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6-46 明けを待つ金糸梅

 暖かで粘り気のある液体が彩華の頬を伝い、首筋に流れる。

 痛みを感じることがなかったのは幸いだろうか。漠然とそんな事を考えていた彩華の耳に、聞きなれた声が届く。


「さよならなんかじゃ、ない!!」


 それは彩華が思うよりもずっと近く、降って来た声に(・・・・・・・)思わず目を見開く。


「え、なん……どうやって……」


 巨大な影を背負うように、彩華の前に一人の少年が居た。

 それは背にした数多の刃から彩華を守るように覆いかぶさり、深く裂いたらしい首からは止め処ない鮮血が溢れて彩華の頬を、服をぬらしていた。


「どうでもいい。それより、終わっているなんて言うな」

「な、今はそんな事――」

「言うな」

「っ」


 普段の少年からでは考えられないほどの強い語調に、彩華は言葉に詰まって少年を見返す。

 いつも以上に近い顔は後頭部にも刃を受けているのだろう、濡れ羽の様に黒い髪の合間から流れ出た血によって同色の瞳までも仄かに赤黒くみえてしまう。

 そんな、目を開けていることすら辛いだろう状況でなお、死なない能力者、迎坂黄泉路は彩華の瞳をじっと見つめていた。


「でも、貴方が、教えてくれたんじゃない。誰かを殺した責任は、背負うべきだって。それが、仇だったとしても」

「……」

「なら、私は一般人(わたし)として生きていけない、それなら、一緒に死ぬしか……!」

「違うよ。僕が言いたかったのはそうじゃない」

「……え?」


 喋る度に粟立つ様な、血を含んだ声。だがそれでも、黄泉路は諭すような優しい音で彩華に言う。


「殺した相手を忘れずに背負っていく。僕が伝えたかったのは、何があっても生きる覚悟だ」

「いきる……覚悟……」

「誰かが必要としてくれる限り、人の生きる意味はなくならない。だから、自分から終わろうとしちゃダメだ」


 それはこの数年間、一度も考えた事のなかった事だ。

 他人を傷つけないようにという配慮もあったものの、彩華が他人を寄せ付けようとしなかったのは、自らの異常性を知られる事を恐れていたからだ。

 そんな生き方をしていれば、当然他人に必要とされるなどという言葉とは縁遠くなってしまう。


「私、だって、パパも、ママも……」

「僕は?」

「えっ……」

「少なくとも、僕は彩華ちゃんに生きていて欲しい」

「それ――」


 相変わらずの困ったような笑みに、何かを言い募ろうとした彩華を遮るように、黄泉路はさっと顔をそらして咽る様な咳を零す。


「……こほっ、んんっ」

「ちょ、大丈夫!?」


 口から零れた血液に彩華が咄嗟に案ずるような声を上げてしまえば、黄泉路は小さく頷いて、


「とりあえず、これ、どうにかしてもらっていいかな……。このままだと、傷を塞ぐのもままならなくて」


 何処までも見た目の惨状にそぐわない優しげな調子に、彩華は毒気を抜かれた様に刃の処理に取り掛かった。


「……これで動けるかしら」


 ひとまずはと、黄泉路の腹部を貫通してあと一歩で彩華に到達しそうだった刃を介して黄泉路が立ち上がれる程度の広さの穴を開けた彩華が声を掛ける。


「うん。彩華ちゃんも、立てる?」

「……ええ」


 刃の花が解けると共に再生したらしい黄泉路が差し伸べてくる手に、彩華は胡乱なものを見るような目をするのを堪えつつ手を伸ばす。

 黄泉路の傷が治るに従い、彩華の頬や服を濡らしていた返り血が赤い塵と化して空気に溶けるようにして消える。

 それを便利と思う反面、再生したのは肉体のみの為、服は相変わらず悲惨な有様でむしろ着ていないほうがまだいいのではとすら思える状態の黄泉路の格好はそれはそれで不便だなと彩華は思う。

 そういった些細なことに気を配れるだけの余裕が出来たとも取れるが、どちらかといえば感覚が麻痺しているというほうが正しいだろうか。


「良く頑張ったね」

「……迎坂君が見てろって言うから」


 二人がぎりぎり立てる程度のスペースを残し、黄泉路という支えがなくなったことで自重に従って周囲のコンクリートに突き刺さった逆咲きの蓮を見下ろして評価を口にした黄泉路に、彩華はもう少し上手くやれたのではないかという心持ちからやや不満げな音を孕んだ声で応える。

 彩華が採った戦術は言葉にしてしまえば簡単なことであった。

 相手が動き回れないように誘導し、その長所ごと封殺する(・・・・・・・・・・)

 直前に黄泉路が見せた戦闘で、彩華は小室の能力が近接戦闘において馬鹿らしい程に高いアドバンテージがあることを理解した上で、その長所に覆われていた欠点までをもしっかりと把握していた。


「小室君の敗因は、能力に任せすぎて状況判断能力と元々の身体能力がそこまで高くなかった事だね」


 お疲れ様、と。

 純粋に労うような、諸々を含めたその言葉に、張り詰めていた彩華の気がふっと抜ける。


「おっと」


 黄泉路が抱きとめれば、危うく剣山に倒れこみそうになった事とは別に彩華の肩がびくりと跳ねる。


「大丈夫?」

「も、んだいないわ」


 黄泉路の視線から逃れるように向けた先。

 自身が作り上げた決意と殺意の結晶がコンクリートを貫いて赤黒い染みを広げており、風に乗ってツンとするような臭いが鼻を突く。


「実感、湧かない?」

「……そうかもしれないわ」

「断言するよ。これは間違いなく死んでいる」

「……そう」


 言葉を重ね、飲み込むと共に、彩華の中に沈殿していたものが攪拌されてゆくような嫌悪感が沸きあがり、疲労で持ち上げるのも億劫な両手を口元にあてて抑えると、直後に吐き気と悪寒が競りあがってくるのを必死に堪えた。

