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6-53 彼岸花の咲く頃に2

 黄泉路の腕を引いてずんずんと廊下を歩いてゆく彩華に対して向けられる何事かという視線をまるっきり無視し、たどり着いたのはもはやお馴染みとなった屋上であった。


「彩華ちゃん……?」

「……」


 屋上の扉を開け、誰も居ない事を確認した彩華が黄泉路を通した後に扉を閉める。

 眩い日差しが照りつけるそこは昨晩の惨事が嘘のようにまっさらで、いっそ事件の前よりも綺麗とすら思える程に真新しい。

 というのも、彩華は修復といった“刃以外の形状への変質”を苦手とする事も含め、経年劣化等の細かな部分まで再現する技量を身につけていない。よって、学校を見回せばそこかしこに新品のような違和感を感じ取れるものの、終業式というささやかな非日常も相まってそれを認識できている者はそう多くないのであった。

 校舎から聞こえる余暇を謳う若者たちの喧騒とは裏腹に、屋上は別世界のように静けさに満ちている。

 広々とした空間で向かい合って立つ彩華の無言に耐えかね、問いかけるように黄泉路が発した声に応じて浮かべられたのは、眉根の寄った険しい表情だ。


「ごめんね」

「中身のない謝罪は聞きたくないわ」


 漸く口を開いた彩華の言葉は半端な態度を許さないとでも言うようで、黄泉路は胸の内に宿った罪悪感に内心で苦笑する。


「(最初から期間限定のつもりだったんだけどなぁ。最後だと思うと――)」


 相変わらずの苦笑の意味を、言葉を濁すためのものだと解釈した彩華は眉間に寄った皺を伸ばすように指先で揉み、苛立たしげな声音を向ける。


「何よ。理由もなく謝っただけ?」

「違うよ。……何から、謝ろうかと思ってた」

「そんなに心当たりがあるの」


 呆れた、と。溜息を漏らす彩華ではあるが、その声音からは苛立たしさが弱まり、内側に隠れていた遣る瀬無さが顔を出していた。


「まず、急な転校でごめんね」

「理由は?」

「親の都合――じゃあ、さすがに無理があるよね」

「そうね」


 曖昧な返答を斬って捨てるような彩華の言葉に、黄泉路は困ったように苦笑を浮かべる。

 至極見慣れた仕草。この数ヶ月程度で幾度となく目にした表情に彩華は目を細め、


「私、嘘は嫌いなんだけど」

「理由は言えない」

「……私の事件が解決したから?」


 問いただせば、黄泉路は苦笑を引っ込めて真顔になり、小さく首を横に振る。


「ならどうして」

「――彩華ちゃんが、もう大丈夫だと思ったから」

「どう違うのよ」

「突発的な事件は関係ない。彩華ちゃんは、これからひとりでも歩いていける。そう思ったから」

「……」


 咄嗟に口をついて出掛かった言葉を飲み込んで、彩華はじっと黄泉路を見据える。

 もう学生である事をやめるつもりなのだろう。そこにいるのは土曜の夜に垣間見た、戦う人間の顔をした彩華とさほど歳の変わらないように見える男だった。


「どうしても行くの?」

「うん」

「話したいこととか、聞きたいこととか。たくさんあるのに?」

「うん」

「話してくれるって言ってたのに?」

「ごめんね」

「私、嘘は嫌いよ」

「うん。さっき聞いた」


 重ねて詰め寄る声が次第に震えを増して行く自覚がありながらも、彩華は止まらない。


「今までも、全部嘘だったの?」


 胸の内に響く鈍痛が裏切られたからだと理解していても、どうして裏切られたと思ってしまったのか、その根元にある感情に気づけないまま、彩華は問う。


「それは――」


 答えようとする黄泉路が一瞬硬直し、視線を彩華からどこか遠くへと向ける。

 直後、不意に彩華の背後から小さな影が差す。


「黄泉にい」


 幼さを残した抑揚の弱い少女の声音にハッとなって振り返った彩華の脇を通り抜け、姫更が黄泉路の腕を抱く。

 中等部の制服に身を包んだ少女はどこから現れたのだろう。領域手配師を名乗った女と似たような能力だろうか。

 そう思考がずれた隙を突くように、姫更が抱きついたままの黄泉路の腕を引く。


「ごめん、もう行かなきゃ」


 唐突に黄泉路の口をついて出た別れの言葉に、彩華は咄嗟に手を伸ばそうとする。だが、


「最後の約束だけ、嘘ついてごめんね」

「ちょっと、待ちな――っ!」


 彩華の手が空を切る。

 確かに目の前に居たはずの存在が一瞬で影も形も無くなり、代わりとばかりに風に乗って届くのは、樹と土の匂いが交じり合った僅かな森の香り。


「――そんな」


 目くらましの類かと疑うも、恐らくはそれは違うだろうという確信めいた予感が彩華の思考をかき乱す。


「そ、そうだ、電話……」


 慌てて携帯を取り出し、登録した番号を呼び出そうとする手が途中で止まる。

 気づいているのだ。彩華とて、これだけ綺麗に跡形も無く消える事のできる相手が、態々電話番号などというわかりやすい手がかりを残すわけがないと。

 続いて既に引き払っているだろうが、家を訪ねてみようと考えるも、そもそもをして彩華は一度たりとも黄泉路の家へと行ったこと等なければ、おそらくはクラスメイトの誰一人として、迎坂黄泉路のプライベートを知らないのではないかと思い至ってしまう。


「(わ、たしは……なんて、滑稽な)」


 理解しているつもりだった。謎の多い転校生を。能力者という共通の秘密を持った少年を。自身の復讐を止めることなく諭してくれた男性を。

 だが、こうしてつながりを断たれた瞬間、それらは全て、黄泉路という存在が彩華に提供してくれていたものでしかなかったと理解させられてしまう。


「(こんなにも脆いモノを、私は――)」


 苛立ちと不甲斐無さ、焦りと悲しみがない交ぜになった内心は既にぐしゃぐしゃに攪拌されたように自身でもどう整理を付けて良いか判らなくなってしまった彩華は電池が切れたようにフェンスのほうへと足を向ける。

 小奇麗に修繕されたフェンスは一昨日の夜のように落下するような心配もなく、彩華の指が網目を掴めば、かしゃりと擦れる音が響いた。


「……酷い人」


 ぽつりと呟き見下ろす先に描くのは夜の出来事。

 あの時掛けてくれた言葉は、態度は、全て計算されたものだったのか。

 漸く先が見え始めていた矢先の土台の消失にこれほどうろたえるとはと、どこか乾いた冷静さへと変じた混乱の中で彩華はぼんやりと思い返し、リフレインし続ける景色がとうとう現実へと追いつき始め、


 ――最後の約束だけ(・・・・・・・)、嘘ついてごめんね。


「――っ!!!」


 別れ際の言葉がすとんと腑に落ちる。その衝撃は雷に打たれたような錯覚すら抱かせ、彩華の思考が急速に透明度を増してゆく。


「……中途半端な誠実さだわ。私、貴方のそういう所は嫌い」


 そう口にした彩華の瞳は、雲ひとつない空と同じように輝いていた。

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