはいえ、そればかりというわけにも行かない。先んじて住民と接触し、御心紗希に最も近い距離で警護する事となった夜鷹一行以外にもこの作戦に関わる三肢鴉のメンバーは数多く居る。
そうした別支部の仲間との連携の打ち合わせもせねばならないのだが……
「ほら黄泉路ちゃん、お煎餅食べな」
「そうそう、そんなに細いんじゃちゃんと食べてないんじゃないかい?」
「あはは……すみません、頂きます」
住民たちも三肢鴉の今回の作戦は聞き知っている物の、目の前の少年少女を構い倒す事とは別と考えているらしかった。
さてどう抜け出そうかと少しばかり頭を捻りながら煎餅を入れてもらった麦茶と共に食べていると、診療所の戸がひとりでに開く。
「周辺はどうですか。葉隠さん」
「異常しかない、です。ええ。元々この森は此方の住民の手が入っている様子で、私も危うく迷子になりかけました」
「あはは……それはご愁傷様です」
黄泉路が再び閉まる硝子戸へと顔を向けながら語り掛ければ、20代中ほどといった具合の女性の声音と共にゆらりと景色が歪み、ジャージ姿の女性が姿を現して答える。
ボーイッシュな雰囲気の黒い短髪の女性の表情は言葉の通り困った様子で、それを受けた黄泉路は苦笑を浮かべて新たに淹れてもらった麦茶を差し出す。
受け取った女性――葉隠は【光源変換】の能力を持ち、自らの周囲の景色を歪める事で極めて高度な光学迷彩効果を発揮する三肢鴉の能力者だ。
夜鷹支部の様な荒事も担当する支部と比べ、葉隠の支部はその性質を隠密と諜報に特化させている為、黄泉路も時折お世話になる事からこうしたやり取りをする程度の仲になっていた。
「……そちらも、お変わりないようで」
診療所の中を見回してそう零す葉隠であったが、すぐ傍に忍び寄っていた魔の手には気づくことが出来なかった。
「おやまぁ。めんこい子だねぇ。いつ来たっけ?」
「え、あの。私――」
「いいからいいから。外暑かったでしょう。休んでいき」
新たな獲物を見つけたおばあちゃん集団によって瞬く間に冷房の効いた席に落ち着けられてしまい、困惑する葉隠がこれだけはと黄泉路に声をかける。
「迎坂さん。先ほど掛園さんが到着しました。集会所に顔を出す様にとのことです」
「わかりました。……そう言う訳なので、すみません、僕ちょっと出てきますね」
未だ黄泉路を囲んだままあれこれと盛り上がる住民に断りを入れ、黄泉路は席を立って診療所を後にする。
今ならばあの場には廻も姫更もおり、なんなら葉隠もあの様子ならば戻ってくるまでは待っていてくれるだろうと踏んでの事だ。
黄泉路が集会所へと向かうと、数日前に黄泉路達の手によって運び込まれた設備の中で自らの部下に指示を出す掛園紫の姿があった。
「こんにちは、掛園支部長」
「迎坂君、こんにちは。本部で会って以来ね」
互いに歩み寄って挨拶を交わし、黄泉路は以前にもまして増えた設備に目を向けながら要件を問う。
「葉隠さんから用があると聞いてきたんですが」
「用、という程のものでもないのだけど、今日からは私達の支部が周辺警護をするので、引継ぎの挨拶と、その間休憩するように伝えようと思ってたのよ」
「ああ、なるほど。こちらはまだ忙しそうですが、大丈夫ですか?」
「問題ないわ。そう言う訳だから、そちらの人員にもそう伝えて頂けますか?」
「わかりました。それでは失礼します」
大丈夫だとは言うものの、忙しなく動いている中でひとり休憩を取るのも気が引けるという理由で集会所を後にした黄泉路は標に連絡を取り、現在此方に来ている夜鷹の面々に対して中継を頼む。
『はいはーい。これで回線繋がったはずですけど、どうでしょー?』
『問題ねーぜ。んで、どうしたんだ?』
「(先ほど掛園支部が到着して、僕らの支部と交代で警護に入るそうなので、僕たちは暫く休憩になります)」
『到着しましたか。私はまだ調整がありますのでお気になさらず』
『俺は町に降りてタバコ買いてぇな。タバコが切れちまってて』
「(姫ちゃん、タバコ持ってこれない?)」
『離れられないし、私の倉庫、煙草なんて置いてないから』
『僕も、無理を言って参加した手前ここを離れるわけにも行きませんから、兄さんはカガリさんと一緒に少し歩いて来たらどうでしょう?』
診療所で困っていたのを見られていたらしく、戻ってくる必要はないと言外に配慮する廻に黄泉路は苦笑する。
特段欲しいものは無いが、提案を無下にするわけにも行かず、黄泉路はカガリについていく事に決めた。
