2-2 三肢鴉2
カガリ、美花、出雲のみが取り残されたホテルの一室に沈黙が落ちる。
会話がなくなり、自然と先ほどまでの会話の内容を反芻するように頭が働き出すと、出雲は自身の置かれた状況に理解が及ぶにつれて顔色を悪くしてゆく。
そんな様子に見かねた様子で近づいてきたカガリにポンと頭に手を置かれれば、出雲はハッとなってすぐ目の前にカガリがいることに若干の驚きと、僅かな安堵をにじませた表情でカガリを見上げた。
「……そんな顔すんな。俺たちはお前を見捨てたりしねぇよ」
「別に、そういうつもりじゃ……」
「なんにせよ、落ち着くまではぐしゃぐしゃ考えたって仕方ねぇさ。とにかく今は体を休めろ。俺たちは隣の部屋にいるからさ」
「え、あの……」
「色々あって疲れただろ。リーダーも言ってたしな」
くしゃくしゃとかき回すように頭を撫でるカガリに出雲は混乱が若干和らぐのを感じつつも、兄がいたらこんな感じなのだろうかなどという思いが頭をよぎった。
気恥ずかしく、しかし暖かな感情は、監禁されている間は一度として感じたことのない懐かしいもので、思わず表情が緩むのを確認したカガリはつけていた仮面を緩やかにはずす。
「少しはイイ顔するようになったな。やっぱりガキはそういう顔が一番だ」
にやりとワイルドに笑うカガリは、その表情がよく似合う精悍な顔立ちの青年であった。
髪の色と近い赤み掛かった瞳は普段ならば相応の鋭さを持っていたのだろうが、今は弟を諭すようにやわらかく緩んでいた。
最後にとばかりに出雲の頭を軽くぽんぽんと叩けば、飲みかけであった酒瓶を手に部屋を出ようと背を向ける。
それに倣う様に後を追う美花が、不意に思い出したように足を止め、出雲のほうへと向き直って自身のお面に手を掛けた。
側頭部の方へとお面をずらして見せればカガリとは違いまるで見ることのなかった美花の顔が顕わとなる。
美花もカガリ同様、どちらかと言えば野性的な印象を窺わせるすっと鼻筋の通った女性であり、声の印象と違わない眠そうに半眼になった瞳は睨んでいるのかと思うほどであった。
よくよく見れば瞳はまるで獣のそれのように瞳孔が縦に細くなっており、出雲はまるで猫のようだなと思う。
「おやすみ」
見詰め合う、というにはいささか距離が遠すぎるものの、睨み合うまではいかない僅かな沈黙の後、仮面越しと変わらぬ淡々とした調子での挨拶を済ませた美花は出雲の返答も待たずに何事もなかったように踵を返して部屋を出て行ってしまう。
「ぁ……おやすみなさい」
パタン、と。扉が閉まる音と、オートロックによって施錠された音でわれに返った出雲は、遅いとわかってはいるものの、一応とばかりに挨拶を返す。
そうしてひとり残されてしまえば、再び首を擡げてくるのはリーダーが先ほどの説明の中で落とした爆弾についてだった。
ぐるぐると頭をめぐる錯綜の中で、汚れも気にせずベッドへと倒れこめば、施設の硬い簡素なベッドに慣れていた出雲の意表をつくような柔らかな弾力に包まれる。
「死んでる……僕が?」
自身の手を照明に透かして閉じては開いてを繰り返しながら、ポツリと呟く。
死という事象に深く関わり過ぎた出雲は、時折自身が本当はもうすでに死んでいるのではないか。だからこそ、これ以上死ぬことができないだけなのではないかなどと考えてしまうことがある。
無論、そんな事はないと、自信の鼓動が、身体の熱が、心の動きが教えてくれるのだが、しかし、1日に平均して少なくとも3、4回は確実に死んでいるという異常が、少なくとも2年以上は続いていたのだから、そんな風に考えてしまうのも無理からぬことであった。
一般人に過ぎない出雲が自身の精神を守るための防壁といっても良いそれは、職員の魔手から逃れた今となってもなお、深い部分にしこりとして取り残されていた。
考えれば考えるほど深みへとはまる思考に、出雲は身を丸める。
「……父さんと母さん、元気かなぁ……」
ポツリとこぼれたそれは、涙であった。
施設の中では毎日を生きることに必死で頭が回らなかったが、脱出した今となって漸く離れ離れになってしまった家族への想いが堰を切ってあふれ出していた。
「……憂……」
妹の名を呟けば、自然と鞄の中にしまって置いたプレゼントへと意識が向く。
元はといえば妹の誕生日を祝う為にプレゼントを用意した帰りだったのだ。
出雲はむくりと身体を起こして鞄を開け、プレゼントの状態を確認するために鞄に手を伸ばす。
幸い、包装紙に若干の汚れや綻びはあるものの、梱包そのものは大した傷もない様子で、加えて言うならば中身も奇跡的に無事であった。
「……プレゼント、渡すついでに少し顔を見せて安心させるくらい、いいよね」
いくら自身が世間で死んだことになっているとしても、実際に生きているのだから実の肉親や妹に無事くらいは伝えておきたい。
そう思えば普段の出雲からは想像もつかない程の決断の速さでベッドから立ち上がり、鞄にプレゼントを仕舞い直して部屋の外へと足を向けた。