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6-43 幻想の山茶花は斯く散り逝く2

 黄泉路が拳を振り下ろす。

 それは小さく風を切る音を立てて小室の頭上へと突き刺さり、小室は視界と同時に意識までも揺れるような激痛と吐き気にコンクリートの床に突っ伏する。


「ぐ、ぇえ……っ」


 まともに受身も取れず、顔面から固い床に倒れた小室の嗚咽が響く。

 そんな光景に、少しばかり離れた位置から見ていた戦場彩華は目を瞠っていた。


「う、そ。どうして……こんな、あっさり」


 あれほど彩華が殺意を以って殺害に及んでも、一撃たりとも当たる事のなかった攻撃。

 それがあっさりと、夢でも見ているのではないかと思うほどに自然に突き刺さる光景に、彩華の口からは自然と言葉が零れる。


「僕はこの程度じゃ死なないよ。ほら、小室君も、殺すつもりがあるなら死ぬ気で頑張らないと」


 振り抜いた拳を解き、ぷらぷらと揺らして痺れを散らすようにしながら、激昂していた小室とは対照的にどこまでもフラットな調子の黄泉路の声が倒れ伏した小室に降り注ぐ。

 立ち上がろうとはしているのだろう。だが、頭部を襲った激痛と脳が揺れた事による視界の明滅からくる吐き気を堪えるのに精一杯の小室にそこまでの気概を求めるのは酷な話であった。

 だが、黄泉路が容赦する事はない。


「さっきとは立場が逆になるね。復讐って大義名分はあるし、同じ事しても良いって事なのかな?」

「ッ!!」


 さらりと告げられたお互いの間でしか通じない私刑宣告(・・・・)に、小室は痛みも忘れたようにバッと床を転げる。


 ――ダンッ!


 直後に黄泉路の足が小室の頭部があった場所へと振り下ろされたのを、膝と両手で床から起き上がって認識した小室の顔からさっと血の気が引く。

 あのまま動けなければ、確実に頭を踏み抜かれていた。

 そしてその威力はおそらくは普段不良達から振われていたそれの上を行くと、直感的に理解してしまった小室は背筋に薄ら寒いものが駆け上がるのを堪える事もできず、明らかな異常を見るような瞳を黄泉路へと向ける。


「な、なん――ッ!?」

「どうかした?」


 純粋に、何に対しての驚きなのか判らない。そう物語るような顔で黄泉路が首を傾げる。

 当たり前の行為として暴力を肯定するという、日常からかけ離れた存在であるとでもいうように。


「お前いったい何なんだよ!!」


 言い知れぬ異物感に小室は吼える。受け入れがたい存在を拒絶するように叫んだ声がどことなく悲痛さを帯びて黄泉路の耳を抜け、離れた位置の彩華にまで届く。


「ふふ。ははは。面白い事を聴くんだね」

「な、んだと……?」


 それを受け止めた黄泉路はその質問を(・・・・・)待っていた(・・・・・)とでも言うかのように(・・・・・・・・・・)柔らかく、諭すような調子で口を開いた。


「小室君はさ。彩華ちゃんと何処か、ここじゃない場所に行くって言ってたけど、具体的には何処に行こうとしてたの?」

「――ッ。何で、今そんな話……」

「裏の世界で生きていく、って言ってたけど」


 言葉を区切るように、次の言葉を決定付けるように。

 黄泉路は深く息を吸い込んで、静かに告げる。


これ(・・)が、君が惹かれた裏の世界ってヤツだよ」

「ッ!?」


 再び床を激しく踏みつける音と、コンクリートに皹が入る微かな音が風に溶ける。

 その風は黒。黄泉路という少年の姿をしたナニカが強く踏み込んだために起きた風であった。


「人を殺す。殺されるって言うのはこういう事なんだ」

「ぴぎゅっ――ッ!?」


 未だ立ち上がりきれて居なかった小室の脇腹に黄泉路の蹴りが突き刺さって窪み、吐血と涎が絡んで音にならなかった悲鳴が嗚咽へと変質して尾を引き、小室の体を大きく吹き飛ばしていた。


「が、ひゅ、げぇ……ごぇ……ェ……ッ!」


 痛みで呼吸が止まっていたらしく、びくりと蠕動した後に喉に詰まった嗚咽を吐き出すようにして荒く痙攣する小室を黄泉路は静かに見据える。

 距離をつめ、殺すだけなら一瞬だ。だが、これはそういう問題ではないのだと黄泉路は弱いもの虐めにも似た罪悪感を振り払って言葉を続ける。


「誰かを殺した人は、必ずその責任を問われる。法的に問えなくても、周囲が、自身が、それを覚えている限りね」


 それは傍で聞いているはずの彩華へと向けた言葉でもあった。

 小室へと向けていた体を彩華のほうへと向け、黄泉路は静かな声で断言する。


「それでも背負うというのなら。僕は君を止めない」


 止める資格など、2年前に失ってしまっているのだから。

 飲み込んだ言葉を伝える必要は無い。そして本来は、ここで自身がトドメを刺してしまうべきなのも、黄泉路はしっかりと自覚していた。

 黄泉路は経験から知っている。復讐など、成し遂げる事に意味はあっても意義などないと。

 しかし、その上で彩華に最後の引き金を委ねたのは、黄泉路がこの数ヶ月で見知った戦場彩華という少女に対する誠意であった。


「……私、は」


 ふらりと足元が覚束無い様な錯覚に、彩華は言葉を澱ませる。

 結論なんて決まっている。そのはずなのに、目の前に供された結末を現実のものとして受け入れられず、彩華の視線は宙を泳いだ。

 そんな彩華の無意識下の逡巡を整理させるように、黄泉路は問う。


「こうして目の前でボロボロになれば気が晴れる程度のものだった?」

「いいえ」

「このまま彼が二度と目の前に現れないと誓えば、生かして返してもいいと思えた?」

「いいえ」

「殺したら、気持ちは晴れると思う?」

「……いいえ」


 恐らくは彩華自身でも分かっていたことなのだろう。

 多少の間を空けてから出てきた否定に黄泉路は小さく溜息を吐いた。


「そこまで分かっていても、やるんだね」

「ええ」


 しっかりと頷いた彩華の瞳に以前まであったような押し殺したような圧迫感はない。


「わかった。じゃあ、ここからは彩華ちゃんに任せるよ。――戦い方は、教えたからね」

「ええ。ありがとう」


 痛みから来る痙攣が治まり始め、会話の合間に隙を窺っている――その事がバレていないと思っているらしい――小室を一瞥し、黄泉路は場所を譲るように彩華に歩み寄る。

 諦めにも似た困り顔があまりにも日常に溶け込んでいたときと変わらない事に、彩華は改めて小さく息を吐いて黄泉路の横を通り過ぎて、再び身を起こし始めた因縁と相対した。

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