6-50 花咲く夜の裏側で4
乾いた音を響かせた銃弾が目のすぐ下を掠め、螺旋を描いた熱が黄泉路の皮膚を裂く。
だが、その程度で足を止めるほど黄泉路も平和ボケしていない。
「普、通――銃向けられて飛び込んできますか!?」
「それはお生憎様!」
弾丸を吐き出した直後の空気と火薬が焦げる臭いが近くなり、引き攣った表情で非難めいた声を上げる領域手配師に手が届く間合いまで踏み込んだ黄泉路は久方ぶりに声を荒げている自覚もないまま、領域手配師の自衛手段だろう銃に狙いを定めて手を伸ばす。
――だが、
「強引な少年は好みですが、ダメですよ」
うっすらと白煙を上げる拳銃から立て続けに吐き出された銃弾。狙いも甘く、本来ならば掠れば御の字といえるだろう軌道であったにも関わらず、初弾の反動から跳ね上がった銃身によって次弾の発射点がずれたまま吐き出された弾丸が黄泉路の右肩を抉る。
「ぐっ!?」
素人の様な当てずっぽうの乱射、それは黄泉路にとっては当たるはずのない射撃だ。
にも拘らず正確に肩を撃たれた事が不意打ちとなり、平衡感覚を乱された黄泉路は思わず足踏みしてしまう。
だが、被害らしい被害はその程度。即座に追う姿勢で黄泉路が見据えれば、その視線の中心に立たされた領域手配師は射撃姿勢を解き、
「! 逃がさな――!?」
手持ちでは処理しきれないと踏んで今度こそ背を向けて全力逃走の構えを見せれば、肩の再生もそこそこに黄泉路も足を踏み込もうとし――左足が上手く上がらない違和感につんのめりそうになってしまう。
ハッとなって足を見下ろした黄泉路は先ほどの乱射のうちの1発が左の脛を打ち抜いて骨を砕いていた事実に歯噛みした。
「(――や、っぱりだ。なんて厄介な能力!)」
全身を一瞥し、同じく気づいていない怪我がないことを確認した黄泉路は再び走り出す。
その間に再生した右肩と左脛の調子を確かめるのも後回しに、おそらくは領域手配師の仕業だろうこれまでの不調を整理する。
「(認識を阻害して隔離した空間を作る、だけじゃない。あの人、自分に都合がいいように内部の認識までズラしてるのか)」
踏み出すまで気づかなかった大きめの石――意図せず踏んでしまえば転倒しないまでも姿勢の崩れから速度が落ちるだろうと容易に分かるサイズの、その場にあることに違和感はないが、普通ならば気づける代物だ――を踏み越え、若干遠くなったパンツスーツ姿の背中を追いかける。
「(でも、それさえ分かっていれば――)」
距離が近づき、黄泉路の追跡に気づいた領域手配師の顔色が強張る。
思い出したように、やはり狙いも何もつけている様子のない拳銃が黄泉路へと向けられ、徐々に近づきつつある互いの間を乾いた音が数度弾ける。
リコイルによる銃身のブレが再び後続の弾道を変え、その弾丸が狙い済ましたように黄泉路の右膝を、続けざまに左腕を抉る。
だが、砕けた右膝の皿が回復するよりも早く、黄泉路は自身の肉体の耐久度を度外視した踏み込みで更に距離を詰め、銃を構えるために半身で振り返った領域手配師の腕を掴もうと右腕を伸ばす。
「う、そ――!!」
引き攣った声が銃声に飲み込まれて伸ばした右手の平が衝撃と共に弾けた。
「絶対に当たるって分かっていれば、当たっても良い様に気をつけるだけだ」
だが、肉と骨片の混じった血液が右目を中心とした顔半分に降りかかろうと、黄泉路はそれすら躊躇の外として穴の開いた右手でとうとう領域手配師の自動拳銃の銃身を掴み、
「なんて理不尽――きゃあ!?」
そのまま引き寄せるように腕を引けば、元々覚束無い体勢で射撃を試みていた領域手配師の体が傾いでしまう。
「っ、とと!」
