7-11 コード:破城槌
傾きかけ、橙の色彩を宿し始めた日差しが遠泳から戻った黄泉路達を出迎える。
「お帰りなさい」
「おかえり」
心地よい疲労感に眠たげな瞳を更にぼんやりとさせている美花と、肉体的疲労とは無縁ではあれど精神的に満足を超えて多少の疲労を感じつつある黄泉路を、見事な砂の城に並び立つようにして待っていた廻と姫更が出迎える。
ずっと作業していたのだろう、ふたりともほんのりと赤らんだ肌をしている姿に、黄泉路は小さく笑う。
「日焼けしてるけど大丈夫?」
「……」
「我慢、する」
年相応の言動が少ない廻にしては珍しく、作業に没頭するほどに楽しんでいたらしい。目を逸らした姿に黄泉路は少しばかり安心する。
廻が何かを抱えているということは分かるが、当の本人が介入を望まない以上は見守るほかない。
もどかしさを飲み下し、今にも寝に入りそうな美花の手を引いて黄泉路達がパラソルへと戻れば、標はどこからか持ち出したらしいブランケットを掛けて眠りこけていた。
「標ちゃん。起きないとそろそろ風邪引くよ」
『――。■■■■』
肩を揺らして声をかける黄泉路の意識に返ってくる音無き声。言葉として機能していない曖昧な言語の塊の様な思念は標の意識が未だ夢の中にある事を如実に物語っていた。
「……美花さん。お願いできますか?」
「ん。お先」
ブランケットごと標を背負った美花が小さく頷き、林の奥に見える小高い立地に建ったホテルの方へと歩いて行く。
その背を見送った黄泉路は姫更と廻に声をかける。
「それじゃ、片づけしようか」
「はい。大きいのは任せていいですか」
「纏まったら、送る」
小物やごみを中心に集めては、片づけに際して取り寄せたらしい袋へと詰めてゆく姫更と廻を一瞥し、黄泉路もバーベキューセットの台やテーブル、パラソルを畳んでは一か所にまとめる。
それらの作業が全て終わる頃には、赤く染まった太陽が水平線に半分ほど身を沈め、日差しは海面に揺れて眩い道の様に伸びる夕暮れ時になっていた。
頭上では藍色が濃くなりつつある空に星の瞬きが散り、遠からぬ夜の訪れを告げている。
「これで、終わり?」
「後は僕たちが戻れば撤収完了だね。姫ちゃん、お願いできるかな」
「任せて」
荷物を片付け終えた姫更に手を差し出せば、廻と黄泉路の視界がぐにゃりと歪み、次の瞬間には今朝方見た覚えのある清潔感のあるホテルのフロントの様な光景が目の前に広がっていた。
僅かに遅れ、姫更自身もすぐ後ろへと飛んでくれば、暖色系の照明によって暖かに照らし出されたエントランスに3つの影を落とす。
「おふろ」
「そうだね。美花さん達にも声掛けてみようか」
「ん」
どうやら姫更もはしゃぎすぎて疲れたのは同様らしいが、それでも眠気に打ち勝とうとしているのは、髪をべたつかせる潮気の不快感故のものだろう。
ふらりと歩きだした姫更を支える様に黄泉路が手を繋げば、姫更は少しだけ目が覚めた様子で歩きだす。
エレベーターに乗り、揺られる事僅か。軽快な音と共に開かれた3階のフロアへと降り立ち、エントランスが見下ろせる吹き抜けの手摺沿いを歩いて客室が並ぶ通路へと足を向ける。
暖色系の色調で整えられた廊下は等間隔に木目模様の扉が並んでおり、黄泉路はプレートに印字された番号を流し見ながら割り当てられた部屋へと歩いて行く。
「僕、兄さんの分も着替え持ってきますね」
「じゃあ、僕はここで待ってるから」
「わかった」
男女別で横並びになっている部屋の前。女性陣が中にいるであろう扉の前で一端別れた黄泉路が廊下の壁に背を預けた所で、廊下の照明が人影を落とす。
「――おぉーん? テメェそこで何やってやがる?」
怪訝さを隠しもせず、どこか威圧するような女性の声音に黄泉路が振り返れば、廊下の角を曲がったあたりから今しがた姿を現したらしい一人の女性と目が合った。
脱色とパーマを重ねた痛み切った金髪をがさりと揺らしてずんずんと近づいてくる女性の視線に黄泉路は僅かな苦手意識がちらりと脳裏によぎるものの、黄泉路には特にやましい事もない。
その為視線を逸らす事もなく、女性が近づいてくるのを見つめるにとどめていれば、腰に上半部を巻き付けたつなぎにペンキをぶちまけた様なカラフルなタンクトップというラフな格好の女性が黄泉路の目の前で立ち止まる。
「おうコラ、何とか言ったらどうなんだ、おぉん?」
「……連れを待ってるだけですよ。これで構いませんか?」
女性にしては身長がやや高めの為、黄泉路の背格好に対して上から覗き込むような女性を見上げ返す形になった黄泉路はタンクトップの隙間からスポーツブラが僅かにはみ出して見えてしまうのをあえて見ない様に僅かに視線を逸らす。
だが、自身から目を背けた事を不快と感じたらしい女性はじろりと険しい目つきを黄泉路の顔へと注ぎ、
「ここは姐さんの部屋ん前だ。部屋間違えてんじゃねぇのかモヤシ」
「……姐さん、っていうのが美花さんの事なら、この部屋で合ってるはずだけど?」
さすがに、この数年地味に悩んでいる事を無遠慮に踏み込んでこられては、黄泉路が如何に寛容で――悪く言えばヘタレであっても――普段気を付けている口調が乱れる事は致し方ないと言えるだろう。
初対面だからこそ、黄泉路は目の前の女性を苦手だと思う。
「――ほぉーう……? んー? つぅことはあれか……? ほぉん? ふぅん? はぁん?」
そんな黄泉路の様子に頓着もせず――正しく、黄泉路の心象などどうでもいいのだろう女性はじろじろと、黄泉路の顔へと向けていた視線を首から鎖骨、胸、腰と値踏みするようにじろじろと視点を変えて見つめては言語と音の中間の様な唸り声をあげる。
「さすがに、ジロジロみられるのは嫌なんだけど」
「うっせぇモヤシ。……一つ答えろ。アンタ名前は?」
黄泉路の抗議を受けた女性が吐き捨てる様な表情で姿勢を起こし、再び間近で見下ろすような姿勢のまま黄泉路へと問う。
「迎坂……黄泉路」
相性が悪い。そう感じつつも律儀に応えた黄泉路の名に、女性は予想が当たったという様な、不快気な表情を浮かべ、
「――やっぱテメェがあの不死身の……。何でテメェみたいなひょろっこい雑魚モヤシが夜鷹に居んだよ」
久々の敵以外から向けられる負の感情に、黄泉路は今度こそ返す言葉を失ってしまうのだった。