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幕間4-2 猫館善喜の回顧録2

 不意に自身の名前を呼ばれた瞬間、猫館は背筋に寒気にも似た衝撃が駆け抜けるのを感じた。


「なっ」


 呆けるより先に本能的に半歩退いた猫館の強張った表情に、首元に掛かった茶髪を僅かに揺らした青年は申し訳なさそうに眉を下げ、


「……驚かせてごめんなさい」


 本心からそう言っている。そうわかるような細々とした声音は酷く場違いであり、それでいて、その場で誰よりも平常心であるという異常性をまざまざと見せ付けるようですらあった。

 そんな青年の隣、未練がましくタバコの箱を握ったままの金髪の青年が、とうとう一本取り出して口へと運びながら口を開く。


「なーなー。どうして俺たちがあんたの名前知ってたか、気になる? 気になっちゃう? 気になっちゃったりしちゃってるー?」

「そんな風に煽っちゃダメだよ、祐理(ゆうり)

「だってさー。一瞬で態度がころっと変わるのが面白くって。何だよ悠斗(ゆうと)。悠斗だって俺の待ち伏せ案に賛成してたじゃんか」

「それはお店に強襲かけるって言い出したから代替案を出しただけだよ。全く、内緒にしないと先生(・・)に怒られちゃうんだよ?」


 猫館に語りかけるときのような控えめな調子とは違う、親しいものへと向ける遠慮を取り払った物言いで悠斗と呼ばれた茶髪の青年が詰め寄れば、その咎める様な藍色の瞳に直視されるのを拒むように金髪の青年、祐理は恐らくカラーコンタクトなのだろう、黒目の縁が赤い瞳を虚空へと逸らす。


「へいへい。先生先生ってなぁ……俺、どーにもあの人苦手なんだよなぁ」

「祐理、将来の話とか嫌いだもんね」

「うるせーよ。難しい話なんてどうでもいいじゃん。今は、さ」


 会話をぶつ切りに、藍と赤黒。青年たちの2対の瞳が猫館へと向く。


「俺達さー。先生に言われてあんたを待ってたんだ」

「……その、僕たちも、こんなことはしたくないんですけど」


 二人の声が、高低の違う二つの音が、次第に重なって、


「「秘密を嗅ぎ回ってるんだったら(じゃあ)死んでも仕方がないよ()」」


 ステレオに響いた物騒極まる平静な声音に、猫館は産まれて初めてとなる感じたことのない悪寒が奔る。



 ――バチンッ。



 猫館が咄嗟に身を引こうとした途端。何かが弾ける様な音と共に、路地を照らしていた街灯も、ビルからかすかに漏れていた明かりも、非常口を示す蛍光灯すらも。それらすべての光源が一瞬で断絶し、辺りが常闇に落とされ、


「ちょ、祐理!?」

「あっはっはっはっはっは!」


 闇になれない視界の先でうろたえた様な声を上げる悠斗と、楽しげにからからと笑う祐理の声が響く。


「っ!」

「あ……」


 両者の意識がほんの少し自身から離れた瞬間、猫館は今度こそ踵を返すとともに全力で走り出す。

 闇に包まれる寸前、見つめられた瞬間にどうしようもなく理解してしまったのだ。悠斗と祐理、その両者の瞳には自身へと向けられる感情が一切含まれていないことに。

 異常なことだ。危険なことだ。恐るべきことだ。殺すと明言した事への慄きをも凌駕して、これから何かをする(・・・・・)という確たる意志と動機を持ちながら、その対象に何の思慮も割く気がないというのは、警察学校で学んだ犯罪心理を回想する余裕があったとしても怖気が増長される程度の意味しかない。

 それらを直感的に理解してしまった猫館が、注意でも、威嚇でもなく、逃走を選んだ事自体はこの場においては英断であったといえる。


 ――しかし。

 猫館の首筋を撫でる様に、夏の空気を孕んだ生温い風が抜ける。

 それと同時に闇の中で潰された視覚の代わりとばかりに鋭敏になった猫館の鼻腔に香るのは、火のついていない煙草特有の甘い匂い。


「ばぁっ」

「うわぁああ!?」


 たん、とコンクリートへと着地するような靴音を響かせたナニカが手を広げるのを闇の中で漠然と認識した猫館は足に急ブレーキをかけ、驚嘆とも悲鳴ともつかない声を上げてしまう。


「いやいや刑事サン。そこで即行バックレるのはダメじゃね?」

「な、一体どうやって」


 急な制動でたたらを踏んだ猫館が目を凝らせば、ようやっと目が慣れてきた中で染め抜かれた金の髪が風に靡き、悪戯っぽく、ともすれば無邪気ともいえるような笑みを浮かべた祐理が銜えた煙草に火をつけようとライターを取り出すところであった。

 シュボッ、と。遠くに聞こえる混迷した様子の喧騒にまぎれる小さな音と共に闇の中に微かな灯りが点る。


「祐理……結局火付けてるし」

「いーじゃんいーじゃん。年齢的にはセーフだしさー」


 闇の中にぽっかりと浮かび上がるように照らされた祐理に警戒していれば、背後から頭越しに掛けられた声に猫館はハッとして背後へと振り返る。

 視線の先、闇の中で悠斗は変わらず佇んでおり、猫館は完全に挟まれてしまった事を否応なしに認識させられてしまう。

 そんな猫館の心境など置き去りに、再び寸劇のように両者の声が軽快に響く。


「年齢的にセーフでも体に悪いことは揺るぎ様がないでしょ。祐理は刹那的過ぎるよ」

「あーあー。きこえな――げほっ、ごほっ。おえ」

「全くもう……」


 どうやら煙草に手を出したのは初めてらしく、深く吸い込んで噎せ出した祐理の姿に悠斗がやれやれと肩を竦める。

 どこか和やかですらある両者に挟まれた猫館はしかし、状況の把握と打開を模索する為の情報に意識を研ぎ澄ませていた。


「(完全に不意を突かれた……いいや、最初から俺が狙い? 口封じなんて、ドラマの中だけだと思ってたのに……)」


 混乱の中でも正常に稼動している自身の思考を褒めたくなった猫館だが、それをするだけの余裕などないという冷静な思考が状況分析に拍車を掛ける。

 わかっているのは青年らの口ぶりから察するに、“先生”という存在に邪魔だと認識されているらしい自身の口封じを、このふたりが引き受けているという事。

 そして、ただの停電というには都合が良すぎる突然の暗転と、遠くから聞こえてくる通常とは異なった喧騒から察しうる、広域にわたる停電。暗闇に呑まれる瞬間、気弱そうな少年が口走ったことから、恐らくこの祐理という少年の仕業であろうという推測。

 そこから導き出されるのは――


「(こんな子達が、能力者(ホルダー)なのか)」


 少なくともひとりは、通常の人間とは異なる法則で生きている超常の存在であるという理解と、それと敵対してしまっているという事実に、猫館の背に嫌な汗が伝う。

 だが、猫館は気づかない。あるいは永冶世ならば気づいただろうが、これだけの広域にわたる停電を起こしてなお、悠長に会話を続けている余裕がある。警察という治安組織の介入をまるで恐れていないという事実。

 そして、嗅ぎ回られては困る情報の出所が――警察内部であるという事実との結びつきに。


「(とにかく、隙を突いてここから逃げて、永冶世さんと連絡を――)」


 楽しげな雑談。その中に僅かな希望を手繰って、決意を抱いた猫館の喉が小さく鳴った。

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