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6-42 幻想の山茶花は斯く散り逝く

 コンクリートの床材の僅かなタイルの継ぎ目が広がる屋上。

 その一部が材質も形状もアトランダムに練り混ぜられ、床という意味合いでのみ周囲のタイルと共存している歪んだ地面が再びぐにゃりと変容する。

 音こそさらさらという夏の夜に聞き心地の良い風流すら感じるそれだが、その実、そこから現れるモノは屋上で手持ち無沙汰に待ち続けていた小室駿輔にとっては不愉快な存在でしかなかった。


「……ふぅ。やっぱり閉じた場所よりこっちのほうが好きだなぁ」


 階段を登りきった黄泉路が涼やかな夜風に黒髪を揺らし、密閉された校舎とは違う、高所ならではの風通しのよさに目を細める姿は余裕に溢れている様に見える。

 後に続く彩華がその様子に眉を顰めつつも特に何を言うわけでもなく一歩、脇へと逸れて並び立つ。

 黄泉路が受け取って小さく頷きかければ、応じるように彩華が靴のつま先でこつんと床を叩き、それにあわせて再び出口が閉じていく。


「さて、と。こうして向かい合うのはさっきぶりだね」


 背後で再び屋上唯一の真っ当な出入り口が閉ざされていくのを感じつつ、黄泉路は小室の意識が自身へと向くようにと声を掛ける。

 気安く、まるで彩華の家の傍で初めて真っ当に言葉を交わしたときの延長のような緩い調子は、既に黄泉路を殺すべき敵と認識している小室の憎悪に火を注ぐようで。


「うるせぇよ。また、いや、今度こそ、お前を殺す。殺して、彩華とふたりで、俺は――」

「ああ。そういうのは良いから」

「あ゛ぁ゛?」


 珍しく相手の言葉を遮った黄泉路に、不愉快さと怪訝さを隠しもしない威嚇を込めた声音で小室が凄むが、黄泉路は気負い無く前へ出つつ、


「御託は良いからさっさとやろう。僕も――少し怒ってるんだ」


 挑発するように――否。正しく、挑発として、更に一歩踏み込みながら黄泉路は言い切る。


「僕の事は別に良かったんだけどさ。死ぬのは、まぁ、慣れてるから」


 一歩、また一歩と、ゆっくりとした足取り歩み寄ってくる黄泉路に、小室は言い知れぬ恐怖を感じた。

 表情は普段通りの凪いだ穏やかなものであるというのに、その声音の奥底に沈殿するような、深く、重いナニカが首筋に宛がわれている。

 そんな錯覚に、小室の足が無意識のうちに半歩後ろへと。


「不意打ちじゃなきゃまともに戦えないのに、僕と敵対したの?」

「ッ、う、うるせぇ!!!!」

「そうだよ。君のほうから向かってきてくれなきゃ、意味がない(・・・・・)


 度重なる挑発と、黄泉路から漂う理解不能な圧に耐えかねた小室が叫ぶ。

 それと同時に踏み出した小室の挙動が一瞬で、そのふくよかな体躯からは想像も付かない速度で黄泉路の背後へと回り――


「死ぃいねえぇえええぇええ!!!!!」


 僅かに刃の欠けた鉈が頭向けて振り下ろされると同時、片足を軸に円を描くような動きで振り返った黄泉路はそのまま繰り出した拳によって鉈の腹を殴り飛ばす。

 ぎっ、と。強かな衝撃に痺れた手から鉈がすっぽぬけた小室は一瞬呆けた様な、しかし次の瞬間には驚愕に顔を染めて目を見開く。


「しっ!」


 流れるように次の動作へと移っていた黄泉路の呼気にハッとなり、慌てて飛び退こうと小室が動き、黄泉路の蹴りが後を追うように脇腹を捉える。

 幸いにして跳ぶ方向と蹴りの力が合致していたために浅い衝撃だけで済んだものの、特別痛みに対して訓練をつんだわけでもない小室はそれだけで着地すらままならずに無様にコンクリートタイルの上を転がる。


「小室君の事情には同情出来る部分もある。だけどさ。それで無関係の人にまで不幸を撒き散らす時点で、君はどうあっても加害者なんだよ」


 蹴りを見舞った後の足を床へと下ろせば、赤い塵がふわりと舞う。

 血で出来たようなどす黒い赤が夜風に触れて溶け、黄泉路が踏みしめた足の下で呻く様に揺れた。


「お、まえ、に……なにが……ッ!」


 痛みに呻きながらも、黄泉路への敵愾心という一点のみで心を支えた小室が口元の涎を拭きながらふらりと立ち上がる。


「わからないよ。幻想に甘えて被害者面してる加害者(きみ)の気持ちなんて。わかりたくもない」


 淡々と、ただ事実を突きつけるように言い返す黄泉路の言葉は小室が無意識に目を背け続けていた図星を的確に抉り、腹部の痛みとは別の痛みに小室の心が悲鳴を上げる。


「――せぇ」


 痛み、疼き、じくじくと内側から腐食するような不快感を吐き出すように、幽鬼のような足取りで放り出された鉈を拾い上げた小室が呟く。

 次第に大きくなる声は、小室の溜め込んだ悲痛であり、自分に手を差し伸べてくれなかった世界への憎悪であり、


「うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ!!!!! うっぜーんだよ!!!! 判った顔してんじゃねぇよ!! テメェみたいな勝ち組が!!! テメェみたいなヤツがいるから俺はあああぁあぁあぁああ――!!!!」


 プツン、と。小室の中でナニカが途切れる。

 それは小室にとって堪えがたい、抑えがたい憎悪の暴走。

 ぶわりと小室の周囲の景色が揺らぐような錯覚と共に、小室の姿が一瞬にして黄泉路の前へ、正面から胴を殴るような勢いで袈裟に振り下ろした鉈が、ガードの為に投げ出した左腕の骨に達して砕ける音が響き、その瞬間には既に引き抜かれていた鉈の二撃目が再び左腕の別の箇所へと振り下ろされ、肉が抉れ、骨が割れる。


「死ね、死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねェエエエエエエ!!!!!」


 ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、と。雨の様に振り下ろした鉈が、角度も精度もないただの力任せの暴力を、黄泉路は時には拳で打ち払い、時には両腕を犠牲にして防ぐ。

 やがて――


「ハッ、ハァッ、ハァッ……!」


 肩で息をして止め処なく伝う汗もそのままに背を曲げた小室の手が下がる。

 ぶらりと重力に負けて下ろされた鉈を持った手は自らが振り下ろした衝撃に痺れ、もはや自分で握っているという感触も怪しいだろうと冷静な視線で捉え、


「夢からは、醒めた?」


 俯いた事で低くなった小室の頭を見下ろし静かな声で問いかけた黄泉路に、疲労に悶える身体に鞭を打って顔を上げた小室はハッとなる。


「なっ――!?」


 先ほど衝動のままに振り下ろし、自らが何処を殴っているのかも気にしないままがむしゃらに振り回したはずだった。

 痺れと疲労を感じる腕は確かに黄泉路の拳を、腕を、肩を砕いた感触があったはず――それなのに。


「んで……どうしてだよ……!?」


 小室の目の前では、唯一服だけは無残に引き裂かれているものの、無傷そのものの絶望(よみじ)が拳を振り上げていた。

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