7-29 戌成村
黄泉路達が本拠地“鴉の塒島”から帰還して数日。
会合の成り行きを黄泉路と補足として同伴した美花から受けた果は悩ましいといった表情を隠しもせずに聞き終えると、すぐさま支部に居る全員を呼び出して日程の調整を始める事となった。
というのも、今回の期日までの護衛の開始日時は早ければ早い方が良い。既に政府に動きが漏れつつある現状ではいつ御心紗希の身柄に危険が及ぶともわからないからだ。
そうして作戦に志願した廻、姫更、その保護者としての黄泉路は丁度別件から帰ってきたばかりのカガリと共に慌ただしくも出立する事が決定したのが昨日。
姫更という転移能力者がいる為、移動はどこの支部よりも早い。加えて荷物もいざとなれば転送出来る為、他の支部とも連絡して先遣隊として御心紗希が身を潜める戌成村へと向かうことになった黄泉路達が準備を終えて玄関口へと立っていると、珍しく作業着姿ではない操木――楠誠が姿を現した。
「あれ、誠さん。珍しいですね。お出かけですか?」
ラフなシャツとパンツ姿の誠へと黄泉路が声を掛ければ、誠は一瞬きょとんとした顔をしたと思うとすぐにその表情を和らげ、
「ああ、黄泉路君は丁度席を外していましたね。今回は私も同行するんですよ」
などと緩やかに微笑めば、黄泉路はその内容を一瞬受け止めかね、思考が追い付くにつれて困惑が顔に出てしまう。
「え、誠さん、いいんですか?」
黄泉路の言う良いのか、というのは、誠の特殊な立ち位置にある。
楠誠という青年は、黄泉路が夜鷹支部に身を寄せるようになった当初から肉体の動かし方を師事してきた腕利きである事もそうだが、その本質は教官というよりは守護者と呼ぶ方が正しい。
植物使いの能力を持つ彼にとって山中の旅館という立地はこの上ない防衛陣地であり、三肢鴉の支部としてもそれなりの役割を持つこの旅館、ひいてはその女主人である南条果を守るという業務に携わっている。
それ故に、守護者である誠がこの場を離れるのは大丈夫なのか、そう込めた問いを向けた黄泉路に誠は小さく首肯する。
「ええ。今回の作戦は全体で行う大事ですからね。移送日当日にはお嬢様も現地入りしますし、その前にお嬢様方の陣地を作らねばなりませんから」
黄泉路君を助けた時の作戦の際にも、こうして先んじて現地入りして陣地を構築していたんですよ。
そう和やかに告げる誠に、そういえばと黄泉路は思い出す。
あの思い出すのも忌まわしい、政府の能力解剖研究所から逃れる際には標の念話によるナビゲートもそうだが、途中、標が誰かと会話をしていたなと。
恐らくあの時、研究所外の森の中に果と標も居たのだろう。そしてそれを守護する誠も。
その光景が想像できた辺りで、話を切り上げる様にカガリが姫更に声をかける。
「んじゃ、行くとするか。姫、頼むわ」
「ん」
差し出された姫更の手に全員が手を重ねると、ふわりと重力が失われる様な感覚が一瞬。その後に、気づけば旅館の前、駐車場が見えていたはずの景色が一変し、いつぞや見覚えのある風景へと切り替わる。
「あ、ここって」
「何だ黄泉路、来たことあったのか?」
「私用で一度だけ」
藍色とグレーのパネルカーペットと簡素なベッドが据え付けられた仮眠室。
かつて黄泉路が廻と会う為に中継地点として訪れた三肢鴉が保有するオフィスビルを見回し、2年も昔である事もあって多少の変化を認められた事にほんの少し、時間の流れの速さを感じる。
「そっかそっか。じゃあまぁ、車借りてくっから表で待ってな」
感傷を知ってか知らずか。カガリがそう声をかけて黄泉路の肩をぽんぽんと叩いて仮眠室から出て行けば、それに連なって誠が、姫更が後をついて行く。
「兄さん。行きましょうか」
「うん。そうだね」
一度此方を振り返って声を掛けてきた廻に頷き、黄泉路もまた、部屋を後にした。
全員がビルを出てすぐの表向きの会社が所有している駐車場で待っていると、すぐに後からやってきたカガリが手の中の鍵を見せて用意されていた車へと促す。
「こっから暫くは車だ。寝たかったら寝てても良いからな」
助手席に誠、後部席に中心の黄泉路を挟む様に姫更と廻が座ると、カガリがバックミラー越しに後部座席組へと告げて車を走らせる。
年頃の子供である姫更と廻が少しは窓の外の景色に興味を向けて騒がしくなるかとも思われたが、そこは外見年齢に見合わない落ち着きを持つ廻と、元より大人しい姫更である。
いっそ寝ているのではないかという程に静かに窓の外へと視線を向ける姫更と、黙考する様に背もたれに身体を預けて目を閉じた廻に挟まれた黄泉路は自分はどうするかなと窓の外へと視線を投げる。
高速に乗った事もあってぐんぐんと変わって行く景色。ビルなどの人工物や看板に彩られた景色が徐々に緑あふれる水田や畑、手付かずの自然へと置き換わって行く間、車の中はカガリがつけたラジオの音だけが催眠音声の様に響いていた。
