幕間4-4 猫館善喜の回顧録3
一瞬にして光を奪われた街の狭間、その中心ともいえる場所で猫館は危機に直面していた。
突如現れた刺客を名乗る二人組の青年によって人通りの無い道の前後を塞がれた状況は彼の人生の中でも特段に危機的な状況であった。
「(正面の金髪を強行突破して通りに出て人ごみに――いや、街中でこんな事が出来るんだ。民間人に被害が出る可能性も捨てきれない)」
猫館は善良な警察官だ。それは自身の命が危険に晒されているともいえる状況であっても無関係の人を巻き込まぬようにという配慮がすぐに頭に浮かぶ程度には善良で、本来ならば美徳とされる、賞賛されるべき行動であった。
善良であることが正解であるとは限らない。そう証明してしまった人間に反発するように、そう育ってしまった。
ちらり、と。前方の金髪――祐理に隙を見せない程度の短さで後方を窺い、猫館は静かに息を整える。
「(どの道、前の金髪は一瞬で回り込む能力がある。真正面からぶつかって勝てる見込みは薄い。なら、気弱そうな方に仕掛けるべきか)」
一度視界外まで逃げられたならば、その時こそ改めて永冶世へと連絡をつけよう。そう決意し、正面に悠然と立ったまま、火のついた煙草をどうするべきか悩むような仕草を見せている祐理を一瞥する。
「(タイミングが大事だ、計れ、間違うな、一瞬でも良い、隙を――)」
猫館が必死に頭を働かせている最中も、前後からは気の抜けるようなやり取りが響く。
「それにさ。煙なんか出したらわかりやすいんだからやめなよー」
「え? あ、まーじだ。やっぱ悠斗は頭いいな!」
「……祐理」
呆れてものも言えない。そう主張するような声音を背に聞きつつ、猫館は正面を塞ぐ祐理という名の男を観察する。
逃走するにしろ、少しでも相手の能力についての手がかりをと考えての事であったが、
「(わかりやすい? いったいどういう――)」
先の会話から思わず青年が火をつけて、今は咽たこともあって口から離して指の間で挟むように持っていた煙草へと意識が流れ、違和感を抱く。
「(煙草……煙……何だ? 何か、大事なことを見落としているような……)」
ライターの火も消され、闇に慣れたとはいえ良好とは言いがたい視界の中、燻って赤く明滅する煙草の断面から絶えず流れ出る煙を注視していた猫館は後一歩で何かが掴めそうな、しかし決定的に何かがかみ合っていないようなちぐはぐさに戸惑う。
「ま、いっか。煙草はおいしくない。これだけ分かれば次からは吸わねーし」
「そう言って今度はお酒でも手を出すの? やだよ僕、酔いつぶれた祐理の介抱とか」
まだ中ほどから残っている煙草を足元へと落として靴裏で踏み消す祐理に、悠斗が苦言を零す。
ただし、その声音はどこかマジメであり、煙草を止めようとしていた時の様な、押し切られればそのまま流されてしまう制止などではない、何があっても止めるというような本気さを窺わせる低い声音であり、それを受けた祐理は僅かに肩を落として首を振る。
「ばーか。さすがに潰れたりしねーよ。お前のこともあるしな」
「はいはい。信じてるよ。祐理」
「ああ。信じられたぜ。悠斗」
互いの確認のようなやり取りが終わり、それと共に雰囲気が変わったことを、猫館は否応なしに理解する。
もはや悠長な雑談をするつもりもないのだろう。
「(考えてる暇はない! まずは――)」
祐理が一歩を踏み出した、そのほんの僅かなタイミングに重ねる様に、勇気を振り絞った猫館もまた大きく一歩、前方へと足を踏み出す。
「はぁっ!!」
「うぉおー!?」
いざと言う時の為に携帯していた――これも永冶世のアドバイスによるものだ――伸縮式の硬質なゴム製の特殊警棒を懐から素早く取り出すと、警察学校で捕り物の際の対処法を頭の中でなぞるように祐理へと殴りかかる。
本来ならば日本の警察は殴打等の手段での犯人確保には消極的である。
だが、このご時勢においては相手が能力者である場合では下手な接触や組み付きが命取りになるケースも多々存在しており、対能力者においては拘束よりも戦闘不能に追い込むことのほうが有意であると教えられていた。
教えを忠実に守り鋭く踏み込んだ猫館に、祐理は意外そうな顔を浮かべ、二歩目を踏み出し、
――大気が爆ぜた。
猫館が袈裟に振り下ろそうとする警棒の間合いに入るや否や、祐理がガード目的で拳を構えた。たったそれだけの動作が、猫館の髪をかき乱すほどの風圧を伴ってビルの間を吹き荒れる。
「ぐぅ!?」
突如巻き起こった暴風が顔を嬲り、思わず目を細めてしまった猫館が呻く。
「ははっ。猫館サン、結構やれるクチ?」
「祐理ー。気をつけてよー」
「わぁってるよーっと!!」
「う、くっ!?」
猫館が怯みから復帰するのとほぼ同時に、眼前に迫った祐理の拳を認めてさっと首を傾ける。
決して速いとは言い切れない、猫館にすら見切れる程度の速度の拳。それであってなお、先ほど猫館の意表を突いた風圧めいたものが耳のすぐ傍を通り抜け、ビリビリと空気が振動するのを間近で聞いてしまった猫館は顔をしかめた。
「(な、んだ、この能力!?)」
「はははっ、やるなぁ!」
対する祐理は実に楽しげで、怯んでいた猫館に畳み掛ければいいものを、あえて声を掛ける事で猫館に気づく猶予を与える程に遊びが混じっていた。
「すっげー。刑事さんって皆こうなのか!」
「フェイントもなしにまっすぐ挑みかかってるんだから読まれてるだけだと思うけどね」
「まーじかー!」
けらけらと楽しげな、ともすれば和やかな会話の応酬に挟まれた猫館の顔色は悪い。
すぐにでもその暢気な会話に対してそんな訳があるかと音を上げたい衝動に駆られるが、それを口に出しても自身が不利になるだけだと理解しているが為に、きつく口を結んで苦しい顔を隠して祐理の拳を避ける事に集中していた。
その甲斐もあり、今のところ祐理の拳には対応できている。とはいえその拳がひとたび振るわれる度に発生する風圧を間近で受け続ければ想定よりも早く体力を浪費し、加えて猫館が扱う警棒は軽々といなされてしまうのだから、精神的な疲労は肉体的な疲労よりも加速度的に蓄積しつつあった。
「(そろ、そろ――)」
「そんじゃ、まぁ――」
それでも、猫館の目は死んでいない。
勝ち筋が見えない事も、能力が不明な事も、あえて祐理へと立ち向かった猫館にとっては織り込み済みの事だったのだから。
直線的な動きばかりだった祐理の身のこなしが、後方から聞こえる悠斗の指摘によって変化するその瞬間、
「(――今!!)」
猫館は初めて警棒による殴打ではなく、柔術による投げの構えを取り――
「はぇ!?」
「せぇい!!!」
祐理の間の抜けた声が耳元で風に流れるのも構わず、猫館は振りぬかれた拳、その袖を掴み地面へと大きく投げ落とした。