思わず、といった形で背後から抱きとめたような姿勢で硬直した黄泉路が力を込めれば、右手の銃創が塞がると同時に自動拳銃がみしりと音を立てる。
それを間近で見てしまえば、既に肌が密着するほどに距離がなく、加えて抱きとめられたついでとばかりに左手までも拘束された状況で領域手配師に取れる選択肢は皆無であった。
「能力を解除してください。今の僕は急ぎですから、それだけで結構です」
「……彼なら学校ですよ」
「そうですか」
学校、という単語に対してもやが掛かる事もなく、外へと向く意識がより鮮明になったことで黄泉路は能力による隔離が解除された事を悟る。
直前まで敵対していた相手にありがとうとはさすがに言えず、黄泉路は小さく頷き、拳銃だけを没収して手を離せば、領域手配師は意外そうな表情で黄泉路へと向き直る。
「私を殺さないのですか」
「これで貴女は戦力を失ったわけだけど、まだやりますか?」
「……遠慮しておきます。ですが、私としてもただ見逃されるだけはいつ貴方の気が変わるかわかりませんので、理由をお聞かせ願っても?」
どうやら完全に戦意は失ってはいるものの、警戒心はむしろ高まっているらしい領域手配師に、黄泉路は少しばかり思案した後に口を開く。
「貴女の能力はたしかに強力だけど、人を殺せる能力じゃないからかな。貴女も含めて」
「……」
「貴女の能力を使えばいくらでも致命傷になる箇所を狙えたはずだ。それをしなかったって事は貴女は人を殺せないんじゃないですか?」
領域手配師は最初から、黄泉路をただの死体として処理しようとし、それからは殺すという気は一切なく黄泉路と相対していた。
そこに戦意はあっても殺意はなく、再生能力をみた後で狙うべき箇所――頭脳や心臓といった、殺せる確率が高い箇所――を避けるように発砲してきた事から害する理由がないと告げれば、領域手配師は困惑よりは呆れに近い溜息を漏らす。
「ばれちゃってたかぁ」
「理由としては、貴女の戦い方がお粗末過ぎた、という方が決定的だったけどね」
「……お姉さん悲しい」
「理由はそれだけ。貴女は人殺しじゃない。なら殺す必要はない」
能力者社会の基準で考えれば大層甘い、否。甘すぎて普通ならばどこかで屍を晒していて当然の判断基準に、思わず領域手配師は仕事の仮面も忘れて首を振る。
「なら彼は殺すつもり? 別に私の落ち度じゃないから良いんだけど」
「そうなるかな。ここの所の失踪もこうやってたんでしょ?」
「取り繕っても仕方ないから言っちゃうけど、正解よ。あ、でも、私はいつも場所の提供と死体処理だけだからね!?」
「分かってるよ。貴女は命を背負う覚悟がなさ過ぎるから」
「見透かしたような事を言うのね。本当に何者なんだか」
「……そういえば、出してくれれば僕の事、教える約束だったっけ」
肩をすくめる領域手配師に、黄泉路は思い出したように顔を近づける。
互いに男子としては低めで女性としては高めの身長差を埋めるため、僅かに屈ませるように黄泉路が腕を引けば、完全にオフになったらしい領域手配師が耳を寄せ、
「え、何? お姉さん嬉しいけど能力なしで青姦はちょっと――」
「【黄泉渡】。それが僕の、こちら側の名前だよ」
「っ!?」
領域手配師のにやけた顔色がさっと青ざめる。
その名前は2年ほど前から裏で囁かれるようになった、曰く“不死身の能力者”その能力名であり代名詞。
「それと、貴女の言動がちょくちょく癇に障ったので、ひとつお願いしてもいいですか」
「な、なんでしょう」
「――」
知らずとはいえ、そんな危険物を相手にしていたと理解した領域手配師は続く黄泉路の提案にコクコクと頷く事しかできないのであった。