流れてくるのはデビューしたてのアイドルグループの楽曲や最近起きた事件についての続報など、日頃裏側に何が潜んでいるか分からない為にそこそこアンテナは張っている黄泉路にしても、恐らくは無関係だろうと思える世間の情報が流れてゆく。
「さてと。この辺りで案内人と合流できるはずなんだが」
そう言ってカガリが車を止めたのは黒雪岳と呼ばれる標高1400メートルほどの、所謂地図には乗らない物の地元住民にはなじみの深い山の麓にある小さな田舎町、そこからやや登った所にあるペンションの駐車場だ。
「なんだか、山に近くても夜鷹とは雰囲気が違いますね」
「そうですね。植生が違うからというのもそうですが、別の方の縄張りだからというのが主な理由でしょうね」
「縄張り……?」
木々に囲まれたペンションの駐車場で黄泉路と誠が言葉を交わしていると、林の奥でがさりと音が鳴る。
「――!」
一瞬で身構えた一行がそちらをじっと注視していれば、程なくしてひとりの男性が現れた。
その男は一見するとどこぞの猟師か農家かという風貌の髪の薄い老人であったが、黄泉路達を見つめる視線がその印象を打ち消して、静かに構えられた刃を思わせる重みを感じさせていた。
互いに距離を保ったままの睨み合いが数秒、黄泉路がさてどうするかと思考を巡らせかけた所で、誠が率先して身構えていた緊張を緩めて声をかける。
「……お前等は?」
「“道先案内を請け負った者”です。貴方は?」
誠が事前に案内人と合流した際に取り決めておいた合言葉を口にすれば、老人は小さく頷く。
「かつての防人」
老人は受け答えした誠、次いでカガリへと目を向け、黄泉路を見つめた後に一瞬だけ目を瞠る。
だがそれも僅かな間の事で、廻や姫更を見る様子からすれば気のせいかと思える程度の物。
全員を観察し終えたらしい老人はふっと目元を緩めて闊達に笑った。
「子供に見えるが中々に、修羅場慣れしとる。良い、良い。案内するちゃ」
年齢はおそらく90に掛かるだろうかという程にも関わらず、黄泉路達に背を向けて再び来た道である林の中へと消えようとする老人の姿勢はしっかりとしたもので、都会の若者などよりもずっと体力があるのではと思う程の足取りに黄泉路達は慌てて後を追った。
老人は黄泉路達が付いてきている事を察しているらしく、歩みを緩めることなくどんどん深く深くへと木々の間を進んでゆく。
「(あ、この辺り見えづらいけど道になってる)」
幸いにも足取りは姫更と廻を考慮しての速度で保たれている事もあり、肉体的に疲労しない黄泉路にしてみれば日々のランニングよりも余裕がある。その為風景に目を向ける余裕もあってか、老人が進む道が獣道とでも呼ぶべき道なき道でありながらも、よくよく見れば人が通れるように作られているものであると見て取れたのだ。
当然、山道や森に詳しい誠はそれに気づいており、山中なども依頼によっては行軍する必要のあるカガリも問題なくついてくる。
残るは姫更と廻であるが、こちらも若干の余裕をもって付いてきていた。
初めての場所であろうと未来を知る事で適切に対処する廻と、そもそもいざとなれば転移で自由に移動できる姫更であれば、それも当然。その内情を知る由もない老人は時折後方に意識を向けては、一番年若いふたりが当たり前のようについてくる事に感心する。
青々と生い茂った木々の葉の間から見える日差しが頂点を超え、緩やかに下り始めて暫し。
変化に乏しい森の中はともすれば同じ場所を延々と歩き続けているような錯覚すら与えるが、迷いなく進む老人の後を追って歩き続ける黄泉路達の視界にもやがて変化が訪れる。
「着いたちゃ」
そう一声かけた老人が一歩道を譲る。
「わ、凄い……」
「おー。こりゃすげぇな」
黄泉路達一行の視界いっぱいに広がるのは、周囲の森と同化する様に空を覆う緑の天蓋と、その下に隠れ、一部は樹に呑まれるようにしながらもしっかりと人の営みを感じさせる昔ながらの木造の長屋がまばらに点在した――まさしく集落と呼ぶべき広場であった。
「この道進んだ先に集会場があるさかい、ついてこっしゃい」
集落を入り口から眺めているうち、黄泉路はふと違和感を抱く。
しかし、その違和感の正体がなんであるかに思い至るより先に老人が再び歩きだしてしまうと、その違和感の正体を突き止めるよりも足を動かさねばという意識に引き摺られて後を追う。
日差しを受け止める枝葉を空いっぱいに広げた木々に寄り添う家屋の間に通った道を抜けると、程なくして道を塞ぐように長屋とは別の目的を持つであろう背の高い建物が顔を見せた。
建物の前で老人は足を止めて黄泉路達に振り返る。
「先生も居るさかい、早う入り」
促されるままに扉を開けた黄泉路の後に誠とカガリが続き、最後に廻と姫更が屋内へと入った瞬間、姫更の背後で老人によって入り口がぴしゃりと閉ざされ、
「動くな」
先頭に立っていた黄泉路へと、物陰に潜んでいた複数の殺気が突き刺さった。