7-22 支部長会合3
模擬戦の余韻を残しつつの昼食会にて多少なり緊張が取れた黄泉路は翌日。
ホテル地下にアリの巣のように張り巡らされた三肢鴉本部の一角にある大会議場の円卓に腰かけていた。
夜鷹支部と書かれたプレートを前に、黄泉路はちらりと視線を巡らせる。
「緊張しなくていい」
斜め後ろに控えた美花がそう励ましてくれるものの、黄泉路と同じ円卓に居並ぶのは若くとも20代半ば以降のある種貫禄を備えた支部長ばかりであり、代理として出席している事は周知されているものの、こうした経験に乏しい黄泉路は悟られない様に居住まいを正した。
「これより、三肢鴉支部長会合を始める」
皆が落ち着くタイミングを知っていたかのようにリーダーが一声発すれば、僅かに残っていた囁きも消え、電灯に照らされた密室に静寂が下りる。
対面の衣擦れの音すら聞こえるのではないかという錯覚に、黄泉路は知らず呼吸を止めてリーダーの方へと視線を向ける。
「今回皆に集まって貰った理由は、さる人物からの依頼によるものだ」
サングラス越しにぐるりと円卓を見回したリーダーがそう告げれば、円卓に腕一本分の影が落ちた。
リーダーはそれを認めて視線を其方へと向け、手を上げて発言許可を求めた浅壁を促す。
「さる人物っちゅうのは、ここで名前を明かせへんお人なん?」
「いや。皆の中には知っている者もいるだろうが、内容も含めて追って説明する」
「話の腰追ってもうてすまんな。堪忍してな」
手を下げつつ小さく含む様な愛嬌とも呼べる笑みを浮かべた浅壁に、リーダーは小さく首肯する事で応える。
浅壁の発言はどちらかといえば、重苦しい空気になって居た室内の雰囲気を緩和する目的であったことは一目瞭然で、周囲の反応からそうした配慮に長けた人物なのであろうと黄泉路は内心で浅壁に対する評価を上げた。
「依頼の内容は三肢鴉による依頼主の身柄の保護、また、保護に必要な移送までの期間中の護衛。そして依頼主の所有物の確保だ」
端的に並べられた依頼内容は2年程度の経験しかない黄泉路からすれば違和感がない、時折受ける依頼の中にもある程度にはありふれたもののように感じられる。
支部長会合という、言ってしまえば三肢鴉の総力が結集した様な状況でリーダーが直々に述べる事ではない。
となれば必然的にそうならざるを得ない事情という物があるのだと、黄泉路を含むこの場の全員の考えが一致し、リーダーの次の言葉に耳を傾ける心地良い静けさが室内を満たす。
「依頼主の名は“御心紗希”。職業は医者兼研究者。研究内容は【能力と呼ばれる特殊事象の発生プロセス解明、及び能力者覚醒の理論解明】だ」
リーダーの落ち着いた男性の声が伝える音が室内を駆け抜け、その音の意味を理解すると共に、黄泉路は思わず立ち上がりかけて椅子を揺らす。
「――!」
自ら立てた音で我に返った黄泉路は内心の驚きと、思った以上に大きく鳴ってしまった椅子の音からくる気まずさに周囲を見渡せば、どうやら動揺していたのは黄泉路だけではないらしいと居並ぶ支部長達の様子にそっと息を吐く。
御心紗希という名前。それは黄泉路にとって――朝軒廻にとっても――忘れがたい名だ。
かつて黄泉路の不手際によって祖父母を失った廻が身を寄せていた孤児院。その出資者であり、能力に悩む廻のカウンセラーを担当していた女性が、まさかその様な研究をしていたとは。
「(あの人も……能力解明の研究者……?)」
能力関係の研究者というと、黄泉路の脳裏にはどうしても自身が幽閉されていた政府の極秘施設、そこへ拉致した我部という男の顔が、そして彼と並び、道敷出雲という少年を実験動物の様に弄び続けてきた研究者達の顔がちらつく。
人の皮を被った外道としか言いようのない我部達と、あくまでも廻のカウンセラーという立場から背を押してくれた紗希とではあまりにも違う印象の差。
ギャップを飲み込めずにいた黄泉路とは裏腹に、支部長達が関心を寄せていたのは別の部分であった。
「その御心博士という方は、保護を依頼するという事は……何か成果を?」
黄泉路が内心の動揺に釣られて意識を逸らしている間に挙手していたらしく、円卓に腰かけた女性支部長がリーダーへと問う声が騒めきを収束させる。
「論文の発表を控えているらしい。だが、論文を書き上げるにあたり、実証試験の為に作成した実物が問題になって居る」
「実物……ですか」
「“人為的に能力者を作り出す装置”だ」
「――っ」
努めて落ち着いた声音で語りかけるリーダーの言葉を理解できぬものは居ない。
今までは偶発的、経験則からくる覚醒方法でしか現れなかった能力者が、意図したタイミングで能力を獲得でき、その総数を引き上げる事が出来るとなれば、今までの事情ががらりと変わる事は明白であった。
「まだ試作品の段階で、量産するつもりはないらしいが、それでも、それだけの技術革新だ。欲しがる者は世界中に居るだろう」
誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。それほどまでにピンと張り詰めた空気の中で、先ほど発言した女性支部長が再び、震えた声を発する。
「……それだけの技術ならば、何故政府ではなく、我々に保護を……?」
女性支部長の言わんとしている事はこの場に居る全ての人の代弁とも言える。
三肢鴉は能力者保護団体、能力者差別撤廃を求める集まりであるが、それはあくまで社会の風潮に対して呼びかける物であり、国際的な影響力は国と比べるべくもない。
如何に国が主導して能力者に対して非人道的な実験を繰り返しているとしても、それだけの成果が得られるならば諸手を上げて手厚い保護が受けられるだろう。
だからこそ、“何故反政府勢力に依頼を出したのか”という疑問が沸く。
その答えを知るだろうリーダーへと視線が集まれば、リーダーは僅かに考え込む様に顔を俯け、すぐにサングラスを指で押し上げながら口を開いた。
「御心紗希とは、三肢鴉発足以前からの付き合いがある。元は政府主導の研究所に招聘されるほどの知性を備えた女性だったが、御心紗希は国の主導する方針に反旗を翻した。以降は個人で人里離れた施設にこもり研究を続けていた」
リーダーの古い知り合い、その意味での衝撃も強い。何せリーダーは姫更という一人娘以外、私人としての顔を誰も見た事がないのではと思わせるほどに生活感が薄く、その正体を知る者は限りなく少ない。
そのリーダーの組織以前の知り合いという研究者が、リーダーと同じく政府の方針に異を唱える。それは果たして偶然であろうか。
様々な疑念が渦巻く会合の中で、しかし。黄泉路はリーダーの言葉にひとつ確かな安堵を覚えていた。
「(良かった)」
『どうしたんです?』
「(ううん。ただ、廻君と僕を前へ進ませてくれたあの人が、味方で良かったって)」
依頼の詳細が明かされるにつれて騒がしくなる会議を他所に、黄泉路の表情には緩やかな笑みが浮かんでいた。




