7-28 同盟決起集会
地下に展開された格式高さを随所に散りばめたVIP御用達風俗店の一室、室内に広々ととられたベッドに腰かけている少年が、サイドチェストに載ったスマートフォンが着信を伝える振動を発しているのに気づき、室内に設置されたバスルームへと声をかける。
「クミさーん。電話着てるみたいだよー」
バスルームの磨りガラス越しに流れ続けるシャワーの音量に負けない様に掛けられた声音は歳相応の高さを有している物の、年頃の少年とは思えないような色気とも言える甘さを含んでいた。
「はぁーい。ちょっとまってねーユイくん」
シャワールームから応じる声音は至極機嫌良さそうな女性のもの。
程なくしてキュッキュッという蛇口を閉める音が響き、連続した水音が滴り落ちる静かな物へと変わる。
磨りガラスの奥で凹凸を持った肌色がタオルらしき白い布で全身をぬぐう姿が見えても少年の表情に変化はなく、むしろいつ相手が出てきてもいいようにとそつのない動きで片付けを始めていた。
少年の容貌は芸術品の様に整っていて、その声音と合わせてある種の欲を掻き立てる。
もう少し丈が短ければ下着が見えてしまいかねない程のショートパンツに黒のソックス、仕立ての良い純白のシャツははだけ、その珠の様な肌を惜しげもなく晒した姿は決して従業員の子供などではない事を示しており、妙に愛想の良い笑顔を浮かべなれた顔は接客に慣れた者のそれであった。
中学生に上がるかどうかという少年は間違いなく、風俗店に居て良い年齢ではない。
それはこの店自体が法律上許されていない非合法な店舗であるという事を意味しており、店の内装の品の良さからはそれなりに繁盛している事が窺えた。
「おまたせーユイくーん」
湿気を纏って仄かに普段よりも色が重くなった茶髪をアップに纏めたバスローブ姿の女性――クミがバスルームから出てくるなり、ユイと呼んだ少年に抱き着きその頬に自らの頬を摺り寄せる。
左手を背に回して抱き寄せながらも右手ではだけたユイのシャツの内へと手を伸ばした。
「あはは。くすぐったいよクミさん。さっきしたばかりだよ?」
完全なる言い訳の仕様もないセクハラであるが、当のユイはくすぐったそうに微笑むのみで、むしろクミの腰へと片手を回して見せる程に手慣れた対応を取りながら窘めれば、クミ――郭沢来見は拗ねたように頬擦りをやめ、セクハラしていた右手でユイの柔らかい頬を軽く突く。
「良いじゃない。せっかくのお楽しみの時間をこれから奪われる私にご褒美頂戴ー」
「もう、クミさんは甘えたがりだなぁ。でもお仕事はちゃんとしないとダメだよ」
「はぁーい」
甘い睦言の様なやり取りを終えた来見が離れ、スマートフォンを片手にユイから距離を取る。
「私オフなんだけど?」
「知った事じゃないね」
「切って良い?」
「良いけど次の仕事は無いねぇ」
「はいはい。分かりました。それでご用件は?」
ユイとのやりとりとは打って変わった雑な口調も、今後の仕事について仄めかされた途端に抑揚が抜けた事務的な物へと変わる。
来見が電話をしている間、ユイは黙々と来見の持ち込んだ私物を鞄へと詰める。漏れ聞こえてくる通話の内容を極力耳に入れない様に仕事をこなすユイはプロだ。
決して客の仕事や私情には踏み込まない。それはこの業界でやっていくためには必要不可欠な匙加減であり、この非合法高級娼館において売り上げNo1の娼年であるユイにとっては呼吸の様に手慣れたものであった。
「はぁー。さいっあく。せっかくユイくんとイチャイチャしてたのにねー」
通話を終えた来見が大仰にため息をついて放り投げたスマホが上質なベッドの上でワンバウンドする。
ユイは小さく肩を竦め、スマートフォンを拾い上げてから来見に近寄り、
「まぁまぁ。それだけ頼りにされているということでしょう?」
その手にスマホを渡しながら、手の甲へとキスを落として笑いかける。
満更でもない来見はそれだけでへにゃりとだらしなく顔をゆがめてスマホを受け取り、ユイがまとめた荷物の中へとスマホをねじ込みながらベッドへと腰かける。
「はい、クミさん。着替えです」
「うんありがとー。はー、ほんとユイくん欲しいー」
「あはは。僕を買えるくらい、稼いだらね?」
「がんばるー」
ハンガーから外し、来見にスーツを着せ終えたユイが来見の頬へと口づけを施す。
それは来見に対して行われる出発前の決め事であり、唇が離れると同時に物欲しげな表情を浮かべつつも来見は立ち上がる。
「それじゃあお姉ちゃん、お仕事頑張ってくるね」
「はい、クミさん。お仕事頑張って」
静かな廊下を抜け、受付前で見送るユイに手を振った来見の存在がふっと霞み、その足取りは夜の街に紛れて消えていった。
◆◇◆
【領域手配師】郭沢来見が高級娼館を後にしたその足で訪れたのは、同じく都内の環状線内側。
