6-13 戦場彩華という少女2
確信。そう呼ぶべき色を宿した黄泉路の瞳に見つめられているのを感じ、
「通報して警察が駆けつけてくるまで、最寄の警察署からここまでだと――大体15分くらいかな? 多く見積もっても20分。むしろ、犯人がここから離れた後で通報したのだとしたら、犯人と一緒に居た空白の時間はもっと多くなる」
黄泉路の推論を味わうように静かに耳を傾け、最後の一口を流し込む。
自身の内側、その核に触れられたような感触に彩華の動悸が落ち着いてゆく。
程なくして、心拍が平静へと戻りきった頃。すっと閉じていた瞳を開けて黄泉路へと向け、
「――そう。そこまで判っているの」
カップを置きながら短く。
それだけを口にすることで黄泉路の説を肯定する。
「否定は、しないんだね」
「する必要があるのかしら。この期に及んで」
「思い至ったのは今日この家の間取りを見てからで、それまではあくまで推論だったからね。確信が持てたのは、さっきの会話で彩華ちゃんが玄関に居た事を否定しなかったからだし」
「そう。……ダメね、私。昔から肝心なところで詰めが甘いわ」
降参降参、と。手をあげる真似をする様はあっけらかんとしていて、悪びれもしない彩華の姿に黄泉路は困惑してしまう。
何らかの隠したい事情が――それこそ、警察に届け出ない、届け出せない理由があっての事だと推理していただけに、こんなにあっさりと自認するとは思っていなかったのだ。
黄泉路としてはこの会話をきっかけに彩華という少女の抱える事情の一端を引き出せればそれで良いと考えていたのだから当然である。
「話はそれだけかしら?」
犯人と決して少なくない時間を共有していたことを認めた彩華が問う。
その表情は普段どおりの淡々としたものであり、そこから読み取れる感情は少ない。
先ほどの反応からして、もう少し踏み込んだ質問をしても大丈夫だろうか。そんな思惑が黄泉路の脳裏を過ぎる。
「じゃあ最後に一つ。どうして警察に犯人の顔を見てないって言ったのか。訊いてもいいかな」
「それを訊いてどうするつもり? 興味本位では、ないんでしょう?」
表情に変化は無い。ただ、一つ。決定的に違うのは声音に篭る感情だ。
――鋭いだけ、ではない。
いっそ無機質なほどに感情のこそげ落ちたそれは、まるで何かを守るかのような。
感情自体を殺すことで黄泉路から本質を隠すような印象を与えるソレに、黄泉路はどう答えるべきか迷い、彩華が犯人を口に出来ない理由を想定して、自分なりの正直な言葉をぶつけるために口を開いた。
「もし、犯人に何か……脅されているとか、監視されているのなら。僕が力になれると思う。だから」
「――そう」
だが、彩華が口を開くのにあわせ、黄泉路はその認識が間違いであることを悟った。
「話は、それだけかしら」
彩華の声が静寂を裂くのが先か。能力が先か。
咄嗟に、隣で息を呑んだ姫更を庇おうと黄泉路は腕を伸ばす。
「――」
「っ!?」
しゃきしゃきしゃきっ、と、硬質な音が重奏して響き、初日よりもいっそ冷淡な拒絶がしんと静まり返ったリビングの空気を震わせた。
静寂を乱す数多の擦れ合う音が黄泉路達へと迫り、
――さりさりさりさり……
黄泉路の目の下の皮膚を浅く裂いたところで、ソレが止まる。
「――脅されているように、見えるかしら。私が」
感情的な鋭さとは違う、いっそ機械的ともいえる無機質な剣呑さを孕んだ声音が黄泉路の耳に届くが、波打った心臓の鼓動と、尚も周囲で――文字通りの眼前で揺れる凶器が擦れ合う音によってその声も酷く遠くに感じられた。
