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6-28 それは坂を下るように5

 休憩を追える頃の彩華の懸念は見事に当たったといっていいだろう。

 窓から差し込む光は昼のものから夕暮れを示す橙を通り越し、地平の彼方から押し寄せた藍色へと移り変わるグラデーションが夜を連れて来る様であった。


「……結局日が暮れてしまったわ」

「ついつい熱が入っちゃったね」


 気が抜けたことで疲れた声で呻く彩華に、疲労を匂わせない黄泉路の苦笑が相槌を打った。

 基本的に黄泉路は真面目な部類であり、彩華とて根はそちらのけが強い。

 試験勉強という久方ぶりにかつての日常を感じさせる行事に無自覚のうちに心躍らせていた黄泉路の気合に釣られて彩華の地が引き出された結果。本命の試験自体が終わっているにもかかわらず、日ごろの授業での疑問点のすり合わせを復習の延長線とばかりにはじめ、気づけば半日が過ぎてしまっていたのだから、これにはお互い苦笑いせざるを得ない。


「どうしたの?」


 19時を過ぎた時計をみたまま難しい顔をしている彩華に黄泉路が問いかければ、返って来るのは嘆息と躊躇、困惑が混じった眼差しであった。


「いえ、こんな時間になるとは思っていなかったから。今週は買出しもしてないから……」

「ごめんね」

「乗った私も責任があるのだから、貴方の所為じゃないわ」


 手早くテーブルの上を片付けようと彩華が立ち上がり、黄泉路もそれに続く。


「食材って何もないの?」

「一応いくらかは冷蔵庫に残ってはいるけど……明日を考えると不安ね」

「じゃあお詫びもかねてなんだけど、僕が買出しに行こうか?」


 思っても見なかった提案に彩華は目を瞬かせて問い返せば、さも当たり前とでも言うかのように黄泉路は応える。


「うん。こんな時間までお邪魔しちゃったしね。それにこんな時間に女の子が一人歩きするのもどうかと思うし」

「……貴方、まだ私が“女の子”なんて可愛い括りに入ると思ってるのね」


 もはや呆れるしかないと彩華は首を竦める。

 何せ、能力という凶器を使って脅迫した事があるこの場で、脅迫した相手を守るべき対象のように言ってのけるその神経は理解しがたいものであったが、それはそれで悪い気はしないと片隅でも考えてしまう自分自身に気づいてしまったからであった。


「じゃあ、支度するから。その間にご家族に確認しておくといいわ」

「え?」

「任せるって言ってもお金まで貴方持ちにさせるほど貸し借りは作りたくないし、女の子の一人歩き(・・・・・・・・)でなければ良いんでしょう?」

「まぁ、そうだね」

「荷物持ちだけさせてさようならっていうのは私が納得できないし、夕食ぐらいご馳走するわよ。……貴方さえ良ければ、だけれど」


 歯切れ悪く彩華の口から出た主張が黄泉路の目を瞬かせる。

 黄泉路にすればちょっとした親切心のつもり、もしくは遅い時間まで付き合わせてしまった埋め合わせの提案をしたつもりであった為、彩華の性格上これ以上の長居は難しいだろうと考えていたからだ。


「喜んで。じゃあ、外で待ってるね」

「ええ」


 荷物から携帯と財布だけを取り出した黄泉路がリビングを後にし、程なくして玄関が開いて外へと出てゆく音を聞いてから、彩華は外出のための支度――といっても、黄泉路という客人を迎えるに際して最低限の服装ではあったため、普段から持ち歩いている荷物を取ってくる程度のものであったが――を済ませて玄関へと向かう。


「――何を作ろうかしら」


 靴を履き、黄泉路が待っているだろう玄関を開けながら。無意識に呟いた口元が緩んでいた事に彩華は気づかない。

 このような時間に誰かと出かける。そんな些細で平和な出来事がずいぶんと昔の事の様で、財布や携帯が入ったショルダーバッグの重みを確かめるように肩にかけ直して黄泉路の隣へと並ぶ。


「待たせたわね。それで、家族はなんて?」

「姫ちゃんは家で食べるから気にしなくていいって」

「そう。じゃあ行きましょうか」


 近所のスーパーといっても、徒歩で向かうからにはそれなりの距離がある。今から向かえば丁度タイムセールに滑り込めるだろうかと頭の中で普段移動にかけている時間を計算しつつ歩く夜道は静かだ。

 完全に日が沈んだとはいえ肌を撫でるそよ風は心地良く、庭先の花壇などの茂みから聞こえてくる虫の声はこれからの季節を予感させる。

 隣を歩く同級生の少年の口数はさほど多くない。だが、彩華から声をかければ返事をしてくれる。そんな確信のある沈黙は悪くない。

 ややあって、住宅の明かりよりも商店などの明かりが多くなってきたと感じる町並みを歩き、目的地であるスーパーの看板が目に入ってくる。


「献立は特売品見てから考えるけど、食べれないものは?」

「特にないよ」


 外見に似合わず大人びた少年の返答に、少しくらいは苦手なものがあれば面白いのにと彩華は肩を竦める。


「どうしたの?」

「何がかしら」

「彩華ちゃん、楽しそうだから」

「――っ!」


 横合いから掛かる黄泉路の声に、家を出てからの自身の態度が何に起因するかを自覚させられてしまった彩華の顔に朱が指す。


「な、なんでもないわ!」


 顔が熱いという自覚を振り払うように歩き出した彩華の背を追って、黄泉路も僅かに歩幅を大きくして店内へと入っていくのだった。

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