2-1 三肢鴉1
出雲が状況を認識したとき、世界は逆さまになっていた。
――より正確に表現するのであれば、出雲自身が逆さまになっていた。
「――っ!?」
夜の森の中から一転、クッションのような柔らかな感触に頭を埋め、背もたれの位置に両足を投げ出した状態で転がっていた。
その状況に呆気にとられ、何がどうなったのかを認識するよりも早く、出雲の目の前で次々に現れるカガリと美花、リーダーと呼ばれた男に、最後に少女が現れる。
ようやくといった具合に体を起こした出雲が周囲を確認すれば、そこはどうやらホテルの一室であったようで、出雲が体を投げ出していたのは見るからに高級感のあるソファであった。
困惑した様子を隠すこともできないでいる出雲をよそに、カガリなどは大きく伸びをしながら備え付けてある冷蔵庫から高そうな酒瓶を勝手知ったると言った具合に取り出してそのまま瓶に口をつけて飲み始めている。
「驚いたか?」
不意に背後から声をかけられて内心では心臓が跳ねる様な思いをするものの、置かれた状況がすでに混沌としているおかげか表面上はさしたる動揺を重ねることなく声のほうへと振り返れば、リーダーと呼ばれた壮年の男性が立っていた。
「あ、はい……」
「そうか」
それだけ言うとリーダーはカガリが飲み物を取り出した冷蔵庫からソフトドリンクだとわかる類の飲み物を取り出してグラスに注ぎ、出雲へと手渡す。
戸惑いながらも受け取った出雲をよそに、出雲が投げ出されていたソファの対面に座って出雲を座るように促した。
助けを求めるように視線をめぐらせるも、既に美花は少女と共に室内に区切られた隣の部屋の方へと移るところであり、カガリも酒精を煽りながらベッドに腰掛け、備え付けられたテレビを見ている所であった。
この場にリーダーと対面するしか選択肢がないと悟れば、出雲は腹を括ってソファへと腰を下ろす。
「まずはいくつか疑問に答えておくことにしよう」
「は、はぁ」
出雲が座るなり、リーダーはサングラスもはずさぬままに唐突に口を開く。
言葉の意味は理解できるものの、展開としては余りに性急であった為、出雲の返事が思わず気のない物になってしまったのは仕方のないことだろう。
「私は三肢鴉――世間ではレジスタンスなどと呼ばれているな。その代表を務めている。本名は神室城斗聡というが、便宜上リーダーと名乗っている。これでも政府から指名手配されているのでな」
「えっと、リーダーさん、と呼べばいいんですか?」
「ああ。それで構わない。ついでに言えば君をここまで転送したのは私の娘、名前は姫更という」
「はぁ……」
どうやら目の前の人物が一応は説明をしてくれるのだと理解すれば、出雲は困惑した表情のまま曖昧に返事を返す。
話を続けても問題ないと判断したらしいリーダーは出雲の困惑をよそにさらに言葉を続ける。
「道敷出雲。君はこの世界をどう思う?」
「……え、えっと。どう、とは?」
「能力者にたいして一般人が抱く偏見や差別、謂れなき中傷。それらを放置し、ましてや秘密裏に自ら設定している法を侵してまでそれらを奨励する様な政府、社会に対してだ」
出雲は唐突とまでは言わないものの、いきなりスケールが跳ね上がった問いに言葉を詰まらせた。
そもそも出雲は施設へ監禁されるまではリーダーの言う一般人であったのだから仕方のないことであろう。
現在でこそ能力者と呼ばれる者達が日の目を見るようになってから既に少なくない時間が経ち、ある程度常識としてそういった存在が認知されている。
しかしそれも完全に浸透しているわけではなく、一般人と能力者の間の溝はそこまで狭まっているわけではない。
ちょうど、日本と言う銃刀法によって銃規制がなされた国家に住む一般的な市民が、外国での銃犯罪をメディア越しにそういうものもあるのだと、実感はないまでも認識しているといった具合が、一般的な能力者に対する認識である。