「(わかりました。それじゃあ、僕もカガリさんと一緒に散歩してきますね)」
『行ってらっしゃい』
集会所の外で待っていれば、程なくしてやってきたカガリが最後になるらしい煙草に火を灯しつつ手を挙げる。
「よ。おつかれさん」
「はい。それで、町までどう行くんですか? さすがにここから歩いてっていうのは時間がかかり過ぎますよね」
「そこはほら。紫さんに頼ればどうとでもなるさ」
首を傾げる黄泉路に対し、ただついて来いと示すカガリの後を追って、先ほど出て来たばかりの集会所へと再び入ると、相変わらずの忙しなさに黄泉路は少しばかり気後れしてしまう。
ただ、前を歩くカガリの足取りは変わらないので黄泉路も仕方なしに後を追えば、ふたりの姿に掛園が気づき視線を向けてくる。
「紫さん、ちょっと道作ってくれるか? 煙草が切れてるんで散歩がてら町に降りようかと思うんだが」
「そうですか。迎坂君も?」
「ここに居てもやれる事も限られてますし、どうせなら散歩でもと」
「わかりました。距離と方角は……この程度でしょうか。はい、行ってらっしゃい。帰りはオペレーターに連絡してもらってくださいね」
にこりと、手を振って送り出す掛園に、黄泉路はますます困惑する。
挨拶するだけならば先ほどしたはずだが、外出の報告が目的だったのだろうかと首を傾げてしまう。
「? はい、行ってきます」
「ほら行くぞ黄泉路」
「え、え?」
そんな黄泉路の腕を引いたカガリが踵を返すのにつられ、引っ張られるように歩きだした黄泉路が変化に気づいたのは3歩ほど歩いた後だ。
「え、あれ、ええ!?」
「ははは、驚いたか」
「え、町? これってどういう……?」
「これが紫さんの能力だ」
「掛園支部長って転移系の能力者だったんですか?」
目の前に広がるのは、黄泉路達が村に向かう直前に訪れた麓の町。人気のない路地裏にぽつんと投げ出されるように立っている自身に、黄泉路はきょろきょろと周囲を見回していれば、カガリは紫煙を吐き出しながらからからと笑う。
「まぁ似た様なもんだな。姫の【座標交換】がA地点とB地点を“入れ替える”能力なら、紫さんの【距離変換】はA地点とB地点“までの距離を変える”能力だ。要は、あの集会所からここまでの距離を3歩に縮めたって事だな」
地面を踏む感触は変わらず、空気が流れる様に自然に、本来ならば数時間かかる道のりを踏破してしまった事に黄泉路は改めて驚愕するとともに、確かにその能力ならば物流を担当する支部の長に相応しいとも納得する。
「んじゃ、こっからは別行動だな。集合はまたここで。連絡は電話なり念話なりで取るって事で」
「え、あのカガリさん?」
「俺は煙草買ったら適当にツマミでも探してるからよ。散歩なんだろ? だったら俺について回らなくても、黄泉路も好きなようにすればいい」
またなー、と。気軽な足取りで離れていってしまうカガリに置いて行かれてしまえば、黄泉路はひとり路地裏でぽつんと佇んだまま。
「……どうしよう」
元々明確な目的などなく、カガリについてきたのも廻の配慮を無下にしたくないが故の事。それがひとり放り出されてしまえば途端にやることが浮かばなくなってしまい、黄泉路は天に登った夏の日差しを見上げて目を細める。
悩む事数秒。現在進行形で燦々と降り注ぐ熱線から逃れる様に建物の影へと歩きだす。
何はともあれ、散歩という名目で出て来たならばとりあえず歩けば目的は果たした事になるだろうと、半ば投げやりな理屈で散策を始めた黄泉路は路地裏から表通りへと出る。
途端に鼻を突くのは人里特有の雑多な臭いだ。ここ数日がずっと森に寄り添う様な集落での生活であった為、慣れていたはずの町特有の排ガスと街路樹、土と湿気、焼けたコンクリートと生活臭が入り混じったような匂いに喉を詰まらせる。
身体機能としてそれらが害であるという事は無いが、それはそれとして気分的に良いものではない。
「(それでも、都会に比べたらマシなんだろうなぁ……)」
思えば遠くに来たものだと、自らが都会出身だったことをつい先ほどまで棚に上げていた事を思い出して頭を振った黄泉路は改めて空気を思い切り吸い込んで吐く。
路地裏までの周辺の立地を頭に叩き込み終えればあとは自由行動だ。何処へ向かおうかと考えれば、依頼とは関係ない素の黄泉路としての思考が少しばかり興が乗ったとばかりに気分を弾ませる。
「(あ、なんか観光みたいで楽しいかも)」
思ったよりも良い気分転換になるかもしれない。そう思いつつ、足取りは気分と同期するような軽さで黄泉路は歩きだした。




