7-13 コード:破城槌3
騒がしさから一転、夏だというのに冷ややかさすら感じてしまう静けさの中、騒ぎの中心であった勇未子――と、不本意ながら黄泉路もである――は掃除の行き届いた床に正座を強いられていた。
ふたりを見下ろすのは、完全に眠気が醒めたらしい美花と、先ほどまでの黄泉路の変わりように驚きが未だ抜けていない姫更だ。
「……それで。何?」
何があったのか、と、改めて問われてしまえば、黄泉路としてはどう答えたものかとちらりと勇未子を見やる。
短すぎる関係ではあるが、この手の輩は恥じることなく自らの要望を主張するだろうと思ってのパスであったが、
「あー……えーっとですねぇ姐さん……」
「はっきり言う」
「スンマセン!!!!」
「謝るより先に事情」
どうにも歯切れが悪く、それどころか姫更への対応以上にしどろもどろになっている勇未子の姿に黄泉路は拍子抜けしてしまう。
しかもやはりといえばやはり、話が一向に進展しない事もあって、美花の視線が黄泉路へと向けられる。
「黄泉路、説明」
「……此方の、嬉々月さん? ですか? ――に、いきなり絡まれまして」
「あ、テメッ!」
「勇未子」
「ハイ……」
結果的に告げ口の様な形になってしまったものの、確かに部屋の前で騒いでいた自覚がある以上、誤魔化す事も出来ないと判断した黄泉路が端的に事実を述べれば、隣で正座した勇未子がくわっと目を見開く。
が、見越したように美花に制され、しゅんと居住まいを正す姿はどこか大型犬のような雰囲気すらあり、黄泉路としては益々持って混乱するほかないが、それはそれとして説明の続きを眼で促された黄泉路は改めて続きを語る。
「いきなり勝負がなんだと言い出して、自分が勝ったら僕に夜鷹を出て行けとかなんとか――」
「勇未子?」
「ひゃい!?」
明確な圧を伴った二度目の呼びかけに、勇未子の肩がびくりと跳ねる。
もはや黄泉路への口止めまがいの威嚇をする余裕もないほどに冷や汗を浮かべた勇未子がおろおろと視線をさまよわせる姿には、絡まれた側である黄泉路をして同情を禁じ得ないが、それで美花が治まるかと言われれば否だ。
「黄泉路は夜鷹の所属。それは組織としての決定」
「だ、だってよぉ姐さん! こんなひょろっこいモヤシ野郎が――」
「……」
「んんっ。こんなナヨナヨした野郎が夜鷹でまともに仕事できるとは思えねぇんすよ! だったら戦力として間違いないあたしがこいつと代わった方が組の為ってもんっしょ!?」
「勇未子は強い。でもその強さがあるから、本部にいる。違う?」
「……違わねぇっす、けど……」
強い事自体は否定せず、被せる様に役割を説く美花の言には勇未子も頷かざるを得ない様子で言い淀む。
しかし内心では未だ納得いっていない事は明白であり、不満や未練が垂れ流しになっている勇未子の表情を見て美花は小さくため息を吐いた。
「それに黄泉路は、この2年間よくやってる」
「――そう、それっすよ! 皆【黄泉渡】はすごいとかよくやってるとしか言わねぇから、あたし自身の目で確かめてやろうと思ってっすね!!」
「だからって、夜鷹を出て行けは、言いすぎ」
「……うぃっす」
「判ったら、謝る」
「……」
「勇未子?」
謝罪を促され、黙り込んでしまった勇未子へと声をかける美花の声に圧はない。だが、圧が無いからこそ、自ら進んで非を認める事を求められていると理解した勇未子の表情は苦々しい。
「……わる、かった」
「黄泉路」
絞り出された謝罪に、美花が黄泉路にも受け入れる様に促せば、黄泉路は静かに息を吐く。
久しぶりに羽目を外している自覚がある分、黄泉路としてもここで手打ちに出来るならばそれでいいと思っていた――
「はぁ……。わかりました。夜鷹に相応しくない云々については水に流します」
「偉っそうにしやがって」
だが、直後に唾を吐くような言葉を重ねられれば、元が過熱されていた分すぐに苛立ちが再沸騰するのは自明の理で。
「まだモヤシ云々とかは謝罪してもらってないからね。人のコンプレックスにズカズカ踏み込んでくるヤツに礼儀なんて払うだけ無駄だろ?」
「ンだとテメェ!」
「渋々謝ってるのが見え見えなんだよ! 美花さんの顔を立てて謝罪受けてやってる事くらい判れよ幼稚園児!」
正座したまま罵り合うという器用な真似を始めた両者に、さすがの美花も唖然として言葉を失う。
姫更が固まってしまったのも相当であるが、このように他人と喧嘩をする黄泉路の姿を見たことがないのは美花も同様である。
加えて美花とて口が回る方ではないし、対人技能が高いとはお世辞にも言えない。そんな美花がとった手段と言えば、
「あだっ!?」
「っ」
