7-17 兎と子猫と破城槌4
間隔の短いマズルフラッシュが軽快な音を連続させ、非殺傷用に加工されたゴム弾の雨が横合いから勇未子へと襲い掛かる。
しかし勇未子はそちらにだけ注意を向けるわけにはいかない。勇未子の正面では未だに廻が二挺拳銃によって弾速をずらした連射を行っており、文字通り十字砲火の構成をとって勇未子という強敵を討ち取りに来ているのだ。
『おおっとぉこれは強力な弾幕ぅー!! さすがの嬉々月もこれはマズいかぁー!?』
「――ん、なろッ!!!」
しかし、それだけで討ち取れるほど――嬉々月勇未子という女は常識と同居していない。
素早く姿勢を落とし、獣のように地に伏せた事でどうにか初弾を回避した勇未子は、姫更が照準制御に手間取っている隙に右手で自身を中心とした円をコンクリートタイルの床に描く。
勇未子の右手が滑る様に床に触れる。たったそれだけで、軌道をなぞるようにコンクリートの床が微細な塵へと崩れ、勇未子の立っている足場が離島のように周囲から切り離され、
「だらっしゃああぁあぁあぁあぁッ!!!」
素早くステップで右後方、廻と姫更の十字砲火の中心に自身がいる事を逆手に取り、丁度十字の両方から外れる様に飛び退いた勇未子が気勢の篭った咆哮と共に、先ほど自身が乗っていた浮島を掴む。
『きっきーヤッバっ! コンクリくりぬいて持ち上げるとかマジぱねーっす!!! 三肢鴉一常識外の女!!』
引き剥がされたタイルはそこまで厚さがないものの、それでも屈んだ人ひとりを隠しきる程のサイズのコンクリートを気合だけで持ち上げるという行為の常識外れっぷりはノリノリで実況している標の本音によく表れているだろう。
剥がしたタイルを盾に駆け出し、ゴム弾の雨をまき散らす姫更へと迫る。
ゴム弾の音と衝撃がタイルを叩く間隔が狭まってきた事で彼我の距離を感覚的に把握した勇未子は、無理な引き剥がしと、ゴム弾とは言え量で攻めてくる衝撃によって早すぎる寿命を迎えようとしていたコンクリートタイルへと最後の仕事を与える。
「うぉおおおおりゃああああ!!!」
狙いを違わず投げ飛ばされたコンクリートの塊。それが決して安全とは言えない速度で飛来する中、姫更は小さく息を呑んで機関銃のトリガーから指を離す。
模擬戦とはいえ、機関銃自体は姫更が今回使用許可を得て三肢鴉の備品を借り受けた物である。壊れてしまえば消耗品と違い、損害請求がどこかへ――恐らくは所属となったらしい夜鷹へだ――飛ぶことは想定されている事であり、黄泉路達に迷惑を掛けたくない姫更としては壊されてはたまらない。
短くそれだけを判断し、自身でも対処できる。そう確信した姫更の目の前から機関銃が消える。
コンクリートの塊と姫更の間を隔てていた唯一の武器が消え、塊が迫る中、姫更は自由になった手を塊へと翳し、
「シャッフル」
短い文言。本来であれば移動し続けている物体を転送するのは“空間座標を交換する”事で転移を可能とする能力を持つ姫更の苦手とするところだが、あくまで苦手であって出来ない訳ではない。
普段は必要のない文言によって自己の意識を集中させる必要があるという点では慣れない事をしているのは明白だが、姫更の行動にはそれだけの価値があった。
ふっと姫更の目の前に飛来するコンクリートタイルが消え、代わりに姫更を隠す様に正面に影が落ちる。
ドスン、と。重量による音と振動を伝えて地面に落ちたのは、先ほど飛来するはずだった塊だ。
「(チッ、飛び道具は使えないか。やっぱ姫更の能力は相手すると面倒だな)」
慣性の法則もなにもあったものではない。迫りくる凶器を一転して自身を隠す盾とした姫更に対し、距離を詰めようと駆け寄っていた勇未子は内心で舌を打つ。
姫更の転移は正確には【座標交換】。2点の空間座標に存在する“モノ”を“入れ替える”能力である。
普段は“A点の物質”を“B点の大気”と交換する、と言う様な方法をもって転移にも似た現象を起こしているそれであるが、当然ながら万能ではない。
現在は利点として機能した交換による慣性の消失は防御面でこそ優秀ではあれど、運動エネルギーをリセットしてしまう点においては攻撃面では決して優秀とは言い切れない。
例えるなら、高高度から落下した飛来物を相手の頭上すれすれに転移させたとしても、それはその頭上に転送された時点から改めて落下エネルギーを得ることになる。つまりはそのものが持つ重量分の加速度しか得られないのだから、攻撃に転用するには難がある。