 抱きとめている黄泉路から言葉はなく、顔を上げることもできない彩華は黄泉路がどんな顔をしているのかを確かめる事も出来ない。

 だが、決して無情であるが故に言葉を掛けないのではないというのは、彩華には良くわかっていた。


「……もう、大丈夫よ」

「そっか」

「つき合わせて悪かったわね」


 短くない沈黙を破って顔を上げた彩華の顔色は青い。だが、同時に吹っ切ったような晴れやかな感情を宿した瞳が黄泉路と向かい合う。


「それは構わない。けど、すこしばっかり大暴れしすぎたよね」

「あっ……」


 後片付け、どうしようかと目で問う黄泉路に対して、彩華はここで初めて自分がこの一晩でやってきた事を思い出して目を瞠る。


 学校ひとつを丸々改造して作り出した密室。

 屋上を破砕して作り出した刃の花畑。

 それの下敷きになった斬殺死体。


 誰がどう取り繕おうとも、大惨事であるという事実は覆しようがない。

 これをどうにか隠蔽するためには、彩華自身が再び校舎を駆けずり回らねばならないのは明白であった。


「時間は、今何時?」

「……夜の4時40分だね」

「……」


 時間がない。

 慌てて立ち上がろうにもどっと押し寄せた疲労によってふらつく足元に叱咤をして黄泉路の支えから抜け出た彩華の耳に、不意に声が届く。


「――後片付けなら私が協力しましょうか?」

「っ!?」


 どこから、と、彩華が声の主を探すよりも早く、それはそこにいた。


「本当に任せても問題ないんですね?」

「報酬は貰っています。私、仕事はしっかりする主義ですので」

「……」


 天から地へと咲いた蓮の傍。腕を組んで彩華と黄泉路へと視線を向ける女がさも当然のように存在していた。

 ゆるいカールの掛かった明るめのセミロングを横に流した女に対して彩華がぱっと抱いた印象は、どこか普通の会社に勤務していそうなオフィスレディというもの。

 すらっとした女性の割には高めの長身が纏うパンツスーツが小奇麗な印象を与えており、それが逆にこの場においては強烈な異彩を放っていた。


「な、いつから……」

最初から居ましたよ(・・・・・・・・・)

「この人の能力を考えれば、そう考えるのが妥当だろうね」

「知り合いなの?」


 怪訝な顔を隠しもせず問いかける彩華のそれは、すなわち味方なのかという問い。

 だが、黄泉路はそれに対してゆるりと首を横に振る(・・・・)


「いいや。敵だよ」

「嫌ですね。先ほどはあんなに熱く盛り上がった仲ですのに」

「悪意しか感じない表現はやめてください」


 珍しく、嫌悪感を隠しもしない黄泉路が自らを抱くように片腕を抑えて身震いする姿に、彩華はそれほどの危険人物なのかと僅かに身構える。

 そんな心境を知ってか知らずか、パンツスーツの女はその見た目を反映するようなきびきびとした調子で蓮の下で潰れた小室がいるだろう方と向き直る。


「時間がないのはお互い様ということで、私としても仕事に取り掛かりたいと思うのですが」

「なにを、するつもりなの?」

「とりあえず、あの花をどうにかして貰っていいかな? 何をするにしても屋上を片付ける事に変わりはないしさ」

「え、ええ」


 黄泉路に促され、とん、と。靴を鳴らすように床を踏めば、金属が擦れ合う軋んだ音を響かせながらも糸が解けるように刃で形作られた蓮が、茎が、葉が、形を失ってコンクリートの床へと飲み込まれてゆく。

 そうして建材が元の形を取り戻してゆくにつれて現れた、元の原型をかろうじて留めている男子学生だった死体を前に、女はなんでもないとでも言うように、いつの間にか取り出していた一抱えもあるようなトランクケースの蓋を開け始める。


「【黄泉渡】さんは話していないのでしたね。私は【領域手配師(エリアマネージャー)】。秘匿を求める方々に場所を提供する事を副業としているものです。そちらの【黄泉渡】さんとは敵組織、ということになりますね」


 領域手配師を名乗った女が思い出したように先ほど彩華が発した問いに対する返答をしながら、手際よくちりとりやバケツ、ビニール袋を取り出して死体を詰め込み始める。

 色々と突っ込みたい箇所はあるものの、ともあれ彩華は目の前で起こっている事について確認せねばと口を開く。


「何を、しているの……?」

「死体処理ですが、それ以外に見えますか?」

「でも、だって、どうして?」

「仕事だから。としか言いようがないですね。今回の仕事はこの町で起こる死体の隠匿と処理。報酬は前払いで頂いておりますし、それは対象が依頼主であって(・・・・・・・・・・)も変わりはない(・・・・・・・)というだけの話ですが」


 何か、と。

 これ以上質問がないならば作業に集中させて欲しいと訴えるような淡々とした声音に、彩華はうっと言葉に詰まる。


「それでも詳しい話が聞きたいと仰るならそちらの【黄泉渡】さんにお尋ねしたら如何かと思います。そちらも後処理をしなければならないのでしょう?」

「……迎坂君。ついてきてくれるかしら」


 有無を言わさない調子で彩華が振り返れば、黄泉路は仕方ないとばかりに頷くのだった。

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