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6-52 彼岸花の咲く頃に

 待ちに待った、激動とも呼べる一夜が明けてしまえば、彩華は自宅に帰り着くなりぱったりと電源が切れたようにベッドへと倒れこむ。

 かつてない規模と頻度で能力を使用した疲労や、精神的な疲労といえばシンプルだが、その内実にはこれまでの張り詰めていた全てが途切れた気の緩みが多分に含まれていた。

 送り届けてくれた黄泉路の手前、玄関前までは澄ました顔をしていたものの、それは弱みを見せまいとした強がりでしかなく、誰の目に憚る事のない自室にたどり着いてしまえば、後に残るのは何の事はない、憑かれるように先の見えない4年を走り、一晩かけて終止符を打った、疲れ切った少女がいるだけだ。

 着替える事も億劫なほどの思考の空転に任せて意識を手放した彩華が目を覚ますのは、それから丸一日過ぎた月曜の早朝。

 幾分かすっきりした頭で携帯を確認し、自身が丸一日眠り続けていた事実に驚くのも束の間。


「やだ、今日終業式!?」


 期末試験さえ乗り切ってしまえば、学生にとっては待ちに待った長期休暇が始まる。

 その合図のように行われる式典の事を思い出した彩華は普段よりも早起きが出来たことをこれ幸いと、洗面所へと駆け込むと、服を洗濯機へと放り込んでシャワーを流す。

 普段よりも念入りに時間をかけて身を清めた彩華が風呂から出て髪を乾かす頃には、丁度普段の起床時間を告げるアラームが携帯から鳴り響き、ようやく本来の生活リズムに追いついたと安堵の息を漏らしながら朝食の準備に取り掛かるのであった。



 普段通りの時間に学校へとたどり着いた彩華はひそかに周囲を見回す。


「でさー。夏休み何処行くー?」

「とりあえず海っしょー。水着買いに行こ?」

「えー、やだー。太っちゃったんだもん」

「バッカだなぁ。私なんて水着の為に春からダイエットしてたのに」

「うっわ、ずるー。私にも言ってよー抜け駆け禁止ー」


 何の変哲もない。ありふれた会話が行き交う。まるで土曜日の夜が夢であったような平和そのものの日常。

 静かに深呼吸して門を潜った彩華が教室へと向かえば、クラスメイトは相変わらず各々で仲の良いグループを作って雑談に興じており、やはり話題に上っているのはこれから始まる余暇をどう過ごすか、テストの成績がどうだった等の、他愛もない会話ばかりだ。


「おはよう。彩華ちゃん」

「――おは、よう。迎坂君」


 教室の前で一歩、踏み出すかどうかをためらうようにしていた彩華の後ろから掛かる声は、この週末にも聞きなれた落ち着いた声。


「おっはよー黄泉路ぃー」

「おはよう。朝から元気だね」

「そらそうよ。なんたってこれから夏休みだからなー!」


 横をすり抜けて先に教室へと入っていく黄泉路へと掛けられる声に応じる姿は何処にでもいる普通の学生そのものだ。


「どうしたの、彩華ちゃん」

「なんでもないわ」


 振り返った黄泉路に問われ、ハッとなった彩華は足早に自身の席へと荷物を置き、普段は窓の外へと向けている視線を教室の中へ――壁掛け時計のすぐ下へと向ける。

 ひとりの男子生徒がいたはずの席。誰も寄り付かない、存在が削られたような空白を見つめている内に担任が姿を現し、教室のざわめきが小さくなってゆく。

 日直による号令の後、担任がぐるりと教室を見回して口を開いた。


「これから休みだからってハメ外すなよー。それじゃあ出席ー」


 淡々と続いてゆく出欠確認が小室の名前で止まる。


「小室のやつまた無断欠席か。次ー」


 試験前に無断欠席していたこともあり、担任はなんでもないという風に流してしまう。

 彩華や黄泉路の名前も呼ばれ、小室以外全員が出席した事を確認した担任が立ち去れば、終業式を行うためにぞろぞろと教室を後にする流れの後方についた彩華は小さく息を漏らす。