希少な“転移系”能力である為、正確な実情については姫更のみが知る所であるが、三肢鴉の中でも足として知られる内に周知されている制限がいくつかある。
例えば、固形・液体・気体を問わず交換できる優秀な側面を持ちながらも、何故か“生物”に対してだけは姫更本人の直接接触が必要な点などだ。
これは推測として標の【拡散受信塔】の様な【感応強化】――精神干渉系能力が、同様に精神干渉する類の能力が発動している場所や相手へ効きづらいという現象にもある能力の相殺、または生物が持つ意識が座標交換に干渉している可能性が示唆されている。
この為姫更の能力では“生物の体内の一部を異物と差し替える”や“遠隔から生物を生存不能空間に送り込む”事が出来ない。
この模擬戦が始まってすぐ、姫更が隙を狙って勇未子に飛び掛かろうとしたのも上記に由来するものだ。
故に勇未子も姫更の行動には注意を払っていた。
如何に万能な破壊性能を持つ勇未子とて、例えば海中深くに沈められたマーカー周囲に海水と入れ替えて転移などされてしまえば溺死より以前に水圧による即死は免れないのだから。
模擬戦である以上、転移自体は実行されないのは間違いない。けれどそれで勝負がついていないとするには、審判たちの目は優しくはないだろう。
逆に言えば勇未子が相手へと触れた場合も同様だ。能力を発動させるつもりはなくとも、触れれば破壊と言うのはそれだけでアドバンテージがある。
「ッシャァオラァッ!!」
姫更が隠れているであろう瓦礫へと、勇未子が拳を振るう。
ズシャッ、と。砂を殴りつけた様な音が響き、瓦礫に大きな穴が開くが、既にそこに姫更の姿はない。
「姉さん、平気?」
「大丈夫」
勇未子の後方から声が聞こえる。振り返れば、そこには無傷の姫更へと廻が声をかけていた。
『一瞬の攻防ー!! すごい! 飛んできたコンクリを転移で壁にしちゃいました! 【粉骨砕神】によって地面をくりぬいて盾にし、最後は投擲物としてとにかくガトリングを止めたかったって事でしょうねー。解説おいつかねーってーの!』
怒涛の攻防に出来た途切れ目を縫うようにキンキンと響く声で標が捲し立てれば、知らず息を詰めていた観戦席ではどっと空気が弛緩する雰囲気が漂う。
そんな観戦席の事は既に意識から抜け落ちているのか、勇未子は再びひと塊になった廻達へと進路を向けて飛び掛かる。
「――あとは手筈通りに」
「ん」
とん、と。互いの手の甲を軽く合わせる様にぶつけ、姫更が再び勇未子の左側へと転移する。
勇未子は姫更を一瞥するも、動き出した足は先ほどと変わらず廻を狙ったまま直進を選択していた。
姫更をフリーにする危険性は先ほどの一幕で勇未子とて重々承知。だが、先の攻防を通してわかったのは危険性だけではない。
「(姫更は後回しだ。逃げに入った姫更にゃあたしじゃ追い付けねぇ。――でも、こっちは違う!)」
転移を駆使して縦横無尽に移動できる姫更とは違い、廻はあくまで外見相応の身体能力しか発揮していない。
それを正確に把握した勇未子の掌底が間一髪で首を傾けた廻の頬を掠める。
「オラオラ実戦じゃ接近戦の方が多いんだぜぇ!」
両の手を乱雑に、しかし面積の多い場所を狙って繰り出される勇未子の腕を、廻は紙一重で回避する。
「承知の、上です!」
迫る次撃――伸ばされた勇未子の腕を、廻が握り込んだ自動拳銃のグリップの底を横合いから叩きつけたことで勇未子の手が空を切った。
「――ッ!?」
すかさず牽制するように自動拳銃のスライドが弾かれ、至近距離で弾丸が勇未子へと迫る。
咄嗟にうなじの辺りを焦がす様な危機感に攻撃を中断して勇未子が身をずらせば、吐き出された弾が勇未子の腋の間をすれすれに飛ぶ。
先ほどまで勇未子が狙おうとしていた打撃。それを行っていれば、今しがた突き抜けた弾丸は確かに肺を貫く位置を抜けていた事実に、勇未子はゾッとする。
「気づきましたか?」
――構わず攻撃していれば、実戦ならば引き換えに肺を貫かれていた。
廻の静謐さすら湛えるような瞳と視線が交わり、勇未子はまぐれではないと理解する。
「面白れぇことするじゃねぇか!」
「退いてはくれませんよね!」
『うおおおおおおっ!? これは意外! めぐっちときっきーの近接戦闘だー!!』
打撃と牽制射――触れれば終わりの勇未子と、動きを先回りして銃弾を置く廻の至近戦闘の応酬に、観戦席では歓声が上がっていた。