「こ、れは」
「私があの日、両親と引き換えに得た力よ」
搾り出す様に問いを吐き出した黄泉路に応える彩華の声は平坦なまま、リビングを埋め尽くすように、家具や床、食器が変質した刃を揺らす。
僅かに身を捩り、全体像を見通そうと改めて変わり果てたリビングいっぱいに存在するそれを認識した黄泉路がはじめに抱いた印象は――
「……刃の……花……」
「ええ。花に棘ならぬ、棘の花よ」
私らしいでしょう、と、鈍色の花畑で足を組んだ彩華の言葉が黄泉路の耳を抜ける。
蛍光灯の光を反射する鈍い白色の針が幾重にも寄り纏まり、敵を――触れようとするものすべてを突き殺さんとする薊のような大小無数のそれらは、小さいものは普通の植物ほどであったが、大きいものでは人の頭ほどもの大きさがあり、もし彩華がこの場で殺しに掛かってきていたらと思うと黄泉路は背に嫌な汗を感じてしまう。
地面を、机を、戸棚を、天井を。屋内のあらゆる無機物を変質させてその身へと化した刃の花を従え、彩華は鼻を鳴らす。
「わかったらこれ以上踏み込まないで。迷惑だわ」
「……」
「良かったわね。妹さんが一緒で。貴方ひとりだったら血を見てたわよ」
脅すようにそう指摘した彩華に、先ほどまで緊張していたのだろう黄泉路の表情がふっと和らぐ。
「……何よ。その顔」
まさか苦笑されるとは思っても見なかった彩華が本気で困惑したような、苛立ちの混じる声音で問い返せば、黄泉路は困ったような笑みをそのままに姫更を庇おうとした姿勢を戻して正面から彩華を見据え、
「やっぱり彩華ちゃんは詰めが甘いね」
「どういう意味よ」
「姫ちゃんが一緒じゃなければ、なんて、言わなければそれでいいのに。最後の最後で姫ちゃんの前で僕を傷つける事を躊躇ったでしょ?」
「――っ!?」
彩華にしてみれば、思っても見なかった。つまりは考えるまでも無い本質的な部分から出た言動を指摘され、思わず絶句してしまう。
黙ったまま固まってしまった彩華をこれ幸いと、黄泉路は緩やかに落ち着きを取り戻した声で彩華へと声をかける。
「大丈夫だよ。彩華ちゃんが優しくていい子なのは、僕は十分知ってるから。そんな彩華ちゃんを怖がったり、しないよ」
まるで普通の花を愛でる様に、すっと刃の花へと手を伸ばした黄泉路に慌てて彩華が声をかける。
「バッ、何してるのよ。怪我するわ――あっ……」
咄嗟に声に出し、反射的に刃の花を除けてしまってから、黄泉路の信頼しきった表情を見て乗せられたと悟った彩華は唇を噛んだ。
「ね。彩華ちゃんは詰めが甘い」
「うるさい。なんでよ。おかしいでしょ。その気になれば簡単に家の中をまるごとミキサーに出来るのよ。怖いと思いなさいよ! おかしいんじゃない!?」
「あはは……確かにすごいと思うけど、でも、この力で誰かを傷つけない為に人を嫌うフリをする彩華ちゃんを怖いとは、思えないよ」
能力に対する恐怖や忌避ではなく、彩華という個人に対する部分で判断していると、何の恥じらいもなく言ってのける黄泉路に、彩華はこれ以上何を言っても無駄であると悟る。
何よりも、そう告げられた瞬間から顔が熱い自覚もあり、今更どう取り繕っても無意味であると、彩華自身が認めてしまっていた。
「……はぁ。もう、いいわ。でも手助けは結構よ。これは私の問題だもの」
「わかったよ。でも、本当に困っている事があるなら力になる。それだけは忘れないで」
「気持ちだけ受け取っておくわ」
黄泉路の前で――4年振りに彩華は心から微笑むのだった。