 終わったはず、にも拘らず、これからも小室を葬った事に対する懸念が付いて回る。

 これが責任を持つということなのかと、彩華は自らに道を示した少年へと目を向ける。

 男子生徒と和気藹々とじゃれあっている姿は、あの日何処までも沈んでしまいそうな瞳を持つ少年とはとても思えない。それだけに、やはりあれは夢だったのではとすら思いかけていた彩華の視線に気づいた黄泉路と目が合った。


「――」

「っ」


 黄泉路が彩華へと向ける視線は穏やかだ。しかし、そこに纏う色はどこまでも深く、あの日の夜を思わせるような暗さが宿っており、彩華は小さく息を呑む。


「長い休みの間も嶺ヶ崎の生徒という自覚を持ち――」


 体育館が使えない事もあり、校庭を使っての全校集会は徐々に高くなりつつある気温と冗長な講和によって退屈と不快感が鬩ぎ合う酷いものであったが、彩華にとってはその平穏が随分と久しぶりのように感じられた。


「以上を持って、1学期の終業式を終わりとする」


 教員が炊きつけようとする義務的な拍手から波及した全校生徒の拍手の中を降壇する理事長を見送れば、再び弛緩した空気をかもし出す生徒に混じって教室へと戻り、夏休み中の連絡事項を何となしに聞き流しつつ、彩華は思う。


「(何をしよう、なんて、パパとママが居なくなってから初めて考えたかも)」


 両親を失ってからというもの、小室を殺すことと学業をこなすことだけに専念してきた。

 前向きに過ごす自由な時間というものを噛み締めていた彩華であったが、


「最後になるが……今学期を持って迎坂が転校する事になった」


 耳に飛び込んできた担任の最後の連絡事項によって浮ついた気持ちがさっと水を掛けられたように消沈する。

 蜂の巣を突いたようなざわめきの中、思わず黄泉路のほうへと視線を向けた彩華に対し、黄泉路は申し訳ないとでも言うように小さく苦笑する。


「ちょ、それどういう事だよ!」

「どうして!?」

「あー。うん。家庭の事情でさ。ごめんね。急な話だったし、前もって言い触らす様な事でもないと思ってさ」


 ホームルーム中にも拘らず押し寄せたクラスメイトに黄泉路が釈明していれば、担任が大きく手を叩く。


「ほらお前ら、まだホームルーム中だ。席にもどれ。先生も急な話で驚いてるが、もう決まった事だ」


 担任すら急な話と形容した事で、彩華の空転しかけていた思考が直感的にある結論を導き出す。


「(普通転校の届出は事前にするものよね。……この数日でとなると)」


 ずっと気になっていた事だった。迎坂黄泉路という少年がいやに自身に親身なこと。能力者というはぐれ者同士では説明の付かない気配りのよさ。能力者としての技量、知識、経験。どれをとっても、既に一般人の枠にない。

 そんな少年が都合よく、自身の復讐の片棒を担ぐために現れたとでも言うように転校してくるだろうか。

 この週末で一気に深まった疑惑の全容は解けないものの、この急な転校はまるで……


「(撤収作業(・・・・)みたい)」


 一連の事件解決で役目を終えたかのようだ、と。

 果たして、その推測が正しいかは判らない。だが、これを逃せば黄泉路は煙のように消えてしまう。そんな確信に突き動かされ、帰り支度の合間にクラスメイトに詰め寄られてもみくちゃにされている黄泉路へと彩華は声を掛けていた。


「ちょっと。来て」

「え、ちょ、彩華ちゃん?」


 それがどのように周囲に捉えられているかなど、普段の彩華ならば容易に想像ができただろう。

 だが、黄泉路の腕を引いて教室を飛び出した後姿に対する様々な憶測を気にするだけの余裕のない彩華の耳に、それらの喧騒が届く事はないのであった。

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