7-14 兎と子猫と破城槌
廊下での騒動があった翌日。
時刻は午前9時50分を過ぎたあたりであり、普段ならば自主訓練の為に訪れた組員の姿がまばらにある程度の訓練室は、ガラス一枚を隔てた熱気に包まれていた。
というのも、先日の約束を現実のものにすべく勇未子が本部のまとめ役である葛木に話を持って行ったタイミングが悪かった。
丁度、夜鷹の面々と同様に支部長会合に参加する為にやってきていた他の支部の長達が、翌々日に控えた会議とは別に雑談に興じている場で、三肢鴉きっての“破壊力を有する勇未子”と、ここ2年の間に一躍有名となった“不死身の黄泉路”の対決という話題に、賛否両論はさておいても皆興味津々となってしまい、審判役とは別に観戦したいという要望が募ってしまったのだ。
当然、その申し出は葛木を通して夜鷹側――主に模擬戦の段取りを取り決めていた廻――へと伝えられ、廻がそれを了承した結果、今に至るというわけである。
「おっしゃー! こんだけギャラリーが居る場でキメりゃあ――」
強化ガラスで区切られた、本来は控室とも休憩室とも呼べる場にぎゅうぎゅうに詰まった支部長や随伴の支部員たちを一瞥した勇未子が硬いコンクリートが敷き詰められたタイルの上で筋肉をほぐす様に腕を伸ばす。
その恰好は前日のつなぎ姿とは変わり、当人にとっての勝負服なのだろう。古典的な暴走族のような紫に金の刺繍が入った派手な特攻服という、時代錯誤を感じさせるものだ。
自信に満ち溢れた表情は、その意識が既に勝利した後の展望へと向けられている事を示しており、視線はそろそろやってくるであろう対戦相手の登場をまだかまだかと待ちわびていた。
開始時間まで残り5分をきるかという頃になり、勇未子が入ってきた訓練室の扉が再び開く。
「ハッ。逃げずに来るたぁ上等上等。あたしとアンタの格の違いってもんを……おぉん?」
さっそく、先制一撃とばかりにジャブのような口撃を仕掛けようとした勇未子の声が、その視線の焦点が一点に集約されるにつれて尻すぼみになり、最後には怪訝そうな声音へと変わる。
「はい、正々堂々闘いましょうね」
開戦前だというのに、気負いなくふわりと笑う――少年。
健康的な茶髪がふわりと揺らして勇未子の対面に立った朝軒廻は、その歳相応のくりっとした鳶色の瞳に理知的な光を宿し、観戦席となっているガラスの向こう側へとひらりと手を振った。
それに困惑するのは勇未子だけではない。
【黄泉渡】が【破城槌】と戦うからこそ、こうして集まっているといっても過言ではない支部長、随伴員達もまた、あの少年は何者だという表情で口々に囁き合う。
「おいテメェ。アイツはどうしたんだよ」
「……? 誰の事でしょう」
「トボけんな! あのモヤシ野郎の事だ!」
「――ああ、黄泉兄さんなら、あっちにいますよ?」
「あぁ゛!?」
くすりと含んだ笑みを浮かべた廻が指で示す先――観戦席のガラスの向こうでは、ちょうど美花と黄泉路が姿を現し、黄泉路の身なりを知っていた者は驚きを、そうでない者は困惑を浮かべて成り行きを見守っている所であった。
そんな黄泉路達が、審判役の為の最前列へと腰を下せば、ますますもって混迷を極めた勇未子が怒鳴り声をあげる。
「何でテメェがそっちに居やがる! テメェはこっちであたしと――」
「勝負をするのは僕とですよ?」
「んだとぉ!?」
何かの冗談、というのであればこれ以上神経を逆なでする物もない。そう主張するようにこめかみに青筋を浮かべた勇未子の啖呵を遮った廻へと視線を戻せば、廻は何ということもないという風に淡々と事実を並べる。
「だって貴女は“夜鷹支部に弱い人材がいるのが我慢ならない”んでしょう?」
「だったら何だよ!」
「――なら、戦うのは僕でも構わない――どころか、僕が最適と言えるのではないでしょうか」
「何だと!?」
「それにほら、よく思い出してみてくださいよ嬉々月さん。……僕は条件を出した時一言も、“黄泉兄さんが戦う”とは言ってませんよ?」
