1-16 メルトプリズン10
モニター室に映されたカメラが垂れ流す灰色のノイズに、我部は忌々しげに口元をゆがめる。
つい先ほどまで1階ロビーを死守していたREXのモニターであったが、今はただ沈黙し、砂嵐だけが吹き荒れていた。
「……外の部隊が戻るまでどのくらいかかりますか?」
「は、現在も敷地外へと散会した能力者との散発的な戦闘が行われております。ですから、合流はまだ暫く――」
「では、68号がみすみすレジスタンスの手に落ちるのをここで指をくわえて眺めていろと?」
「で、ですが――」
苛立たしげに青筋を浮かべた我部に、若手の職員はしどろもどろになりながらも現在の状況から件の68号――出雲一人に拘っている場合ではない事を進言する。
普段の我部であればそのような事は言われずとも把握していただろう。
しかし、今の我部の頭の中は出雲をどうにかして取り戻す事だけが占めており、その為であればいかなる犠牲をも払いかねない危うさをその全身から滲ませていた。
「ですが、なんですか? 彼こそ有史以来人類が追い求めてきた永遠の命、何者にも侵されない生命の鍵なのですよ? それをあんな野蛮な雑種共に奪われるのを良しとするのですか?」
ギラリ、と。眼鏡の奥で光る細い瞳からほとばしる殺気にたじろいだ若い職員が口を噤めば、我部は興味を失ったように1階ロビーに設置された、辛うじて破壊を免れたカメラに映る出雲へと視線を注いだ。
「……68号、必ずや君を私の手中に取り戻してみせよう。それまでは雑種の手元に置くことを甘んじてあげましょう」
モニターの向こうに映る出雲は我部が施設へと連れてきた時のままの格好で、年数の経過をまるで感じさせない容姿で入ってきた時とは逆に、自らの足でもって施設の外へと出て行くところであった。
妖しい雰囲気を醸し出す我部の狂気に飲まれていた職員たちであったが、僅かな間を置いてハッとなっていまだ交戦中の部隊への指示を飛ばし始めた。
◆◇◆
施設の中とは違う澄んだ空気の匂いに出雲は自然と高鳴る胸を自覚しながらも、抑える事のできない喜びと共に建物の外へと足を踏み出す。
外はすでに日も暮れており、見上げた出雲を出迎えるかのように星のない真っ黒な夜空に浮かんだ満月だけが煌びやかにその存在を主張していて、病的な純白に支配された狭い空間に慣れてしまっていた所為か急に世界が大きくなったような錯覚を感じる。
頬に当たる風は冷たく、凛とした空気は収容所の中では決して味わえない新鮮さに、出雲は久しく忘れていた外の空気の美味しさをかみ締めていた。
「――僕、本当に外に出れたんだ……」
感極まったようにぽつりと呟かれた言葉は風に浚われて消えて、思わず立ち止まっていた出雲の肩を美花がポンと叩く。
「まだ敷地内。合流地点まで気を抜かない」
「あ、は、はい。すみません」
高く聳え立つ外壁は、出雲がこの場所へとつれてこられた時とまるで変わらない威容でもって、その用途が示すとおりに出雲達の脱出を阻む最後の砦のようにいずもには思えた。
唯一の出入り口でもあるゲートへと向かって一直線に走る3人を止める人影はない。
壁の外から銃声が散発的に聞こえてくる事から、カガリ達のいう陽動班がうまい事やっているのだろう。
施設の中での逃走劇や、2階での包囲、1階での無人戦車による迎撃などから比べると拍子抜けするほどに何事もなく門まで到着した出雲は、守衛をしていただろう一般向けにガードマンの格好をした人が詰め所から半身をしな垂れて事切れている姿を一瞥して門をくぐる。
今度こそ施設からの脱出を果たした出雲を迎えたのは、夜の闇が溶けた闇を纏った黒々とした森であった。
白く一定の明かりの中で過ごす事に順応してしまっていた出雲の瞳では、半ば樹海のようですらある森林の中を見通す事はできず、未だ続く銃撃の音だけがそこに人の存在を感じさせる唯一のシグナルとなっていた。
