7-24 白塔の暗躍2
政治家という職業柄、人名を記憶する事を得意とする的井はやや考え込む様に――我部の視線から逃れる様にとも――目を閉じ、自信はないという風を取り繕いつつ口を開く。
「たしか、かなりの口止め料を渡して在野に降りた心療内科医の?」
「そうです。その御心紗希です」
我部が肯定する様子を密かに観察し、疑心を抱かれていない様子を確信した的井は頷き返す仕草に安堵を混ぜる。
特筆した記憶力がなくとも的井はその名をすぐに思い出す事が出来た。何故ならその名は、目の前の我部が口止めをあえて金銭にして首輪をつけるのみで放した女性の名前だったから。
後で密かに関係性を調べさせた所で怪しい話どころか浮いた話すら一切出てこなかった両者であったが、そういった経緯もあって的井はその名をよく覚えていた。
「その御心女史がどうかしましたか? 私に話を通すほどの話とは?」
「勿論、ただ馴染みの名を出したくて御呼び立てしたわけではありません。これは我々、ひいては先生の進退にも関わる重要な案件なのです」
ゴクリ、と。的井は思わずつばを飲み込んだ。
自身の進退という物に鈍感な政治家はいない。居たとしたらそれは既に引退した元という肩書がつくだろう。
沈黙を清聴の構えと取った我部はここからが本題とばかりに口を開く。
「紗希君が退所した後も、私はひそかに彼女に勘づかれない程度に監視を続けていました。無論、口止め料の意味が分からない彼女ではないと知ったうえでですがね」
「何の必要があってその様なことを?」
「我々とは相いれなかったとはいえ、彼女の持つ知性や感性は得難いものだ。もしかしたら、我々とは別のアプローチから真理にたどり着く事もあるかもしれない。彼女は場所を変えた程度で研究を諦める様な女性ではありません。必ず、彼女は何らかの形を残す。そう確信したうえで、彼女の身辺を定期的に探っていたのです」
「……つまり、今回の呼び出しはその成果があった、と?」
的井は知らずテーブルに顔を突き出し、話に引き込まれている自覚をしつつも我部の言葉の先を求めて問う。
そんな的井の様子は我部が求めていたものであり、我部はゆっくりと焦らす様に続きを口にする。
「先日、彼女の動向に変化があったと報告が入りました」
そう言って我部が差し出したのは御心紗希の行動記録と、喫緊で仕入れた物資のリスト。
目を通したものの、門外漢である的井は当然理解できずに訝しい視線を我部へと投げるが、我部はすました顔のままうっすらと笑う。
「……お判りになりませんか?」
「何がだね?」
「そこにある行動、我々の間ではすぐにピンとくるものばかりなのですよ」
「我部先生、勿体ぶらずに教えてくださいよ」
「……論文の発表ですよ」
「何?」
「在野で能力研究に携わる学者との連絡も頻繁に行われていました。彼女と比べればそちらはガードが緩かったのでそちらから探らせたところ、どうやら紗希君は本当に答えに辿り着いたようです」
「答えとは……?」
「“能力者と呼ばれる超常現象行使者の人工的な発現”ですよ」
「――っ!?」
思わず、的井は呼吸が止まる。
言葉の意味する所を理解する為に数拍を要しながらも、衝撃から立ち直った的井は動悸を押さえる様に深く呼吸をして我部へと問う。
「だとして、我々には手が出せないのではないのかね?」
「――“能力者及び能力に関する特例措置法”の適用をお願いしたく」
「っ!?」
「それからマスコミへの情報操作と、今後の混乱に対する諸外国からの横やりへの牽制をお願いしたく、この度はお越しいただいたわけです」
「我部先生、いや、我部君。きみは……」
先ほど喉を潤したはずにも関わらず、的井は喉が枯れたように掠れた声で呟く。
視界の正面に陣取った我部はゆるりとした笑みを浮かべていたはずだが、的井にはその笑みがどうしても悪魔的な、決して同じ人間とは思えないものの様に感じてしまう。
「“御遣い包囲戦”を再現するつもりなのか」
「場合によっては、あの日以上の大ごとになるかもしれません。ですが、これにはそれだけの価値がある事なのですよ」
「だ、だが、今あれほどの動きを見せればマスコミに嗅ぎ付けられる。あれはまだ能力者という存在がそこまでクローズアップされていなかったからこそのものであって――」
「ええ、実働人員は此方で手を使いますのでご心配なく」
カチャリ、と。我部の声に応じたように先ほど女性が退室した扉が開く。
「そーそー。俺達に任せろよオッサン!」
「こら。きっと偉い人なんだからそういう口の利き方はダメだよ。僕らの態度で先生が怒られちゃうんだから」
入室してきた金髪と茶髪の若い男ふたりに、的井は先ほどまでの話が聞かれていたのかと腰を浮かす。
「ご安心を。的井先生は的井先生の役割を果たしていただければ、後は此方が十全な成果を齎して見せましょう」
何せ、と。我部は視線を青年たちが入ってきた扉へと向ける。
開きっぱなしだった扉、そこから新たにひとりの人影が室内に進み出る。それは先ほど配膳をしたポニーテイルの女性だった。
「此方には勝利の女神がついていますからね」
青年たちによって少しばかり騒がしくなった室内に無感動な視線を投げた女性を揶揄して薄く笑った我部に、逆らうことはできない。そう直感した的井は静かに頷くのだった。




