7-19 兎と子猫と破城槌6
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時は再び現在へ。強化ガラス越しで目まぐるしく移り変わる攻防に一定の流れが見え始めたことで、黄泉路の声にそれとなく耳を傾けていた観衆の視線が廻と姫更、勇未子へと立ち返る。
「はっはァ!! あたしと打ち合えるその奇妙なカンの良さには驚いたが、勝負あったな!」
「さぁ、どうでしょう――ッ」
「オイオイ、苦し紛れならもうちょっと声張れや。判ってんだろ?」
激しく、獣が如く四肢で巧みに攻めを組み立てながらも荒く笑う勇未子に対し、廻の顔色は優れない。
笑みを浮かべる余裕のある勇未子とて、一つ手を誤れば未来を読んで弾丸を置く廻を相手に気を抜く事は出来ない。
だがそれ以上に、模擬戦が始まって以降、余裕綽綽といった涼し気な表情を崩さなかった廻が荒く息を吐きながら差し合いをする様子と比べれば、どちらが有利かは一目瞭然であった。
至近距離での打ち合いが始まって2分が経過しようという今になって、廻の持つ最大のハンデが顔を出し始めていた。
「大人のあたしとガキのあんたじゃ、体力勝負じゃ話になんねぇって事くらい、なァッ!」
そう。勇未子が勝ち誇る様に。彼我の体力差は見ている側からも一目瞭然であり、それは直接打ち合っている両者にとっては手に取る様に判る事実であった。
『おおっとぉ! これはまずーい! めぐっち万事休すかー!? ……っていうか姫ちゃんどうして助けに入らないんですぅ?』
『ああも激しく動かれると、狙いが定められない、と思う』
『なるほどー。確かによく見るときっきーはめぐっちをとどまらせない様に追い立ててるように見えますねー』
『移動する必要に晒し続ければその分体力の浪費も狙えるという訳ですか。勇未子くんは直感型ですが、こと、戦闘に関しては素晴らしいセンスを持ってますからね』
解説に交じって騒ぎ立てる実況の音が脳を揺らす感覚に、廻は聞き流す様に意識をシャットアウトして相対する相手を見据える。
右手が最大まで開かれて迫る。対して廻は半身をずらす様に片足を退きながら、左手の銃で勇未子の右太ももを狙って引き金を引く。
それは右手による攻撃をすかした勇未子が次の手として繰り出そうとしていた左足による脇腹への蹴りを遅延させるためのもの。
当然回避のために重心を変えた勇未子の隙を狙い、廻は小さく息を吐いて右手の重みを再確認して勇未子の額を狙って腕を持ち上げようとし――
「あ……ッ」
「ハハッ」
水中から腕を振り上げる様な抵抗感に、廻の動作が遅れる。
それを見逃す勇未子ではない。むしろ、疲労から意識に肉体がついてこれなくなる臨界点、この瞬間を待っていた勇未子は勝ちを確信して一歩、警戒の為に取っていた間合いを取り払って肉薄する。
「廻!」
誰しもがこれで勝負が決まると思った瞬間、勇未子の頭上に丸みを帯びた影が現れる。
勇未子は咄嗟に片手を影の元へと伸ばし、自身を守る様に翳した。
それはこの模擬戦が始まってすぐ、廻へと肉薄した際に手榴弾によって距離を取られた事からくる反射的な動作であった。
初見時の不意打ちよりも素早く対応した勇未子の手が手榴弾らしきものに触れた途端、爆発するよりも前に破砕せんと握り込もうとした勇未子はその感触に違和感を抱く、が……
「なっ、アァッ!?」
ぱしゃん、と。弾ける風船の音。そして直後にコンクリートの床を濡らす、濃い色のついた粘度の高い水。
頭上で風船を握りつぶした事で内包されていたペイント弾などにも使われる塗料が勇未子を頭から濡らし、勇未子の思考が僅かにだがフリーズする。
「(水風船――ッ!? いや、まて、これあたしの負けか!? 当たり判定は、いや、まだ審判が止めてねぇッ……ならっ!) まだ勝負はついてねぇ!!!」
塗料が目に入ることを嫌って、目を閉じたままの勇未子は正面に向かって手を伸ばす。
勝負が終わっていない、ならばすぐ前にいる廻さえ退場させれば挽回は可能。そう判断しての行動であった。だが、その手は空を切り、
『そういえば、結局めぐっちにどうしてオーケー出したのか聞いてないんですけど』
『ああ、それはね。お風呂上りに廻君が言ったんだよ』
実況解説していた標の問う声と、それに応える黄泉路の声が聞こえる。
視界を奪われ、ぼんやりとしか見ることができない世界は勇未子にとっては嫌に長く感じられた。だがそれでも、実況の標の声音や、それに応える黄泉路の声から推察できることはあった。
「……ひとつ、良い事を教えてあげますね」
「ッ」
先日のルール決めの際にも聞いた、歳に見合わない落ち着き払った声。
背後から聞こえた声に勇未子が反応するよりも早く、カチリという音が小さく鳴る。
『「【予知能力者】は、勝てる勝負しかしないんですよ?」って』
思考に響く音ではない声と、背後から聞こえる幼さの残る声が重なり、
――タァン!
頭のすぐ後ろで弾けた音とほぼ同時に感じた強い衝撃に、勇未子の身体がぐらりと傾いだ。
「僕の勝ち、で良いですよね?」
勇未子がコンクリートに正面から倒れ込んだ音と、廻の控えめな勝利宣言が同時に響き、一拍ほど間が空いてから観戦席にどよめきと称賛の入り混じった拍手が響いた。