6-48 花咲く夜の裏側で2
生きた人の気配がなくなり、辺りが夜の静けさとはまた違った静寂に包まれた後も、倒れ伏した黄泉路はピクリとも動かない。
瞳孔は開ききり、心臓の鼓動も止まったままだ。
惨状は目を覆わんばかりであるし、誰がどう好意的に見た所で死んでいる。
「……」
だが、それでも。
迎坂黄泉路はそこに存在していた。
不意の奇襲に対応できなかった――わけではない。
未だ温く熱を残した身体を身動ぎもせず、赤黒い水溜りを形成しつつある首筋の出血を気にも留めず。
迎坂黄泉路は思案していた。
「(小室君のお陰で色々思い出せたとはいえ、やることに変わりはないかな)」
襲撃者の顔を見た途端、買い物袋から自身の異常を連想したのと同様に、今回の事件について思い出していた。
小室が能力者であることは既に現地協力者である校医、千草から受け取った調査報告書にて知っていた。
それはあくまで戦場彩華という少女にまつわる経歴や当時周辺で起こっていた事件の記録の中に紛れ込んだ断片的な物であったが、最近発生した事件を鑑みればある種の推測へと辿り着くものであった。
「(小室君が彩華ちゃんに執心する理由はわからないままなのも気がかりだけど、焦っても仕方がないか)」
思い出した情報を頭の中で整理しつつ、黄泉路は待ち時間を使って現状への推理を進める。
「(ここ数日で発生した行方不明事件の犯人は小室君。丁度学校を休んでいた時期とも合致するし、警察が動かないのは証拠が見つからないから)」
ここ最近、地方ニュースではしきりに未成年者の失踪という形で取り上げられていた事件。
被害者は一様に、過去小室に対して金の無心や暴行、脅迫といった行為を行っていた集団として調査結果に挙がっていた名前である。
戦場彩華の周辺調査という名目で挙がった周囲の人間の中で、唯一能力者であった事から掘り下げて調査していた事が幸いした形であった。
失踪した少年たちは皆、小室が恨みを抱くに十分な瑕疵がある。何かのきっかけで小室が復讐を決意し、犯行に及んだとしても不思議ではない程に。
「(ただ殺さず、死体を隠すのは、前回からの反省って事なのかな)」
今になって行動を起こした理由は黄泉路には分からない。だが、共犯者を得た事で行った小室の行動については理解できる。
死体とは犯罪が起こった場合の最も雄弁な証拠である。そして、小室は前回、彩華が黙っていなければ順当に逮捕されていた。
それを踏まえたうえで、凡そ隠蔽や隔離に不向きだろう能力の小室とは別に、襲撃を人目から隠し、死体を人知れず消し去る事が出来る共犯者を用意してこの空間を作り上げ、
「(そしてその能力者は少なくとも、死体を残そうとはしない)」
小室の口振りから察するに、行方不明者達もこうやって処理してきたのだろう。
「(周囲から人払いをする、内部の人間が逃げられないようにする。そんな能力があっても、物理的に残った死体だけは自分の手で処理しなきゃならないんだから、当然といえば当然だけど)」
そうした推察から小室の共犯者――この隔離空間を形成している能力者をおびき寄せるため、黄泉路はあえて奇襲を受けたのだった。
……とはいえ、黄泉路も最初からそのつもりだったわけではない。
おびき寄せるという意識そのものはあったものの、小室の事を思い出したのは襲撃によって顔を合わせた瞬間だ。そしてそこから、自身の目的に変更がないことを確認してあえて刃に身を晒したというのが実情である。
「(おそらく共犯は1人。これだけの広範囲を隔離できる性質から、他に大きな制限が付いている可能性も考えれば、共犯者自身の戦闘能力は低く、おまけに能力的に戦闘する必要がそもそもない)」
隔離した空間に、死体と術者しか存在しないという現時点での状況こそ、隔離能力者にとって最も安全な状態とすら言えるのだから。
「(小室君の口振りからするに、これから来るはずなんだけど)」
黄泉路は待っていた。
小室駿輔ではない。もう一人の襲撃者を。
――ざり。
不意に、砂利の混ざった地面を踏みしめる足音が川の音に紛れた。
別段隠し立てする気はないらしく、住宅街方面から堤防へと近づく足音は規則正しい。
その後を追って、重みを感じるころころとごろごろが混ざり合うような音が響くことから、何か荷物を引き摺っているのだろう。
ややあって、法面に設置された階段を昇りきった足音の主が遊歩道へとその姿を現す。
その女は一見して仕事帰りの社会人のようで――本来ならば仕事用の手提げや肩掛けサイズの鞄が正しいのだろうが、後ろに転がしたキャスター付きのトランクケースによって出張前後のような出で立ちで――あった。
OLが夜の河川敷を歩く姿はそれなりに異質ではあるものの、帰宅途中であると考えればさほど不自然ではないとは言える。しかし、それはあくまでこの場所が正常な空間であればこそという前提が付けばこそ。
この場において一般人が紛れ込むなどという事はありえない。つまりは――
「せっかくならこっちの子が依頼主だったら良かったのに」
残念だ、と。まるで食べたかった料理が品切れだと言われたときの様な落胆の声を発し、黄泉路へと近づくパンツスーツの女――【領域手配師】が息を吐く。
「後始末する身にもなれっての。せっかく綺麗に殺せたんだからそのままにしてくれたら私も楽しめたのになぁー」
ぶつぶつと、おそらくは小室の事だろう依頼主への愚痴を呟いた領域手配師は、倒れた際に袋から零れ周囲に散乱した食材類を跨ぎ、じぃっと黄泉路の顔を、身体を覗きこみ、
「うーん。見れば見るほど勿体無いなぁ……ほんっと、私好み」
黄泉路の頬へと、荒事には向いていないだろうすらりとした女性らしい指を這わせた領域手配師は呟く。
「……死後4時間くらいまではまだ暖かいんだったっけ?」
暗く濁った瞳を覗き込み、血で汚れ半開きになった唇に指でなぞりながら、領域手配師がうっそりとした笑みを浮かべ、
「……今ならまだ勃つ?」
領域手配師の手がズボンのベルトへと掛かった瞬間、言い知れぬ悪寒に襲われた黄泉路は跳ね起きるように飛び上がる。
「――ッ!!!!!」
「きゃあ!?」
死体だと思っていたモノが突然動き出した事に驚いた。そう表現する他ない悲鳴をあげ、領域手配師は硬直したままの姿勢でまじまじと起き上がった黄泉路を凝視する。
「……」
「……」
言葉を発する事もなく見詰め合う両者の間には、先ほどまでとは別種の痛々しい沈黙が横たわっていた。