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6-15 アフタースクールライフ

 週が明け、平日の始まりとともに嶺ヶ崎学園にはある変化が訪れていた。


「おはよう。彩華ちゃん」

「…………おはよう、迎坂君(・・・)


 いつものように声をかけた黄泉路に彩華が応じた事で高等部2年の教室、その一室が静かなざわめきに包まれる。


「おい、今……」

「聞き違いだろ? まさかそんな」


 初めは各々の耳を疑うように、声を押し殺したような、気配だけが蠢いて窓際の一点に集約されるような不自然な沈黙が渦巻いていた。

 しかし、渦の中心たる戦場彩華が再び口を開き、隣の席へと話しかけた事でその静けさが混沌へと変わる。


「彩華ちゃん。月末の試験のことなんだけど」

「何よ」

「戦場さんが迎坂と普通に喋ってる……!?」


 はじめにあまりの驚愕に声を上げたのは誰であったか。

 これまでの彩華の態度からすれば驚くべきことなのは確かであるが、そこまでの驚愕をクラスという不特定多数相手に平等に与えていたのには、更なる理由があった。

 編入初日こそは、戦場彩華という存在を知らなかったが故に距離感を考えずに接していた黄泉路に、彩華もそのように、不満げかつ不快げではあったが対応していた。

 それが数日し、彩華という少女の素性――普段のクラス内の素行や噂などだ――を知ってもなお態度を変えようとせず関わりを持とうとする黄泉路に、とうとう彩華が爆発したというのがクラス全員の共通認識であった。

 これらのやりとりを知っている、そして耳聡い生徒は知っていた。

 今まで、彩華は一度として黄泉路の事を固有名で呼んだ事はなかったことを。

 それに気づいてしまったが故に、自然と声を上げてしまった生徒は運が悪かったとしか言いようがない。


「ひっ」


 射殺さんばかりの彩華の視線が教室を睥睨し、向けられた先で誰かが息を呑む。


「まぁまぁ。それで彩華ちゃん、期末試験の事なんだけど」

「はぁ、もういいわ。……試験がどうしたのよ。迎坂君なら余裕でしょう?」

「うーん。努力はしてるつもりだけど、出来ればしっかり備えたいと思ってさ。彩華ちゃんさえ良ければ付き合ってほしいんだけど」

「良いわよ」


 ――ざわり。


 今度こそ、隠しようもない個々の混乱をかき混ぜた様な喧騒が爆発し、さながら台風の目のごとく彩華と黄泉路を置き去りにして教室中を席巻する。


「うそだろマジかよ!!!」

「黄泉路のやつ何したんだ!? どんな魔法だ!?」

「えー、私も黄泉路くんと勉強したかったー!」

「ねー。図書館で二人きりとか絶対おいしいのにぃー」


 反応はおおよそふたつに別れ、男子はあれほどまでに頑なで、近づくものすべてを斬って捨てるが如き鉄の女であった彩華から真っ当な対応を引きずり出した黄泉路への賞賛を。

 女子は黄泉路が発した男女ふたりだけのお勉強会という、思春期の少年少女にとってはある種のイベントとも捉えられるワードに対する黄色い歓声と、その立場が自分であったならばという興奮だ。


「はぁ……」


 そんなクラスの騒がしさに呆れてちらりと視線をやった彩華は、教師が入ってきてその騒ぎが収束するまでの間、再び人だかりを作って騒がしいクラスメイトに応対する黄泉路の横顔を見ていたのだった。




 ◆◇◆


 黄泉路が彩華へ勉強会を持ちかけてから1週間が過ぎた、天に昇った陽が中央を超え、西へと傾いて暫くした頃。

 特殊教室がまとめられた東校舎の2階、その一角である図書室の西窓からは春の終わりを知らせる熱を帯びた西日が照りつけていた。

 学校の授業としては当日の課程をすべて終えた放課後。ふたりの学生が本棚によってほかの席からやや離れた机に対面して座っていた。


「ねぇ迎坂君。ちょっといいかしら」

「何かな。彩華ちゃん」


 しんと静まり返っているはずの図書室が似つかわしくない喧騒に見舞われている中、戦場彩華の取り繕ったような怜悧な声が正面の少年へと向けられる。

 それに答える黒髪の、歳の割には童顔な少年、迎坂黄泉路はいつものように困ったような、半笑いにも見える苦笑を浮かべて顔を上げた。


「何とか言ってくれないかしら。さすがに邪魔よ?」

「あはは……一応は勉強してるみたいだし、僕からは何もいえないよ」


 普段は閑散としている中高一貫の大図書室。その一角に腰掛けた彩華と黄泉路は周囲へと眼を向ける。

 耳に届くのは微かなやり取りのみで、別段図書室の風紀を乱しているとは言いがたいものの、その様相は明らかに落ち着いて勉学に励んだり、調べ物をしたりというには不向きであった。


