7-6 夏休み6
本部に来てからの怒涛の様な勢いに流され、ちゃっかり用意されていた水着に着替えた――例によって例の如く、なぜぴったりのサイズがわかったのか等は気にすると精神衛生上良くないという現実からは目を逸らした――黄泉路は、設営の終わったパラソルの下で砂浜を眺めていた。
直射日光が遮られていても、じりじりと肌を焼くような熱気だけは避けようもなく。その体感を強める様に日差しを反射して目を焼くような砂浜に、黄泉路は黒々とした瞳を細める。
無論、砂浜に目を向けないという選択肢はある。だが、黄泉路の横にいる存在達がそれを許さない。
『よみちんよみちんーほらほら早く日焼け止め塗ってくださいよー』
「……」
『美少女の肌に合法的に触れるチャンスですよー?』
無視してやり過ごそうとしている黄泉路に、許さぬとばかりに思考に直接騒ぎ立てる様にねじ込んでくるテンションの高い女性の声。
「……(目のやり場に困るから、逸らしてたのになぁ)」
『なんだー、よみちんもやっぱり興味あったんじゃないですかぁー。きゃーよみちんのむっつりすけべー』
「……はぁ」
文字通り思考を読まれ、黄泉路は嘆息しながらもそちらへと向き直れば、黄泉路とそう年の変わらないように見える少女がトレードマークでもある赤茶色のツインテールを揺らしてにまにまと笑っていた。
笑っていた、といっても、その口は横一文字に結ばれたままであり、それが少女――藤代標の感情表現の仕方であると慣れている黄泉路は困ったように頬を掻く。
出会った頃と比べて聊か成長した標の身長はそれでも少女然とした小柄なもののままであるが、プロポーションに関しては既に少女と呼ぶにはやや育ちすぎており、胸を強調し腰のラインを細く見せるフレアタイプの濃いオレンジ色のビキニがそれをより一層引き立てていた。
身長差の関係から、その標を見下ろす形になってしまう黄泉路は意識して標の眼を見る様に視線を固定しながら、白状するように呟く。
「そりゃ、興味はあるよ。僕だって男だし」
『わっ、わっ! 普段のよみちんの草食っぷりからは想像もできないワイルドな発言! 夏!? 海だから!? 大胆で格好いいー!』
「茶化さないでよ。騒いでばかりだと折角可愛いのに台無しだよ」
気恥ずかしさよりも辟易した様な声音がより一層黄泉路の本音がそこにあると言外に告げれば、標の顔が一瞬呆けたように身動きと共に静止する。
『……あ、うん。なんかごめん』
「いきなりしおらしくなられるとそれはそれで困惑するね」
そんな様子が面白かったらしく、黄泉路が年相応の笑みを浮かべて悪戯が成功したとばかりに付け加えれば、どうやら反撃されたらしいと遅ればせながら理解した標の顔にほんのりと赤みがさす。
『あー!!! もしかして、今私からかわれた!? ひっどーい!!』
「あははっ。でも水着、似合ってるよ」
『――』
さらりと告げられた言葉に赤みを増した顔で標がわたわたと身振りで動揺する。
そんな二人に割って入る様に、標が握っていた日焼け止めを引っ手繰って黄泉路の前に持ち上げたのは、白地にパステルカラーの小さな花柄が描かれたワンピースに身を包んだ姫更だ。
「黄泉にい。はやく」
「姫ちゃんまで……女の子同士で塗ったらダメなの?」
「……黄泉にい、わかってない」
むくれる様にそっぽを向く姫更の姿に先ほどとは別種の戸惑いから黄泉路が言葉を選んでいれば、
「水着を褒めてほしいんですよ。ね、姫姉さん」
目に痛い原色がサイケデリックに組み合わされたパーカーに、七分丈の水色の生地に白抜きのハイビスカスがプリントされたサーフパンツという出で立ちの廻が隣からひょっこりと顔を出し、歳に似合わない緩い笑みを浮かべて姫更の顔を再び黄泉路へと向くように仕向ける。
「むぅ……! 廻、何でいうの」
「だって言わないと黄泉路さんは気づかないですよ」
「……」
紛うことなき年下ふたりに詰め寄られ、睨むようですらある――表情変化は相変わらず乏しいものの、今ではしっかりと読み取れるようになったのは付き合いの長さ故だろう――姫更に、黄泉路はどうしたものかと内心で首を傾げながら声をかける。
「あ、はは。よく、似合ってるよ。可愛い」
「……今は、それで許す」
やはり憮然としたままではあるが、声をかける前よりは機嫌がよくなったらしい。
それでも日焼け止めだけは黄泉路の手に渡したいのか、再び差し出されてしまえば黄泉路はもはやあきらめの境地だ。
「……姫ちゃんはまぁ良いとして、標ちゃん、本当に塗って欲しいの?」
『も、もっちろんですよ! こーゆープレイ……じゃない、シチュ……んんっ。こういうおふざけって、一部の人にしか許されない天上の遊びなんですよ! やらずしてどーするっていうんですか!』
「全く……。後になっての文句は聞かないよ」
『いえーい! やったー!! 言質ゲットー!!! とゆーわけで、ミケちゃん一番手ー!』
「えっ」
思いがけない伏兵にぎょっとして声を上げた黄泉路の視線が、最後の最後まで向けまいとしていた女性へと注がれる。
「……黄泉路」
「あ、の。美花さん?」
「塗って」
既にレジャーシートの上にうつ伏せになり、準備は万端だとばかりに黄泉路を見上げる女性――狩野美花の姿に黄泉路は知らず息を呑む。
無防備に晒された背はしみひとつなく、無駄な肉が引き絞られた機能美すら感じる滑らかなラインは時折見かけてはいたはずであるが、普段とはまた違ったシチュエーションだからだろうか。黄泉路の目には全く違う物の様に映っていた。
有無を言わさぬ調子の美花に対し、本人がそういうのならという声と、それでも遠慮するべきではという葛藤が鬩ぎ合う。
「……やっぱりこういうのは、女の子同士でやるべきでは?」
『やーい、よみちんのヘッタレー!』
「標ちゃん、うるさい」
『ぶーぶー!』
騒ぎ立てる外野のお陰か、少しばかり普段とは別の緊張がほぐれた黄泉路は仕方なしとばかりに日焼け止めを手のひらに絞り出す。
「じゃあ、塗りますね」
「頼んだ」
顎の下で腕を組んだ形でうつぶせになった美花の背へと白いクリームを伸ばす様に手を触れれば、ぴくりと肩が揺れる。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと冷やりとしただけ」
「そうですか」
会話が途切れてしまえば途端に気まずいような、何か悪いことをしているのではないかという謎の罪悪感に駆られ、黄泉路は努めて無心で日焼け止めを塗る作業に没頭するのだった。