「もう少しだ。そんな心配そうな顔すんなって」
「え、僕、そんな顔してました……?」
「それじゃ、仕上げといきますかッ!」
踵を返したカガリはポンポンと出雲の頭を軽くなでて、そのまま出雲を素通りして通り過ぎた門のほうへと歩み寄る。
何事かと出雲がそちらへと視線を向ければ、両手に宿した炎でもってカガリが門を、外壁を溶かして無理やりに施設を閉鎖しているところであった。
どろどろに溶けた鉄を飴細工の如く捻じ曲げて、ものの1、2分でそこに門があったとはとても思えないほどの壁へと変貌してしまう。
「うっし。これで追っ手の心配はしなくていいな。ほら出雲、これなら安心だろ?」
ニカッ、と。まるで少年のように笑うカガリに、出雲は釣られて曖昧に微笑む。
無論意味のある行動ではあるのだが、その行動の動機は出雲を安心させるためのものであると理解すれば、自然と心が温かくなるのを感じた。
カガリが2人のもとへと戻ってくれば、美花はすたすたと歩き出し、出雲とカガリは先を歩く美花を追って小走りでついていく。
道らしき道から逸れ、森へと足を踏み入れれば、足場の悪さに思わず出雲は及び腰になりながら慎重に歩かざるをえなくなる。
待つような歩調で緩やかに最後尾を歩くカガリに僅かな申し訳なさと、やはり訓練をつんでいるのかななどという思考が出雲の頭をよぎる。
美花はと言えば、すでに出雲の1メートルほど先を何の障害もないとばかりにひょいひょいと歩いており、時折2人が――というよりは、出雲が――ついてきているかを確認するようにちらりと一瞥して立ち止まり、2人が追いついてきたころに再び歩き出しては立ち止まってを繰り返していた。
程なくして、銃声どころか人の足音すら3人のものを除いて感じられなくなった頃であった。
――ガサリ。
と、進行方向の茂みが揺れて、思わず身構えた出雲を後ろからカガリが肩に手を置いて安心させるように横に並ぶ。
「ただいま」
何の気なしに、今までと変わらない淡々とした調子で美花が茂みへと声を掛ける。
その声に反応するように再び蠢いた茂みから現れた2人の人物に、出雲は思わず怪訝な顔をしてしまった。
なにせ、現れた2人のうちの片方は、どう若く見積もっても40代半ばはあろうかという壮年の男性で、夜の森の中というシチュエーションの中で平然とサングラスを掛けている。
無造作に切られた灰色の髪だけが妙に闇の中で浮いていて、どうにも人間味を感じない。
おまけに格好が森の中だと言うのにこれから営業にでもいくのかと問いたくなるようなスーツと革靴に申し訳程度のコートという出で立ちであった。
もう1人はまだ中学にもあがっていないだろう少女であった。
きれいに切りそろえられた背中に流れる黒髪と同色の深い藍色にも見える瞳が出雲をじぃっと見据えていて、フリルのふんだんに使われている紺色のドレスはやはりサングラスの男と同様、森の中ではとにかく妙な存在感を放っている。
右手は男性の手を握っており、愛用品なのだろうテディベアを左手で抱えている姿は、どこか人形めいたものがあった。
「ふむ。首尾よく救出できたか」
深みのある男性特有の重めの声が耳を打つが、出雲はとっさに反応する事ができなかった。
代わりとばかりに隣に立つカガリが男性へと向けて口を開く。
「おう。リーダーの方は?」
リーダー、と呼ばれた男性は短く首肯する事でそれに応え、少女へと視線を落とす。
少女はリーダーを見上げて僅かに首をかしげた後、こくりと頷けば右手を離して出雲の元へと近寄り、そっとその右手を差し出す。
「……ん」
握れ、と、目で主張する少女に出雲は困惑しつつも手を差し伸べる。
出雲の手を、少女の小さな手が握ったと同時、出雲の視界はぐるりと“反転”した。