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6-29 松虫草と沈丁花

「迎坂君は卵と牛乳をお願い。私は見切り品を中心に回るわ」

「牛乳は普段も飲むの?」

「調理用だから小さいのでいいわ」

「了解」


 移動中に計算したように、タイムセールによって俄かに賑わっている店の入口付近で張り出された当日チラシから特売品を一瞥し、夕食用の見切り品と買い溜め用の特売品を慣れた様子で見極めて彩華が口早に指示すれば、黄泉路も小さく頷いて確認もそこそこに二手に分かれて優先目標の確保へと向かう。

 住宅街から程近く、駅に隣接した立地もあって、細々とした日用品も揃っているこのスーパーの利用客は多い。加えてこの時間帯は仕事帰りの社会人の波ともぶつかるため、あわせて組み込まれたセールは店内の人口を俄かに引き上げていた。

 よほどの不注意でなければぶつかったりはしないものの、歩いていればそこかしこに品定めをする人がいる通路を彩華は迷い無く進む。


「(いつもは余分に作らない為に工夫してるからそれほど贅沢はしてないけど、今日くらいは良いよね……私も贅沢したいし)」


 黄泉路(きゃくじん)という口実で普段ならば日持ちを考えて調理を躊躇う類の献立――手作りすると量がそれなりになる為にひとりで食べるにはやや勇気が要る、出来合いで買ったほうがかえって経済的だとすらいえるタイプのものだ――に決定した彩華は安値シールの貼られた食材を中心に篭へと入れてゆく。


「ああ。居た居た」

「そういえばどこで合流って言ってなかったわね」

「うっかりしてたよね。はい、卵と牛乳」


 黄泉路がさも当然の様に彩華から篭を預かって持っていた食材を入れる頃には篭の中身も多くなっていた事から、彩華は重みに痺れた手を軽く握っては閉じて感触を取り戻すようにしながら歩きだす。

 先んじて特売品等の競争率の高い品物を手に入れた事もあり、急ぐでもなく並んで店内を回れば、そういえばこれがなかった、あれが欲しかったなどと、荷物持ちが居る事を幸いと篭へと放り込んでゆく彩華の姿に、黄泉路は苦笑する。


「何よ」

「ううん。なんだか活き活きしてるね」

「試験が終わった開放感のせいでしょ」

「そっか」


 無論、それが理由ではないことくらい彩華自身気づいているし、隣を歩く勘の良い少年が気づかないはずが無いと理解していた。

 苦し紛れにも程があるが、それも今更だろうと自虐めいた感想があるのみで、こうして黄泉路と――誰かと買い物をしているというのは悪くないと、彩華は素直に受け入れる気分であった。

 人を寄せ付けないための態度、人を踏み入らせないための節度、人を傷つけないための矜持。

 それらが剥がれてしまえば、彩華という少女はどこにでもいるごく普通の女子高生だ。

 普通に友達と買い物へ行ったり、普通に友達と食事を楽しんだり、普通に――恋愛したり。

 自身でそれを遠ざけている自覚はある。当然、それが叶うべくもないことである事も、そう決めたときから覚悟していた。

 だからこそ、自身の矜持を保ったまま、そうであるように受け入れてくれている今の状況が望外の幸運であった。


「……向こう行ってていいわよ」

「ああ、うん。じゃあ待ってるね」


 気遣いからの沈黙すら、自身の意識からくる羞恥で気まずさを感じた彩華が端的に告げれば、黄泉路は小さく肩を竦めてレジの先、客用に備え付けられたサッカー台と呼ばれる台のほうへと歩いていく。




 短い間ながら、レジを打つ店員が時折向けてくる視線に居心地の悪さを感じつつも会計を済ませた彩華が黄泉路と合流し、その両手にいっぱいの荷物を抱えさせて再び外へとでた頃には、すっかり深い藍色になった空には星が散りばめられていた。


「急いで帰らないと夕食が遅くなるわね」

「彩華ちゃん、いつも何時ごろに食べてるの?」

「日によるかしら……昔は、両親が遅かったときもあったから」

「そっか。ごめんね」

「いいわ。もう割り切れているもの。そういう迎坂君こそ、食べる時間は大丈夫なの?」

「僕も不定期だからね。大丈夫」


 実際、隣を歩く外見以上に頼りになる少年がしっかりとした食事を摂っている姿を見た事が無いなと、彩華は今更ながらに気づき、普段はどれくらい食べるのだろうかと、この後作る予定の量をそれとなく聞こうと口を開きかけた所で、ふいに、鞄の中で何かが震えている事に気づく。


「――?」


 それがなんであるか、彩華が理解するのにやや時間を要したのは無理からぬことだろう。

 昨今であれば学生であっても必需品に上がるだろう携帯電話であるが、それはあくまで交友関係があればこそ。

 彩華とて連絡手段を持つということに否やは無く、親からプレゼントされたものという事もあって持ち歩いているものの、彩華のこれまでの交友関係からして使用率は高いとは居えず、普段からマナーモードにしている事もあって気づくのに時間が掛かったのだ。


「(電話? こんな時間に……? 私の番号を知ってる人なんてそう多くないし、掛けて来る人はもっと少ないのに……)」


 ちらり、と。

 番号を教えてすらいないが、もし番号を知っていたら掛けてきそうな人物筆頭である、隣を歩いている少年へと目を向け――


「え……?」


 遅ればせながら、彩華は隣を歩いていたはずの少年がいつの間にか、影も形も無く消え去っていた事に気づくのだった。

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