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幕間4-5 猫館善喜の回顧録4

 背負い投げの要領で投げ倒された祐理の身体がコンクリートへと強かに打ち付けられ、口からは嗚咽交じりの呼気がどっと零れる。

 柔道場のようなクッション性のある床の上、なおかつ受身の取れる相手に対して行うのが本来の正しい背負い投げ――柔術の技であるが、命懸けの戦闘にそこまでの配慮を持ち込めるほど、猫館の技量は高くない。

 生来の要領の悪さから自主的に反復練習することの大事さを痛感していたからこそ、咄嗟に身体が動いてくれる程度には習熟していたというのが実情である。


「か――はっ! げほっ、ごほっ……っ! っ!!」


 突然肺から空気が奪われたことで目を白黒させ咽ている祐理の姿に、やりすぎたかと思うのも束の間。すぐに相手が自身の命を狙いに来た能力者であるという事実を重石代わりに意識を固定し、猫館は油断を振り払って残る一人へと目を向ける。


「もー。何やってるんだか……」


 視線の先では悠斗が呆れたような声音でやれやれと首を振っている所で、そこから動く様子はない。

 未だ傍観に徹している様子はいっそ潔いと思える程であったが、その言動に猫館はある種の違和感を抱く。


「――?」


 今の祐理の体勢は非常に危ういものだ。猫館の足元に転がされ、相手が殺す気であるならば追撃の一手が加えられていてもおかしくない。

 無論猫館に相手を殺傷する意味などなく、悠斗もそれを見越して悠長に観戦しているだけかもしれない。

 だが、これまでの態度から察する祐理と悠斗、ふたりの関係性を予想するならば、ここで何もしないという選択肢には疑問を抱かざるを得ない。


「(相棒がやられた事に対して反応が薄い……本当は助け合うほどの仲じゃなかった? いや、直前までの会話から信頼関係はあったはず、なら逆に、信頼しているからこそ(・・・・・・・・・・)助けない? これも何かひっかかる……)」


 相棒がやられた事で救援、ないし交代して襲い掛かってくる事を想定していた猫館は足元で未だ目を白黒させている祐理に警戒しつつも、悠斗のちぐはぐな態度に対して考察する。

 これまで、口を挟むことはあれど一切手出しはしてこなかった未知数の相手だ。祐理同様にゲーム感覚で1対1を楽しむ手合いかとも思ったが、助言の仕方を察するに祐理とは対照的に現実に即した物の見方をする人物像に思え、だとするならば何故この段階になって介入する素振りすら見せないのかと考えるうち、猫館の脳裏にある予想が浮かぶ。


「(まさか、あっちは戦闘向きの能力じゃないのか……?)」


 一瞬の隙を突いたとはいえ、相棒が地面に転がされ、曲がりなりにも窮地に陥っている状況でなお、ただ同じように佇む気弱そうな青年の姿はとても祐理のような戦闘が行えるようには見えない事も、その予想が正しいのではないかという裏付けのように思えた。

 そう考えれば、戦闘中に口を挟むだけで何もしなかったことにも合点がいく。


「(元々戦えないから、あえて飛び込む意味などなかったってことか)」

「ねぇ、ちょっと。何やってるのさ祐理。……祐理?」


 そう納得しかかった所で、不意に悠斗の雰囲気が揺らぐ。


「っ!」


 思考に逸れ掛けていた注意が再び悠斗の方へと向くも、その姿は変わらずその場にあった。しかし、


「――ねぇ、祐理ってば、え、やだ、ちょっと、祐理? 祐理、祐理っ!!!」


 初めはやはり呆れるような口調だったそれが、不安げなものから焦燥へと変わる。

 釣られて猫館が足元へと視線を落とせば、目を見開いて口を開閉する祐理の姿があった。


「……か、はっ、ぁ……っ、っ」


 何かを喋ろう、呼吸をしようとしているものの、その口からは音が出ることはない。

 猫館はすぐにそれが、背中から叩きつけられたことによって横隔膜が麻痺、一時的な呼吸不全を起こしたものだと理解し、もとより敵であることも含めて動揺を最小限にとどめることができた。

