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幕間4-1 猫館善喜の回顧録

 7月下旬、東都某所。

 夜の闇をも退けて喧騒を奏でるネオンの下、馴染んで久しいスーツ姿の青年が電車を降りるなり腕時計を確認して早足で改札を抜ける。

 天然なのだろうやや色素の薄い明るめの髪色の下に覗く柔和な顔立ちに僅かな汗を滲ませ、猫館善喜(ねこだてよしき)は深まり始めた夜の通りを歩いていた。

 如何に電車の本数が多い都内といっても、都心から外れてしまえば終電の時刻は地方とさして変わりない。

 時刻は11時を過ぎたと行った頃合いであり、そろそろ終業する店も出てくる頃。猫館が目的としている店は幸いなことに夜間営業も行っているタイプの居酒屋である為、猫館が急いでいる理由は別にあった。

 待ち合わせにはまだ多少の余裕があるとはいえ、自身の手元にある代物を考えれば自然と足は速くなってしまう。

 逸る気持ちを落ち着けようと深く呼吸をすれば、都会の雑多な空気が混ざり合った人混みの臭いとも言える空気が肺に溜まる。


「(永冶世さんも大変だよなぁ)」


 頭に浮かぶのは、猫館が今まさに足を急がせている理由の一端でもあり、決して断れない頼みを告げてきた同期のことだ。

 猫館善喜の父は警官であった。

 しかし、特段偉い訳ではない。何処にでもいる普通の刑事だった。

 正義感が強い父親に憧れて――という理由も勿論あったにはあったのだが、それ以上に、職を辞した父親が頑なに警察にはなるなと口をすっぱく言い募った姿に反発したというのが大きい。

 繰り返すが、猫館善喜の父は警官だった。……より正確に言うならば、正義感と行動力が裏目に出た、警官であった。

 猫館自身に父を退職に追いやった真相を掴もうと言う気は無い。それでも、怪しいと思ったこと、間違っていると思ったことを見て見ぬ振りをしたくないという正義感は確かに遺伝していた。

 だからだろう。要領が悪いという理由で資料室送りになった時、何かの足しになればと資料を読み漁って不実が無いかを確かめるような真似をしてしまっていたのは。

 そのお陰で何者かが暗躍しているだろう案件をちらほらと発掘してしまったのは完全なる藪蛇であったし、要領の悪い猫館がそれを一人でどうにかできるわけでもない。要領は悪くとも道理は弁えているのだ。父親のようにならぬためには、ただ声高に疑問を投げるだけでは無駄になるということは嫌というほど知っていた。

 資料を整理し、求められた資料の捜索を手伝うだけの煩悶とした日々に大きな事件を追う同僚が現れたのはまさに渡りに船であった。

 猫館にとって永冶世(ながいせ)忠利(ただとし)という同僚は眩しい存在だ。

 自身と同期であり、それでいて成績優秀なエリート街道を順風満帆に歩む。まさに王道。物語ならば主人公でいいんじゃないかと半ば自己との比較で諦観を交える程度には壁のある評価でもってひそかに尊敬していた相手。

 そんな相手が猫館だけではどうしようもない事に首を突っ込もうとしているのを見て、自分にも何か手伝えるのではないか。そう思ってしまった。


「(まぁ、そのお陰で俺も毎日やる気になれるんすけどね)」


 永冶世と共にひそかに事件を追いかける日々が始まってからは劇的だった。

 何気ない資料の整理や作成ですら細かに目を通し、裏に繋がる何かが無いかを探るのは神経を使う。ましてやそれを周囲に悟られぬようにやらねばならないというのは中々に骨が折れるものだが、永冶世が暇を見てどうすれば効率が上がるかを教えてくれた事でどうにか作業効率を落とさず、むしろ以前よりも上達してこなせるようになっていた。

 そのお陰で自身に対する評価がひそかに再浮上し始めている事実を猫館は知らない。どの道、目的を持って資料室勤めをしている猫館にしてみれば、今更の現場復帰など望んでも居ないことであるが。


「(にしても、常群君と直接会うのは2ヶ月ぶりくらいかぁ)」


 現在、猫館が足を急がせている理由のもう一方へと思考を伸ばし、駅から遠ざかったことで行き交う人々の間隔が広くなりつつある大通りから一本、わき道へと曲がる。

 常群幸也(つねむらゆきなり)という青年と顔を合わせたのはおよそ1年ほど昔。永冶世との定例と化した情報交換会にて永冶世から紹介された、今回の事件を追う一般の青年だった。

 常群青年は事件の渦中にある幼馴染の捜索をしているという、事情を聞かされた猫館は永冶世とは別の意味で眩いと感じ、その人となりも合わさってすぐに時折オフでの連絡を取り合う程度には意気投合していた。


「(向こうも何か掴んだみたいだし、こっちの情報とあわせたら何か見えてくる……と、いいなぁ)」


 ちらりと自身のスーツの内ポケットに差し込まれたUSBメモリの感触を確かめる。

 そこにあるのは永冶世と猫館が新たに集めた警察の内部資料であり、当然持ち出しは厳禁の代物だ。

 だが、現状を鑑みれば手段を選んではいられない段階まで来てしまっている。

 深すぎる闇の中で執拗に隠蔽された事件に深く絡みついていることを示すこの資料だけは、警察内部だけではなく、外部でも共有して置かなければならないと、そう永冶世に託されたUSBメモリだけは。


「一度やってみたかったんだーこれ」

「体に悪いだけなんだからやめておきなよ」

「いーじゃん、せっかくの外だぜ?」

「もー」


 ふと、路地の影から聞こえてきた声に、猫館は急がせていた足を止めた。

 声の若さもそうだが、どうにも居酒屋が立ち並ぶ夜の街に似つかわしくない浮ついた――例えるなら、育ちのいい子供が始めての夜遊びに浮かれているような――どこか場違いな印象を受けるその声の出所へふと意識を向けると、既に閉めた後だろう雑居ビルが立ち並ぶ路地の街灯の下、ふたりの青年がいい争いともいえぬ応酬をしている姿が目に留まる。


「(こんな時間に――学生? それに……)」


 急いでいるというのに足を止めてしまった猫館は、やはり正義感が強い青年であった。

 学生服姿で夜の街にいることもそうだが、注意を受けていた方、長い金髪を後ろでひと括りにしている青年が手に持っていたタバコを目敏く見つけ、自身の職業と照らし合わせて足を其方へ向ける。


「こら、君たち。そこで何をしているんだ。何処の学生だい? 学生証の提示、それと未成年の喫煙もそうだし路上での喫煙はダメだよ」


 歩み寄りながら肌身離さず所持している警察手帳へと手を伸ばしつつ声を掛けた猫館に対して、青年たちは一瞬びっくりしたような顔をし――


「“猫館善喜さん”ですか?」

「あんたが“猫館サン”?」


 注意していた茶髪の青年は不安そうに。

 タバコを持っていた金髪の青年は嬉しそうに。

 青年たちは揃って声を上げるのだった。

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