「ん、なっ!?」
あまりにもあんまりな主張をさも当然のように口にする廻には、さすがの勇未子も絶句して口をパクパクと開閉させる。
その隙を突くように、廻はさらに言葉を畳み掛けた。
「それに、昨日最後に言ったじゃないですか。『明日の戦い、楽しみにしてますね』って」
「あぁっ!!!」
言われ、確かに聞いたと勇未子は愕然とした表情を廻へと浮かべ、その後、ハッとなった様に審判席に向けて声を張る。
「いや、ちょっとまてよ!! おかしいだろ!? あたしはそこのモヤシ野郎に対して喧嘩売ったんであってだなぁ!? そもそもコイツ、夜鷹の支部員なのか!?」
夜鷹の所属でなければ模擬戦の相手足りえないというのは、先ほど廻が宣言した通りだ。故に、その疑義は確かに的を射たもので。
実際、廻は正規に三肢鴉に所属しているわけではない。三肢鴉に所属する黄泉路が預かっている子供であり、また、夜鷹の支部長である皆見の方針として、幼い子供を前線に出すとは考えづらい事もあり、勇未子も皆見を知る他の支部長も、その主張は真っ当なものであるように思われた。しかし、
「その主張は通りませんよ。先日条件を提示した際、僕はこちら側としか言っていないのにあなたは夜鷹側と解釈しましたよね?」
「てめ――最初から!?」
「此方が出した条件を呑んだのは嬉々月さんです。それに……」
廻の浮かべていた笑みが引っ込み、来年から中学に通う事になる少年とはとても思えないような気迫を伴った視線が勇未子を射抜く。
「大切な人を侮辱されて怒ってるんですよ、僕。貴女に挑戦する理由にこれ以上の不足もないでしょう?」
有無を言わさぬ雰囲気で廻が問えば、勇未子としては異議を飲み込まざるを得ない。
何せ勇未子が黄泉路に突っかかった理由の大半は、自身の敬愛する人物の為であると勇未子自身が自負しているのだ。
自身の動機がそこにある以上、相手側だけを退けるのはフェアではない。
「……いいぜ。その挑戦、受けてやる」
「そう言って貰えると思ってましたよ。……それで、最後の条件なんですが」
「まだあんのかよ!?」
ぎょっと目を剥いた勇未子に、廻はふっと表情を和らげてひらひらと手を振る。
「いえいえ、本当にこれで最後です。……夜鷹に弱い奴は必要ない、嬉々月さんの主張はこれで間違いないですよね?」
「ああ」
「なら、現状で実力が分かっていない人が僕の他にもう一人、夜鷹に居るんですよ」
「……だったらなんだよ」
「ですから、多くの支部の方がいらっしゃっている今回の挑戦、せっかくですから、僕は姫姉さんとタッグで挑ませていただきたいと思います」
「んだとぉ!?」
廻と事前に打ち合わせしていたのだろう。廻の呼ぶ声に呼応する形で並んで立つように転移してきた姫更の姿に勇未子がもう何度目かになる驚きをあらわにし、観戦席が再度どよめく。
「黄泉兄さんの強さを疑う以上、僕の強さだって疑っているんでしょうし、下に見ているんでしょう? なら、これくらいのハンデは飲んでもらいたいものですね」
「……チッ。判ったよ。まとめてかかって来い。それでもあたしの勝ちは揺るがねぇ!」
「ありがとうございます。それでは、両者合意になりましたので。オペ子さん、お願いします」
もはや口では勝てないと悟った勇未子は渋々ながら条件を呑む。とはいえ、それはふたりになった所で自身が勝つという自信があればこそ。
自らの拳を打ち合わせ、重心を僅かに落として臨戦態勢を取った勇未子に、廻は表情を引き締めて姫更の手を取る。
『はいはーい! 唐突な選手交代で驚きもありましたが、私としては安全にガチなフェアプレイがあればどっちにしろ盛り上げて見せますので無問題! ここからは実況解説のオペレーターこと、オペ子ちゃんが中継いたしまーす! いぇーい!! それではそれではー。両者の健闘を祈ってー、試合開始ぃー!』
姫更が小さく頷けば、観戦席を含む訓練室全域に響き渡るように、標のハイテンションな声が開戦を告げた。