 賭けともラッキーパンチともつかない猫館の行動が最大の利益を発揮した結果であるが、猫館がその事実を正しく理解するよりも早く、


「やだ、やだ祐理!! しっかりして! いやだよ、まって、やだ、祐理、祐理、祐理ぃ!!!!」

「――ゆ……と、ま……、て――」


 辛うじて捻り出した祐理の声音すらかき消すように、悠斗が目の色を変える。


「う、あ、あぁ……あああ――ああああぁああぁああぁああぁあああッ!?」

「っ!?」


 つんざくような悲鳴と共に駆け出してきた悠斗の姿にぎょっとした猫館が咄嗟に足元の祐理から離れるように横へと飛び退けば、悠斗はそんな猫館の事などまるで目に映っていないかのように一直線に祐理の元へと駆け寄ってゆく。


「――、っ!」


 異常ともいえる光景に一瞬だけ目を奪われた猫館であったが、すぐに相手が取り乱している隙にこの場を離れるべきだという直感的なひらめきによって身体の主導権が理性の下へと引き戻される。

 それと同時に悠斗が陣取っていた側――駅の方向からは離れる、人通りの少ない方へと駆け出せば、悠斗が取り乱す声が瞬く間に離れてゆく。


「はぁ、はぁ、はぁっ!」


 猫館にとって一世一代の賭けともいえる攻防が思わぬ結果に繋がったのは確かだが、それがイコールで猫館の身の安全の保障になるかといえばそうではない。

 むしろ、一時的なものとはいえ呼吸麻痺にまで追い込んだ猫館を、あの好戦的な祐理が逃がすとは思えない。加えて、ただの一時的な麻痺であってもあれだけ取り乱した悠斗の事もあり、できる限り早くあの場から離脱しなければという危機感を抱かせていた。

 本能的に、細い路地を選ぶようにがむしゃらに走った猫館は、電灯の消えてしまった飲食店の裏口らしき場所の前で膝に手をついて荒い息を吐く。

 久しくしていなかった全力での疾走、直前までの命の危険からくる脳内麻薬による麻痺も切れ、猫館は電池が切れたように動かなくなってしまった足を恨めしく思うとともに、思考の余白に今ならば救援を呼べるのではないかという淡い期待が宿る。


「(まずは永冶世さんに連絡して、この後どうすべきか相談を――)」


 自分にできることの限界をよく知っている猫館は、頼りになる同期へと縋るべく携帯を取り出し、


「あ、れ、なんで……電源が!?」


 遠く僅かな星明りによって黒いままの液晶に照りかえる自身の焦燥に駆られた顔を覗き込んだまま猫館は狼狽した声を上げる。

 つい先ほど、駅についたときには充電はまだまだ余裕があったはずの携帯。今となっては唯一の命綱とも思えるそれが無情にも沈黙している事に焦り、思わず声を上げてしまってから遠くに聞こえていたはずの悠斗の声が止んでいる事に遅ればせながらに猫館は気づく。


「――!!」

「――」


 そして、その代わりに何かが駆けてくる様な――否。自身を追いかけてであろう、ふたり分の足音と、遠くから微かに何かを叫んでいるような声が風に流れて聞こえてくる事実に、猫館の背筋が凍る。


「(マズい、もう復帰した!? 確かに一時的な麻痺だから、いや、そんなことより、どこか、隠れられる場所――逃げ道を――)」


 これまでの戦闘と逃走による疲労による纏まらない思考に苛立ちながらも、猫館は必死に足を動かそうとするが、既に足音が先ほどよりも近く、声も大きくなっている事実に、下手に身動きをするのは悪手ではないかという躊躇から足が竦む。

 やがて、足音が猫館が身を潜める小道から程近い距離で止まる。


「……」


 喉を鳴らす事すらも気取られてしまいそうな静寂。

 今にも路地の端から襲撃者が顔を覗かせてくるのではないかという極限の中、最も聞きたくなかったふたり分の声が猫館の耳を掠め、


「――ッ!?」


 ――突如、背後から伸びてきた腕によって、猫館は暗がりへと引きずり込まれた。

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