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7-1 夏休み

 8月上旬。

 夏も盛りと呼べる時期に相応しく、山中の温泉旅館【夜鷹の止まり木】の周囲は深い緑によって彩られていた。

 夏と言えば海に目が行きがちではあるが、山というのも中々に人気があるもので、特に山の幸や一時の癒しを求めた利用客によって旅館は大いに賑わっていた。

 そんな自然あふれる上層とは打って変わり、人目を避けて地下深くへと根を張るように広がった空間の内部では、長閑な宿泊客の様子とは対照的な大立ち回りが繰り広げられていた。


「はあああっ!」


 深緑色のジャージを纏った黒髪の少年の気合の篭った声がコンクリートで囲まれた室内に響く。

 同時に繰り出された拳は鋭く、相対した作業着とも呼べるような服装の男性の懐へと迫るが、男性――(くすのき)(まこと)は目尻の垂れた柔らかな印象の瞳とは裏腹な、研ぎ澄まされた眼光でもってその軌道を読み切った上で自らの右手の甲を滑り込ませて少年の拳を受け流す。

 それと並行して誠が左手から繰り出した手刀が吸い込まれるように少年――迎坂黄泉路の白く細い首へと迫る。


「――ッ」


 渾身の攻撃を繰り出したばかりの黄泉路はその反撃を避け切れず――否。避けるつもりなど毛頭ないと言わんばかりに自らの首を差し出すが如く身体を前へ。一歩でも間合いを詰めようと深く踏みこんでゆく。

 誠が繰り出した手刀は本来であれば絶対に回避すべき代物。武術の心得があろうと首を守るには限度があり、そこへ的確に叩き込まれてしまえば最悪、頸椎損傷に至る可能性すらある危険な一撃である。

 だが、その一撃をまともに受けるリスクを正しく理解したうえでなお、黄泉路は止まらない。


「なる、ほどっ」


 そうして作り出された超至近距離の間合いは身長に劣る黄泉路にとっては最適の、成人男性にしても大柄な誠にとっては慮外の物として、直後の動きに明確な差異として現れる。

 身長に比して長い誠の腕は近づきすぎた黄泉路の首を狙えず、また、伸ばし切った腕を引き戻すより早く、黄泉路の拳が誠を捉える方がはるかに速い。


「中々良い動きです」

「ありがとうございますっ!!!」


 繰り出される拳の嵐を右手と自らの体の軸をずらす事で防衛し、左腕を引き戻す時間を捻出した誠は瞠目とばかりに黄泉路へと声をかける。

 両腕と言わず全身を使って攻勢に出ているはずの黄泉路を片腕で凌ぎ切った後では、人によっては嫌味にも聞こえるかもしれない誠の褒め口上。だが、黄泉路からすれば2年前よりも誠の本気を引き出せているという自身の感触を後押しする言葉として届いていた。

 互いに差し込むような拳の応酬。その見た目に似合わず防御を度外視した激しい攻勢によって奥へ奥へと、より深く潜り込むように全力で打ち込んでゆく黄泉路に対して、誠の立ち振る舞いは静かなものだ。

 荒れ狂う獣の如き――獣でさえ、自身の損害が大きいとわかっていれば理由もなく無謀な攻勢には出ないだろうが――苛烈な攻撃を、培われた技術によって的確に受け、流し、かわす。その上で作り出した隙に流し込むように反撃の一撃を置くような戦いぶりは、大地に根付いた大樹の様な安定感があった。


「――今日は、ここまでにしておきましょうか」

「……はい、ありがとうございました」


 とはいえ、何事にも終わりはある。

 誠が如何に自身の体力を損耗せずに対処する術を心得ているといっても、あくまでもそれは人間としての範疇に収まるもの。

 黄泉路の様に無尽蔵の体力を持つ相手と延々と続けていられるようなものでもなく、また、どちらが集中力をより要するかなどは比べるべくもない。

 顎の真下でぴたりと止められた黄泉路の拳。そこに添えられた誠の手は受けるにしろ反らすにしろ、ほんの僅かに届いておらず、黄泉路がこのまま拳を振りぬいていれば強烈な一撃が刺さっていた事を実感させる構図で静止した両者が、言葉と共に脱力して離れる。

 黄泉路が夜鷹支部に所属して以降、日々の日課として根付いている戦闘訓練は、今日もまた無事に終了するのだった。


「さすがに勝てなくなってきましたね」

「僕は能力ありでの勝負ですし、本気の誠さんにはまだまだ……」


 夜鷹支部に所属して早2年。すっかり順応した黄泉路が首を振る。

 あくまでこの模擬戦は格闘技術を磨くためのものであり、技術という点で見れば黄泉路のそれはまだまだ拙く、誠と比べるのは酷というものだ。


「もしこれが実戦だったとして、能力を使用せずに戦って負けたならば、それは使わなかった当人の問題ですよ」


 それでも誠が黄泉路をほめるのは、実戦において最も重要なのは技術があるかどうかではなく、生還できるかどうか(・・・・・・・・・)だとよく理解しているが故のこと。

 実戦で能力のあるなしを不公平だと口にするものはおらず、また、どんな手段を使うことも許容されるべきである。それこそが誠が考える実戦であり、黄泉路はそう言った意味で実に実直に生き残る為の力(・・・・・・・)を身に付けてきているといえた。


「ハンデを貰って勝ったのを褒められても、なんか悔しいじゃないですか」

「ははは。向上心があるのは良い事ですが、そう易々と抜かれてしまっては私の立つ瀬がありませんからね」


 まだ暫くの間は師匠らしくさせて貰いますよ、と。冗談めかして笑う誠に、黄泉路は勝てないなぁと釣られて小さな笑みを零した。


「さて、私は旅館の仕事に向かいますので、此方をお任せしても?」

「はい。清掃が終わったら僕も向かいますね」


 一足先に部屋を出て行こうとする誠の背へと声をかければ、振り返った誠が頷く。


「今日は山の手入れなので、格好はそのままで結構ですよ」

「わかりました」


 誠が退室した事で室内に静寂が押し寄せれば、黄泉路は小さく気合を入れると先ほどの訓練の反省を脳裏に流しつつ、馴染んだ清掃用具を手に訓練室の清掃を始めるのだった。

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