繁華街の表通りからやや離れ、奥まった裏路地に存在する2階建てのオーセンティックバーの前までやってくるなり、店内を賑わす人の気配に来見は僅かに顔をしかめた。
普段は常連客とふらりとやってくる初見客のみがゆったりと流れる時間を楽しむ隠れ家的な店舗であるはずだが、今日に限っては看板にはCLOSEDの下げ札が掛かっていた。
それ自体は来見にとっては何ら考慮に値しない、むしろこうした仕事を斡旋される際には営業終了後である事が主である事を踏まえれば当然と言えたのだが、
「今日は随分と繁盛していますね」
臆することなく下げ札の掛かった扉から店内へと這入り、カウンター席に腰を下ろした来見がそう声を掛ければ、カウンターの内側でグラスを磨いていた女性がぴくりと視線を其方へと向ける。
「おや、遅かったじゃないか領域手配師。楽しんでたところ悪いね」
「悪いと思ってるなら1杯サービスしてほしいですね」
仕事用にかっちりとメイクを決めた来見がそう零せば、茶髪のボブカットに深い色の口紅が特徴的な恰幅の良い女店主が首を振った。
「あんたに奢ったらここにいる全員に呑ませる事になるじゃないか」
「おいおい、そんな硬い事言うなよ」
ふたりの会話に割り込む様に頭上から抑揚に乏しい男性の声が降ってくる。
来見と女店主、ふたりが見上げれば、バーカウンターや入口が一望できる吹き抜けの2階のテーブル席から見下ろしている男女と目が合った。
声の主は男性のものだろうと来見はあたりを付けるものの、ほぼ満席と言った具合の店内、しかも吹き抜けとはいえ1階と2階に分かれているにも関わらず、決して大きな声で話していたわけでもない自分たちの会話に割り込めるというのはどういった能力なのかと、興味が脳裏をかすめる。
「落星、ここに何人いると思ってるんだい? だいたいアンタ酒は飲まないんじゃなかったのかい」
「偶には飲むさ。今日みたいに無理やり叩き起こされて有無を言わさず集められた日くらいはな」
とはいえ、興味だけで不文律を踏み抜くつもりはない来見はすっと自らの能力で存在感を薄くして会話を聞きながら、集められた面子へと視線を向けた。
最初に来見と女店主の会話に割り込んできた、来見と負けず劣らず印象に残り辛い風体の中肉中背の青年と、その向かいの席に腰かけた吊り眉気味の少女。
こちらは容姿が良いという方面で印象的で、俗にいう姫カットと呼ばれる真横に揃えられた黒髪から覗く顔立ちは目元がやや厳しそうに見えるのを補って余りあると同性の来見からも思える程だ。
とはいえ、やはりといえばやはり、青年の方はなんとなく成人しているだろうと思えるが、少女の方はどう考えても高校生の域を出ない年頃であり、こうした酒場には不釣り合いであろう。
「(落星……ということは隣に居る彼女は潮騒ですか。あのふたりがここに居るのは納得するとしても……げっ)」
続けて1階席へと視線を移した来見は思わず漏れかけた心からの忌避を飲み込むと、自身の能力による認識阻害が働いている事を周囲の視線の向きから再確認して安堵の息を吐く。
そこに居たのは先ほど来見が潮騒と呼んだ少女と年のころは同じ。しかしその容姿は他の群を抜いて目立っていた。
代名詞とも言える銀の髪。左右で色が違う金と赤の瞳に、髑髏をモチーフにした銀のアクセサリーをじゃらじゃらと括りつけたゴシック&ロリータ系の服装をした彼女の周囲はある種の結界でも存在するかの如く人気がない。
それもそのはず、その少女こそ、孤独同盟――ひいては裏社会において勇名を轟かせ、同時に忌避の象徴ともされる能力者【銀冠の魔女】その人なのだから。
「(嘘でしょー……なんであの子まで呼んでるのよ。明らかに過剰戦力じゃない。何、何をするつもりなの?)」
来見はその能力の性質上、銀の魔女に斡旋された仕事の後始末を請け負った事がある。
それ故に“魔女”の持つ能力が異質、かつ当人の気難しさと相まって、到底集団の内に置いて駒として扱える人材でない事を理解していた。
だからこそ、その少女がこの集まりに呼ばれている事に戦慄する。見れば他にも音に聞こえる裏社会の名持ちがちらほらと席に座っており、その誰もがこれからの仕事の大きさに意気込んでいるようであった。
「はいはーい。とりあえず時間だから、ここで〆るよ!」
パンパン、と。カウンターから手を叩いて合図する女店主の声に、先ほどまで騒がしかった店内が嘘のように静まり返る。
裏社会の情報屋としての顔を持ち、孤独同盟を含めたいくつもの組織や団体へと依頼の斡旋や仲介を行う斡旋所の長である女店主の一声は、当人が至って普通の非能力者であってもそれだけの力を持っていた。
「……それでは。私、【領域手配師】が秘密のお話をする“場所”を提供いたします」
事前に電話で呼び出された際の追加依頼を遂行すべく立ち上がった来見。その存在感の無さから一転して、突如として現れたように見える現象に店内に居た全員の視線が来見へと集まるも、来見にとっては美少年の視線以外はどれも似た様なものだ。