「(マジだ……あの“荊姫”が……)」

「(ふたりが付き合ってるって聞いたんだけど……)」

「(先週からあの調子らしいぞ)」

「(戦場先輩と迎坂先輩って似合うよね)」


 個々は声を落とし、勉強の合間に友人たちとの語らいをしているだけなのだが、それも数がそろってしまえばさすがに騒がしく、それに応じて彩華たちの耳に届く話し声も幾分かは拾えてしまう。

 彩華にしてみれば不名誉極まりない話もちらほらある中、それでも行動に移さないのは偏に黄泉路が真正面にいるからに他ならない。


「迎坂君が原因なのだから、解決する義務はあると思うの」

「……わかったよ。今日はここまでにしようか。僕の側から提案したのに悪いね」

「私も勉強は必要だと思っていたし、気にする必要はないわ」

「それじゃあ、また明日」

「ええ。また明日ね」


 緩やかに、棘がむき出しになったような普段の声音とは違う、どこか試すような声で問う彩華に、黄泉路は小さくため息をついて席を立つ。

 そのやりとりにざわめいていた図書室が一瞬だけ静かになるが、黄泉路が一足先に部屋を出て行ってしまえば、自然と好奇の視線は残された彩華へと集まってしまう。

 視線に含まれる色合いが多少異なってはいるものの、彩華としてはそうした視線など4年の間にとうに慣れてしまったものであり、別段気にした風もなく自身もまた、帰宅のための片付けをするために顔を伏せた。


「(……はぁ)」


 顔を伏せ、周囲から顔色をうかがわれる心配がなくなったことで、彩華は小さくため息をつく。

 勉強は確かに必要だ。自分自身の学力に自信がないわけではないが、それでも黄泉路という優等生と勉学をすることで得るものは確かに大きい。

 これからのことを考えれば確かに必要な行為であるし、それを理屈に自分の感情を納得させることもできる。

 だが、その根本が自分という人格を、性根を見てもなお、ああして声をかけてくれる黄泉路という存在だからこそだという認識を、彩華は先日の一件で直視してしまっていた。

 直視せざるを得なくなれば、あとは切り捨てるか、受け入れるか。

 彩華に選べる選択肢はそれだけであり、それが今や受け入れる方向に固まりつつあった。

 斬っても斬っても、関係を繋ぎなおしてくる黄泉路に根負けした。それは紛れもない事実であるが、そこまで面倒くさい自分に付き合ってくれた黄泉路への愛着も確かにあるというのをしっかり認識できてしまう自身の聡明さもまた、彩華にため息を吐かせる原因であった。


「(……そろそろ帰って夕食作らなきゃ)」


 すでにルーチンワークと化している、生存のための必要条項を思い出した彩華は小さく頭を振り、最後に筆箱を鞄へと戻して席を立つ。


「戦場さん。ちょっといい?」


 座椅子を戻し、いざ歩き出そうとした所で掛かった声に、彩華は初めて近くに人が着ていたことに気づいて顔を、訝しい者を見る眼を向ける。

 彩華の疑問も当然だ。声をかけてきた相手はクラスメイトだが、彩華が親しくしていた記憶はない。

 面倒臭い予感がひしひしとしていたものの、これだけ大勢の前で逃げるように無視するというのも、相手のためにつかう自分の手間を考えると面倒だと判断する。


「……何かしら?」


 億劫そうな声音を隠しもせずに応じた彩華に対し、対面しているクラスメイトの女子生徒があからさまに不快気な表情になる。


「ちょっと付き合ってくれない?」

「手短にね。帰って夕食を作らなきゃならないもの」

「どうせひとりなんだから数分も変わんないでしょ」

「……」


 何とも、配慮に欠けた物言いに彩華は胡乱なものを見る眼を向け、人に見られている場所でそのような発言ができる相手に何を言っても無駄だろうと判断して肩をすくめた。

 それを了承ととったらしい相手が歩き出す背を冷徹ともいえるような冷め切った瞳で見据えながら、右手に感じる鞄の重さに意識を向けつつ、彩華もその後に続いて図書室を出るのだった。

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