ゴツン、と。音が響く勢いで振り下ろされたゲンコツが両者の頭上に振り落ち、ほぼ同時にふたりの頭が傾ぐ。
「両成敗」
「……ったた……今のは完全にコイツが悪いじゃないっすか姐さん……!」
「元はと言えばお前が――」
「ふたりとも……?」
再び拳を構える美花がにらみを利かせれば、両者ともに口を噤むしかない。
しかし視線ではバチバチとけん制を繰り返しているのは明白で、美花はどうしてこうなったと天を仰ぎたくなる気持ちであった。
「――なんなら、勝負すればいいんじゃないですか?」
「あ?」
「えぇ?」
いつの間にか、美花の隣を離れていた姫更に連れられて姿を現した廻があっけらかんとした声音で言ってのけたその言葉に、ふたりの声が重なる。
「……姫?」
「助け、いるでしょ?」
機転を利かせたらしいといち早く理解した美花が問えば、姫更はさも当然と言わんばかりに廻の手を離し、短く答えて姿を消す。
どうやら女子部屋の中に転移し、未だ眠りこけている標を起こす算段のようだ。
室内から聞こえる小さな物音を意識から外した美花の視線が説明を求める様に、自然と廻に向けられる。
当然、三者三様の視線が一身に突き刺さる。だが、少年はその外見に似合わない落ち着き払った仕草のまま、悪戯を企てる様に小さな笑みを口元に浮かべ、
「どうせ言っても聞かないんですから、受けてしまえばいいんですよ。そうすれば嬉々月さんの疑念も晴れるでしょう?」
全て話は知っている。そう言外に告げる様に続けられた廻の捕捉に真っ先に喰い付いたのは勇未子だ。
「おー! 誰だか知らんがお前、良い事言った! こんなチビだって分かってんのにモヤシときたら――」
「とはいえ」
自らの要望を支持してくれるらしいと分かれば、すぐさま機嫌を良くした勇未子がばしんと黄泉路の背を叩く。
それに対して反論しようと口を開きかけた黄泉路と、再び口論へ発展する事を予期した廻が勇未子の声を遮って声を上げる。
「勝負する条件は夜鷹が決めます。そうでなければフェアじゃない。……正々堂々闘って勝たなきゃ意味がない、でしょう?」
「……うっ。おう、そうだな」
「では、勝負は明日の午前10時から。審判には本部側の人間と、夜鷹側からは美花さん、お願いできますか?」
「……わかった」
そもそも、なぜ勝負する必要があるのかという疑問は美花も同様である。どうにも事情を理解している様子の廻が上手い具合にかじ取りを始めた為、口をはさむことを控えていた美花が首を傾げつつも了承すれば、廻は小さく頷いて黄泉路たちへと向き直る。
「場所は本部のトレーニングルーム。判定は審判両名による実戦時における致命打と認められる攻撃。銃などであれば急所へのペイント弾等を致命打と判断し、実際に致命傷を負わせる行為は禁止、でどうでしょう?」
「……いいぜ」
条件自体は至極真っ当な物であり、まるで原稿を読む様にすらすらと言葉を並べる廻から感じる謎の圧もあってか、勇未子は黄泉路に食って掛かった時とは違い、警戒するような視線を向けながらも廻に頷く。
「それでは、明日の戦い、楽しみにしてますね」
「はっ。あたしがこんなモヤシに負けるかよ」
「それでは嬉々月さんはお宮さんへ話を通しておいてください。そこまでは本部側である嬉々月さんの役割ですよね?」
「それくらいならいいぜ」
「はい。話は纏まりましたよね。なら解散しましょう。身内の施設とは言っても他の支部の方々もそろそろ集まりだすんじゃないでしょうか? 明日には決着がつくんですから、それまでは大人でいましょう」
パンパン、と。これで終わりというように手を鳴らす廻の進行能力の高さに唖然としていた黄泉路もさすがに復帰すれば、隣に正座していた勇未子が先に立ち上がる。
「……なんかやりにくいなお前」
「分かったよ廻君」
勇未子にしてみれば、既に要件は満たしている。これ以上長居する理由も強いていう程ではないし、それにしても廻と言う、ある種未知の存在から感じる強さとは別種の圧に対する居心地の悪さが勝ってしまっている。
ひらひらと手を振って、見ようによっては逃げる様に廊下を歩いて去る勇未子を見送った廻は黄泉路に手を差し伸べる。
「さて、黄泉兄さん。お風呂行きましょうか」
「ねぇ、さっきの話なんだけど」
「まぁまぁ。その話はお風呂の中でしましょう。さ、姫姉さんも標さんを連れてくる頃ですし、美花さんもそれでいいですよね?」
「……問題はない……のかな?」
首を傾げる美花を余所に、黄泉路を促す様に手を引く廻が風呂場へと歩きだせば、背後で扉が開く音が鳴り、
『……何かあったの?』
こういう時こそ両者に対して弁が立つであろうと美花が一番期待していた救援が、すべてが終わった後で眠気眼を擦りながら姿を現した所であった。