6-23 迎坂黄泉路という少年2
「依頼、ですか?」
日課である朝のランニングを終えて帰って来た黄泉路が汚れを落とそうと風呂場へと向かう道中。南条果こと、皆見に背後から声をかけられ、黄泉路は内心で首を傾げつつも振り返った。
早朝、まだ外は日が出るかどうかという頃合であるが、旅館経営のために支度が早いこともあってこの時間から皆見と遭遇すること自体はさほど珍しくは無い。
しかし、この場所で遭遇するという場合においては別だ。
「ええ。黄泉路君なら丁度良いかと思って」
普段この時間帯は本業でもある旅館経営で忙しく、黄泉路たちが根城にしている地下施設にいることは珍しい。
上の旅館には今日も宿泊客が少なからず居た筈であり、皆見の格好もこれから業務に向かうのだろうという着物姿であった事も、黄泉路が疑問を抱く理由でもあった。
「丁度良い……ですか」
「ついこの間帰ってきたばかりなのにごめんなさいね?」
後を追うようにしてゆったりと歩いてきた皆見の足が黄泉路に並べば、その緩やかな歩幅に合わせる様に黄泉路も歩みを再開させた。
皆見がこの場に居る理由を問う機会はどうやら逸したらしいと思考を切り替え、黄泉路は小さく首を振る。
「いえ、それより、今度はどんな依頼なんです?」
差し出された茶封筒を受け取りつつ問いかける黄泉路の瞳の奥に揺れる感情を見透かす様に、皆見は小さな笑みを浮かべた。
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。今回の依頼は他の方のお手伝いで、特段危険性が高いものではありませんから」
「“危険性の高くないお手伝い”を、皆見さんが手渡しに来た理由ってなんですか?」
皆見のそんな言葉に疑義をさしはさんだのは、先ほどから黄泉路の後ろをついて歩きつつ、疲労感から呼吸を整えていた小柄な少年だった。
「廻君にも関係がある話だと思ったからですよ」
皆見が微笑みながら声を向けた先では、くりっとした鳶色の瞳が健康的な茶髪の間から前を歩く黄泉路と皆見を見上げていた。
出会ったばかりの頃は華奢だった体躯も最近では成長期に入ったらしく、黄泉路が引き取ったこの2年の間に目に見えてその嵩を増していた。
それでも両者を見上げる程度だという所に年齢が現れているが、黄泉路が抜かれるのもそう遠くない未来であると予感させる程の成長を感じさせる廻が返された言葉に首を傾げる。
「僕にも、ですか?」
「ええ。――中学校、通うという話だったでしょう?」
茶封筒を開き、取り出した中身を一瞥した黄泉路へと皆見は目で笑いかける。
「……なるほど」
書かれていたのは、地方のとある学校で発生している能力を使用した傷害を伴った怪現象が数年にわたり頻発しているらしい事。それに対して疑わしい人物の監督と場合によっての保護や助言を行える人員を求めるものであった。
中高一貫の私立校であるらしく、地方ではそこそこの偏差値を誇る進学校である事が資料として書かれていた。
「依頼ついでに廻君の中学選びの下見、って事ですか」
廻は今年で小学6年生にあがる。まだ1年あるとはいえ、そろそろ本格的に手を打たねばならない時期であったことを思い出して黄泉路はちらりと視線を向けた。
廻を引き取ると決めたとき、夜鷹の活動に加えることなく一般の少年少女のように義務教育を完遂する事を廻は約束している。その履行の為にも廻にはしっかりした学校に入ってもらいたいというのが黄泉路の――ひいては、全員が保護者と化している夜鷹の大人組の総意であった。
なお、黄泉路もその外見から半ば子供組として扱われている事実もあるが、今回のことに関しては大人組と同意見である。
「でも、どうして――こう言っては悪いですけど、こんなに平和な案件が夜鷹に?」
この依頼は黄泉路がここ2年で請けてきたモノに比べれば難易度は格段に低い。それこそ、裏での命を賭けた戦闘を主な役割とする夜鷹支部まで回ってくることが不自然なほどに。
裏社会で生き抜いてきた2年という歳月は、黄泉路から素直に安全な依頼だと喜べる感性を削ぎ落とすのに十分な期間であった。
経験を積んだ――といえば聞こえは良いが、修羅場慣れしてしまった黄泉路の怪訝そうな顔色には、皆見も困ったように眉を寄せざるを得ない。
「見てもらえば分かると思うのですけど、その依頼、3年ほどたらい回しにされていたものなんですよ。原因となっている能力者の年齢と推測される能力の危険度から、年齢と能力相性が合致する能力者が見つからなかったみたいで」
「……より近い距離からという意味で中高生くらいの見た目で、かつ、傷害事件に発展しうる能力に対して耐性のある能力者って事ですね。……となると、僕はもう一回高校生をすればいいんですか?」
「ええ。黄泉路君も高校は中退のようなものでしょう? この辺りでもう一度、学校生活で羽休めをするのも良いかと思って」
どうやら本当に文面にあるだけの内容であるらしいと理解した黄泉路は、これを態々黄泉路を探して渡しに来た皆見の心遣いを察して口元が緩むのを感じていた。
黄泉路とて、もう一度普通の生活を送れたとしたらと考えなかったわけではなかった。
だが、自分の居場所は夜鷹であり、夜鷹の依頼を受けるということは、危険と隣り合わせにあり続けるということだ。
依頼という形であれば気兼ねなく“普通の生活”に混じることが出来るだろうという計らいは、黄泉路にとっても歓迎すべき事であった。
「皆見さん、ありがとうございます」
「いいのよ。ここ1、2年で裏が騒がしくなったとは言っても黄泉路君はまだまだ子供なのだから。もっと私達に甘えてください」
「子供って。成長しないだけで一応今年で22なんですよ?」
「ブランクがあるのだから差し引けば18でしょう?」
嗜めるような調子の皆見の言には、黄泉路は肩を竦める他ないのだった。
◆◇◆
「【黄泉渡】さん?」
依頼に関係する事柄として別途で求めていた調査の報告書を読んでいた黄泉路は顔を上げて笑みを作る。
「――ああ、いえ。すこし考え事をしていました」
調査担当者の中にあった皆見の名に、この依頼を受けるきっかけを与えてくれた皆見に感謝しつつ、それなりに学園生活を楽しめていた自分から意識を切り替える。
「やっぱり頭の怪我が……?」
「大丈夫ですよ」
報告書を自身の学生鞄へとしまえば、千草へと軽く頭を下げて席を立つ。
「さて、そろそろ僕も帰りますね」
「あ、はい。お疲れ様です」
すでに外は暗く、これ以上留まっていては万が一関係者以外に見咎められれば面倒だろうと、黄泉路は生徒の顔で千草へと笑いかけて保健室を後にするのだった。