来見が領域を広げた途端、店内に居た人全てが店の外へと警戒するような雰囲気が霧散した。
「はいありがとさん。……それじゃ、仕事の話をするとしようか。もうあんたらも聞いてるとは思うけど、今回の集まりは政府に潜った奴が拾ってきたとてつもなくでかいヤマだ。なんたってあんたたちみたいな能力者を人工的に、バカにでもわかる様に言い換えるなら“好きな時に好きなように”作れるって発明さ」
どこかから、生唾を飲み込む様な音が聞こえる。
荒くれや自分本位な性格の者ばかりだというのに、この場において女店主の言葉を遮る様なバカは誰一人として存在していなかった。
この仕事がどれほどの儲けに繋がるかという事を正しく理解しているが故の反応に、女店主はじろりと客席を見渡して再び声を張る。
「“さるお方”も、その技術を欲してる。あたしたちの仕事は研究成果でも学者様本人でもいいから、政府よりも先に奪い取る事だ。簡単だろう?」
にやり、と。笑みを深めて挑発する様に嗤う女店主に、2階席に座っていた男性――落星が静かに口を開く。
「だとして、作戦なんかはないのか? 連携なんてまともに考えた事もない連中が仲良く遠足なんてできる気がしない。政府案件なんだ。雑魚に足元掬われるのだけは御免こうむりたいな」
抑揚に乏しいその声は小さいにもかかわらず、店内に居る全員に違わず聞こえるという不可思議な現象によって空気を伝播して意図を伝える。
「ンだとテメェ!!」
「ガキが粋がってんじゃねぇぞ!」
今にも一触即発といった具合に、落星の座るテーブル周辺に有形無形の視えざる圧が掛かる中、澄ました顔をした落星と、我関せずを貫く相席の少女の様子に女店主はため息をつきながら手を叩き、店内の荒くれ共の注意を再び自身へと奪う。
「はいはい、あんたら黙りな。何のためにあたしが居ると思ってんだい。ここに集まったって事は自分じゃ商品を捌く伝手もなけりゃ仕事仲間に恵まれても居ないって証拠。要はぼっちのコミュ障共がじゃれ合ってるんじゃないよ。大まかな位置取りはあたしがあんたらに合った形で組む。異論がある奴は好きにしな。ただしそれで失敗しようがこっちの配置に居た奴に殺されようが文句は聞かない。それでどうだい?」
先ほど落星へと向けられていた圧に比べれば大したことはない。凄んだとしてもそこに内実が伴っていないような女店主のにらみであったが、その中身について否定できるものはこの場にはいない。
再び落ち着きを取り戻した店内に、すっと細い手が上がる。
「ひとつ良いか?」
「おや魔女様。どうかなさったかい?」
「何故、この研究を奪う必要がある? 我々の同胞が増える。良き研究ではないか」
そう魔女が主張した瞬間。夏だというのに体感では秋口程の温度まで室温が数度ほど下がったような錯覚を店内に居る全員が感じ取っていた。
魔女は自分がしたい仕事しかしない。その逆鱗に触れた者は味方であろうが死を意味する。
絶対的に扱いづらい鬼札、それが裏社会における銀冠の魔女に対する評価であった。
女店主の返答次第ではこの店諸共潰される。そんな戦いの予感にピリピリと張り詰めた空気が醸造されつつある中、女店主はふっと小さく笑みをこぼして魔女を見据える。
「このまま手を拱いていたらどうなると思う?」
「? それは政府が接収するつもりなのであろう?」
「そうさね。その政府が私利私欲で能力者を好き勝手に解体してるって情報は、あんたは知らなかったっけねぇ」
「――ッ。では!?」
「そんなやつらがこんな技術を手に入れたらどうなるかって話だ。……そうさ。これはあんたにとって“正義の”戦いって事だ。納得したかい?」
「うむ、うむ。良いぞ。後のことは我に任せるが良い。全て我が解決し、政府の悪行を葬り去ってくれよう」
子供を諭す――文字通り、女店主にとって魔女の姿が実年齢相応なのであれば親と子ほども離れているので間違っていない――様な調子で言い聞かせる女店主の言葉に魔女は得心言ったとばかりに大仰にうなずいた。
確かに、政府はこれまでの状況を鑑みるならば決して信用できる存在ではない。
だが、女店主は自分たちに依頼した人物が世の為に運用するとは、一言も言っていない。
「期待してるよ……さて、他に異論が無きゃ細かい話を詰めていこうじゃないか」
黄泉路達三肢鴉が作戦遂行へ向けて各々に動き始めた頃、政府とは別に裏社会の存在達が動き始めようとしていた。
ちなみにですが、今回のサブタイトル「同盟決起集会」ですが、ルビとしては「アライアンスコンペディション」……本来の訳で言うなら同盟競技会なんですよね。
つまるところ、“連携なんて考えず、徒党を組んで早い者勝ち”という彼ららしい意味合いだったりします。
なろうの仕様上、サブタイトルにルビ振りが出来ないので残念ながら入れなかった裏話という事で。