出雲のように、能力者の横暴によって犠牲者が出ることもあれど、むしろそれはかなり確率が低い方なのであって、町を歩けば能力者が暴れまわっているなどということはありえない。
だが逆に言えば、能力と言うのは得てして通常の銃犯罪や傷害事件などに比べて派手であり、半ばエンターテイメント化したメディアの報道などによって数少ない事件を過剰に不安を煽る報道によって脚色されている側面もあった。
こと、日本では銃刀法により一般人がおいそれと武器の類を入手できないこともあり、凶悪犯罪が発生しにくいお国柄上、そういった制約に縛られず身一つで犯行に及べる能力者という存在は忌避される風潮にある。
能力と言うものを深く理解できていない一般人も多く、能力者全体への偏見も根強いのが現状である。
もちろん、世間に溶け込んでいる無害な能力者が大半であることも決して忘れてはならず、むしろ大半の一般人はそういった能力者に気づくことなく生活を送っているのだ。
「……僕自身、あの施設に監禁される直前まで、ただの高校生で、そんな、一般人の一人でした。だから、僕が何かをいえる事じゃない、と、思います」
「しかし、能力者として覚醒し、国に人権を奪われ、尊厳を踏みにじられた被害者だ。その君は政府に、社会に対して、声を大にして訴える権利がある」
「それは……」
たしかに、そういう見方もあるだろう。
出雲は目の前の男の物静かな姿からは想像もつかないほどの、内側にたぎる意志の強さに言葉を区切る。
リーダーから発せられる言葉に、出雲は気休めや安易な同調を憚られる、ある種の真摯さを感じていた。
「我々はそういった、能力者への不当な差別や政府の非道徳的な暴挙に対して是正を求め、影に身を丸めている多くの同胞が大手を振って日の元を歩ける社会を作る事を目的とした集団だ」
重く、深く響くリーダーの言葉が、出雲の耳にスッと入ってゆく。
「その活動の一環として、君のように居場所を失った能力者の生活を保障すると言うことも含まれている」
「あの……僕の居場所がないって……」
「ああ、知らなかったか。君は世間では既に死亡したことになっている」
「っ!?」
ここへ来て一番の爆弾発言に、出雲は目を瞠って言葉を失ってしまう。
出雲がショックから立ち直るより早く、リーダーは言葉を続ける。
「君のように能力者に襲われ、覚醒したケースではよくあることだ。事後処理と称して踏み込んだ研究所と繋がりのある警視庁特殊能力対策課の人間が保護の名目で人目を避けて拉致し、そのまま公には死亡したと発表すればいいのだからな」
能力者の実態をよく知らない一般市民ならば、死体が残らないレベルで破壊されていたと発表すれば訝しみこそすれ確信は抱けないだろうと締めくくるリーダーに、出雲はようやく思考が追いついて来る。
「それじゃあ、僕は、もう外を出歩けないんですか……?」
「いいや、そういうわけではないさ。まさか死んだとされている人間を政府が指名手配するわけにも行かないからな。ただ、今までと同じ名前で活動するには支障が出るだろう。そちらについては後ほど新しい戸籍を用意するので、以降はそれが君の名前となる」
戸籍を用意する、と、簡単に言い放ったリーダーに、出雲はレジスタンスが思ったよりも大きく、社会に浸透した組織であることを今更ながらに認識して神妙にうなずいた。
「明後日には我々の拠点のひとつ……カガリや美花が常駐している支部へと連れて行くつもりだ。続きはまた今度にするとしよう。疲れを取るために早く休むといい」
一方的に話し終え、リーダーは席を立つ。それに合わせたように隣の部屋から美花を伴って現れた少女、姫更がリーダーへと手を差し出し、リーダーは何のためらいもなくその手を握る。
「それでは、また会おう」
それだけを言い残し、リーダーと姫更の姿が一瞬にして消える。
嵐のような展開に、出雲は暫し呆然とふたりが消えた立っていた場所を眺めていた。