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6-33 花開く野薔薇


 ◆◇◆


 彩華の両親が殺された4年前の夜。

 今の彩華を形作る原型はあの日に作られた。




 両親が殺され、強盗の気まぐれで犯されようとしている。その上、それが終われば両親同様に殺される。


「――ッ。 (やだ、やだやだやだ……!!)」


 真っ当な中学生女子として生きてきた彩華にそれらの現実を即座に受け入れられるだけの度胸も、覚悟も、異常性も、まだ備わっていなかった。

 ……それが備わったとするならば、事件の後だろう。


「……ははっ。やっぱ、いいもん持ってるよなぁ。前から気になってたんだよ」

「んん、んんんー!!」

「静かに、してろよ!」


 仰向けに転がされ、小室の血走った目と正面から向き合ったとき、彩華が初めに抱いたのは強い恐怖だった。


「(お父さん、お母さん……ッ)」


 無理やりに押し倒された痛みと恐怖で生理的な涙が溢れ、現実から解放されたい一心で彩華は両親に縋ろうとし――思い至る。

 その両親は、すでに目の前の存在によって殺されたのだと。

 返り血でぬれた包丁が服を裂き、露出した地肌に小室の手が這う感触に、彩華は自身の中で何かが急速に湧き上がってくるのを自覚していた。

 もはや自身が完全な上位者だと疑っていない小室は気付かない。

 彩華の表情が恐怖に竦む少女のものから――敵を排除して自己の保全を図ろうとする本能に支配されたそれに変化していることに。


「(――誰も私を助けてくれない。なら、私が、自分で切り開かなきゃ(・・・・・・・)……ッ!)」


 その瞬間。極限まで引き絞られ、鋭く、触れるもの全てを斬り裂く自己防衛本能へと練り上げられた恐怖が、自身の中で産声をあげたことを彩華は確かに実感した。


「ぎっ、ああっ!?」


 それからの行動は、彩華自身もよく覚えていない。

 悲鳴と共に小室が飛びのいたことで軽くなった身体の感触。目の前が真っ赤に染まったような激情の奔流のような思考でそれだけを理解した彩華は即座に立ち上がり、手元に生えてきた(・・・・・)包丁を握り締め、


「――あ、わ……たしは……何、を……」


 目の前から敵が消えたことで戻ってきた理性で彩華は目の前の光景を認識する。

 タイル張りの玄関も、そこから続く木のフローリングだったはずの廊下も、家族写真やカレンダーが張られた壁面も、それら全てを飲み込んで材質が混ぜ合わされたマーブル状の針の道。

 まるでこれこそが地獄の入り口であるとでも言うかのような様相に彩華は言葉を失う。

 眼前に広がる、彩華の内で目覚めた殺意の証明。その光景はそう評するに相応しいものであった。


「ぁ、あ……あ……」


 自身が齎した異常と、それまでに降って湧いた現実を直視する。


 両親が死んだ。犯人が同級生だった。

 犯されかけた。能力者になった。

 殺されかけた。殺そうとした。


 それは彩華の中学生としての当たり前の、常識からなる感性を揺るがすに十分すぎる感情の濁流。頭痛にも似た頭の重さを堪えつつ、常識に則って警察へと通報しようとし――手の中の違和感に気付く。


「……?」


 そこにあったのは、一振りの無骨な刃。何かを傷つける、それだけの為に存在するかのように、装飾もなければ、売り物のような柄もない。完全に一つの物質として連続した抜き身の包丁。

 純然たる本能によって発現した“自身の安全の為に全てを切り開く”という意志(スキル)の産物。

 握りこんだ包丁の側面に浮かぶ自らの顔を見下ろして、彩華は思う。


「(こんな状況、警察にどう説明しろっていうの……?)」


 明らかな異常。明確な殺意の体現。

 彩華本人には与り知らぬ事ではあるが、能力の発現法則なども確定できていない現状ではそれだけで何かの罪に問われるということはない。

 だが、彩華は自覚してしまっている。


 この刃物こそ、自身が誰かを殺そうとした意志そのものだと。


「(か、くさなきゃ。片付けなきゃ)」


 ある種の強迫観念にも似た思いに突き動かされ、彩華は手の中の包丁に消えろと念じる。

 だが、いくら願ったところで、その決意だけは覆らないとでも言うかのように、手の中の無骨な包丁は暗がりでその存在を主張し続けていた。


「(消えない!? なんで、消えてよ! じゃないと私――)」


 心の中で葛藤する焦燥感のままに、消せないならば隠すしかないと彩華は考え、すぐに視線を目の前へと向ける。

 眼前に広がる廊下一帯を埋め尽くす針の山。これだけは消せなければ隠しようがない。どうにか隠せてほしいと祈るような心境で指先を触れれば、彩華の心境とは裏腹に針の山はなんともあっけなくその姿を崩してゆく。

 崩れてゆく中で、彩華は必死に自身が普段から見慣れた生活空間を思い描き、目を開けてその通りの姿が何食わぬ顔で広がっていることに僅かな喜色を浮かべ、そして、


「おかあ、さん……」


 廊下の向こう、開きっぱなしになった扉から見える倒れたままの母親の影を見て我に帰り、取り落とした包丁がフローリングの上で硬質な音を響かせた。

 床に落ちた自身の殺意の結晶とその延長線上で倒れた母とで視線が数度行き来をし、


「――わた、しは……」


 震える指が包丁へと触れる。

 紛れもない殺意。目覚めてしまった、常識から外れてしまった願望を、彩華は自らの意志で手に取った。


「ごめんね。お父さん。お母さん。私、やっぱりアイツを許せない」


 気付いてしまえばどうしようもないほどに、彩華は胸のうちに鋭い棘を自覚していた。

 小室を殺さなければ治まらない、今にもあふれ出してしまいそうな激しい衝動。

 だが、視線の奥で、母親が静止をかけているような錯覚が、今すぐにでも飛び出して小室を追いかけようとしてしまう彩華の衝動に静止をかけていた。


「……正当な理由があれば、殺してもいいかな?」


 両親に確認するような問いが漏れる。もはや返答があるなどとは考えていないが、無意識に発したその言葉は耳から改めて自身の脳に認識された事で、彩華の理性と衝動、常識と非常識の混濁に奇跡的な均衡を齎した。


 この殺意を止められない。

 けれど、ただ衝動のままに殺すのでは両親を殺した小室と同じ。ただの殺人鬼だ。

 ――ルールを作ろう。私が、常識側(わたし)として生きてゆく為に。


 彩華はよろけるような足取りで血の匂いが充満するリビングまでたどり着けば、静かに浅く呼吸して、再び手の中の殺意(ほうちょう)へと目を向ける。

 明確な異常。日常とは違う、非常識がまかり通る世界の象徴を目に、彩華は思う。


「……私とアイツの接点が消えるまで。それまでに、アイツがまた私を殺そうとして来たら……アイツがまた、非常識(こっち)側にきたら。その時は、アイツを殺しても許されるよね?」


 口封じをし損ねているのだ。再び狙ってくる可能性は高い。

 その時こそ正当性を持って自身の願望を叶えると、まだ顔にあどけなさを残した中学生時代の彩華は決意したのだった。

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