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6-24 それは坂を下るように

 体育館の縁が崩落するという事故(・・)があった翌日。

 何事もなく登校した黄泉路の額をぐるりと廻るような包帯にクラスメイトはギョッとした顔で心配して駆け寄ってきたものの、それ以外は何事もなく、


「昨日体育館の屋根の一部が崩れる事故が起きたのはもう噂で知ってるやつも居ると思うが、幸い怪我人はたまたま通りかかった迎坂だけで済んだ。再発防止のため暫く体育館の使用が自粛されるので、自由時間でもあまり近づかないように」


 朝のホームルームにて担任が開口一番に特別連絡として告知した程度であった。

 所々から心配するような視線と、体育館の裏手などという、あえて通る必要性がすぐには思いつかないような場所にどうして居たのかなどという好奇の視線がちらほらと黄泉路に集まる物の、担任が出欠を取り始めてしまえばそれも直ぐに収まる程度のものであった。


「それじゃあ出欠を取るぞー」


 生徒の名簿を開きつつ担任が生徒の名を読み上げ、生徒がそれに返事をするやりとりが幾度か繰り返された後、ふと、その流れが途切れる。


「小室ー。小室ー。……珍しいな。遅刻か?」


 名簿へと目を向けたまま3度ほど、同じ生徒の名前を繰り返した担任は顔を上げてその生徒が座っているだろう席へと目を向ける。

 入り口に程近い席は今日一度も誰も座っていた形跡がなく、その事から担任は遅刻かと首をかしげる。

 小室(こむろ)俊輔(しゅんすけ)という、特に目立った所がなく成績も中ほど、クラスでも不和などない生徒だ。

 よく言えば取り立てて悪いところもない模範生。悪く言えば、誰の印象にも残らない影の薄い生徒であった。

 だが、毎日出席をとり、成績をつけている担任にとって見れば、なんら問題なく毎日学校に登校して授業を受けて帰り、追試にならない程度の成績を維持しつつ生徒指導の対象にもならないというのは、それなりに印象に残るものである。


「誰か、小室から何か聞いてるやつはいるか?」


 皆勤賞をこれまで続けてきた生徒が突然何の前触れもなく――それこそ、病欠の連絡もなく――休むというのは考えづらいと、担任はぐるりと生徒の反応を覗うが、どうやら誰も何も聞いていないらしい。戸惑いから来る小さなざわめきから見て取って心の中で息を吐いた。


「……そうか。小室は欠席か。珍しいな」


 取り立てて目立つことがない生徒というのは、しっかり学校に来ているかという事が非常に重要な評価点になる。

 1回の遅刻というのはそれなりに大きな失点であるという、極々当たり前の教師としての感性を飲み込んで決められた通りに出欠の続きへと取り掛かる。


「齊木ー」

「はい」

「佐藤」

「はぁい」


 読み上げが再開されれば、それまで水を向けられたことでざわついていた教室もすぐに平静を取り戻したように本来の流れへと戻ってゆく。

 小室俊輔という存在はクラスメイトにとっても影が薄く、いつの間にか教室に居て、学校が終わればいつの間にか消えている存在である。

 会話をする機会はあれど、親しい友人というものが居ない、毒にも薬にもならない生徒であった。

 故に、担任以上に無頓着なクラスメイトは、小室が皆勤賞であった事など知る由もなく、“ああ、いないんだ”程度の思考はすぐに今日の予定やら趣味やらで塗り替えられて消えてゆく。


「――場」

「……」

「戦場」

「……」


 戦場彩華の名が呼ばれても一向に反応がない事に、担任は再び欠席者かと顔を上げ、職員の間でも生活態度の問題や家庭の事情からある種の“腫れ物”として遇されている女子生徒の席へと目を向ける。

 先ほどと違ったのは、戦場彩華はたしかに出席していたことだろう。

 普段と同じく、どこを見ているのかも分からない瞳は窓の外へと向けられ、頬杖をついた横顔は憂い顔の深窓の令嬢という雰囲気である。

 だが、呼ばれて返答しない事と、その容姿は無関係だ。一応出席に丸はつけるものの、普段からその態度に対して思うところのあった担任は声を張る。


「戦場彩華!」

「――ああ。はい。います」


 一瞬、びくりと肩が震え、それから僅かに視線を教室に巡らせた後、彩華は普段と変わらない淡々とした声音で応じる。

 そこに反省の色が見て取れないことなど今更注意する気にもなれないが、それでも、どこか扱いづらい生徒が僅かにでも動揺する所が見れたのでよしとしようと、担任は鷹揚に頷いて出欠の続きを取るべく名簿へと視線を落とす。


「……高桐」

「――はい」


 再び流れ始めた点呼の応酬を他所に、彩華は教室の中へと向けていた視線をある一点へと定めていた。

 それは彩華が教室の壁に掛けられた時計の近くであり、ほぼ全員がすでに腰掛けている中、ぽつんと空席になった場所であった。


「……」


 彩華の瞳が向ける先に、担任はおろか、クラスメイトすら気づくことはない。

 そんな彩華の隣。頭に包帯をまいた少年が似たように空席へと意識を向けていた事にもまた、彩華は気づくことが出来ないのであった。


「最後に連絡事項だが、この頃ずっと言ってるからもう聞き間違いもないだろうが、来週には期末試験があるから、復習をしっかりしておくように。以上だ」


 出欠確認が終われば、生徒たちを引き締めるべく発破を掛けた担任が名簿を片手に教室を後にした。

 担任の姿がなくなった途端に教室は騒がしくなり、席を立った生徒たちが自由に動き回り始めれば一層の喧騒が室内に広がる。

 それは黄泉路を心配する声であったり、人通りの少ない場所をどうして通っていたのかなどという好奇心であったり様々だ。

 喧騒は始業のチャイムと、担当科目の教諭が入ってくるまで続き、些細な変化は日常の一コマに塗り替えられてゆく。






 ――小室俊輔が学校に姿を見せたのは、期末試験が始まる当日であった。

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