6-12 戦場彩華という少女
黄泉路の口から切り出された言葉がリビングの静寂に消える。
じっと、いつもの眼差しともすこし違った真剣味を帯びた黒の瞳に見つめられ、彩華は小さく息を吸う。
カップに口をつけ、舌を湿らせると同時に口元を隠したままそっと息を吐いて呼吸を整える。
紅茶の香りを纏った暖かく湿った空気が肺を満たし、何を話すべきか、それ以前に何について知りたいのかを聞かなければならないかと脳内で整理をつけた彩華はそっとカップをソーサーへと戻して目を細めた。
「……何について、聞きたいのかしら」
「嫌がらないんだね」
「そりゃあね。もう4年も前のことだもの」
「そっか」
そう、もう4年も前のことである。
17歳になる彩華にとってみれば、それは人生の4分の1が事件後に積み重なっているということでもあり、物心つく頃と成長の過程にあったそれまでと、一個人として過ごした4年とでは、ほぼ同じだけの体感容量であるという意味でもあった。
故に、事件のことを面白半分で突いて来るだけならばいつもどおりの冷淡な声音に苛立ちを交えて一蹴するだけであるが、目の前の少年の真剣な眼差しと気遣っているのだろうと分かる声音に対して特に思うところはない。
「それだけ?」
「ううん。ただの確認。……僕が聞きたいのは――いや、まどろっこしいのはやめよう。ごめん彩華ちゃん」
言葉を区切るように、改めて名前を呼ぶ黄泉路に、
「何よ」
「彩華ちゃんの噂、気になって調べたんだ」
「……謝るってことは興味本位で?」
だとしたら怒ると、言外に鋭い視線を向ける。
黄泉路は一瞬驚いた様子を見せたものの、緩やかに首を横へと振った。
「気になったのは、確かだよ。けど、興味本位のつもりはない」
「じゃあ何のつもり? 他人のプライバシーに踏み込んでる自覚はあるのよね」
「……彩華ちゃんの力になりたかった、これじゃあ、ダメかな?」
何の衒いもなく、恥ずかしいセリフを真顔で口にする。そんな黄泉路の姿に、言葉をかけられた彩華のほうが顔に血が集まるのを感じてしまう。
「(な、によそれ、でも真顔だし、冗談言っている風でもないし……何なのよ本当に)」
「……えっと、彩華ちゃん?」
「っ、わ、わかったわよ、続けて」
“毒を喰らわば皿まで”というのはこういう気分かと、一度でも気を許してしまった事を後悔しつつも、自分の吐いた言葉を偽りたくはないという思いと同時に、黄泉路ならまぁいいかという感情が芽生えている事実に目を瞑る。
「いいの?」
「さっきも言ったでしょう、客をもてなすのは主人の役目よ」
確認するような問いに対して、彩華はいい加減しつこいと言わんばかりの声音でそう返す。
「じゃあ、続けるね。あの日、帰宅した彩華ちゃんたちと鉢合わせた犯人によって両親が殺害され、その間に彩華ちゃんが警察に通報、彩華ちゃんが保護されて一端の解決ってあったんだけど」
「そうね」
「……空き巣狙いの強盗殺人と断定された、とまではあったけど、犯人が捕まったとか、指名手配されたって話は見つからなかったんだ」
「ふぅん? その上で訊きたい事があるのよね?」
話の主旨が戻ってきた事で彩華は再び居住まいを正し、黄泉路の言葉を待つ。
「彩華ちゃん、犯人の顔は見てないの?」
「どうやって調べたかは知らないけれど、見てないわよ。警察にもそう証言したから未だに手配書すらできていないのだし」
「……本当に?」
「どういう意味かしら」
飛び出した、おそらくは本題だろう質問に彩華は思わず眉を顰める。
そんな彩華の態度を一瞬じっと見つめたかと思うと、黄泉路はすっと視線をリビングへ、そして、先ほど案内されて入ってきた玄関のほうへと伸びた廊下へと向けた。
「ご両親が被害にあわれたのは、ここ――リビング。そして、彩華ちゃんが最初に保護されたのは玄関で間違いはない?」
「よく調べてるわね。そういうのって新聞とかあされば出てくるのかしら」
「あはは……まぁ、そんなところ」
「まぁいいわ。その確認に対する返答はイエス、よ」
「――つまり、直線距離にしてこの程度しか離れていない」
「……何が言いたいのよ」
念を押すような、確認作業ともいえるような迂遠な言い回しをする黄泉路を彩華が急かす。
彩華の苛立ちが伝わったのだろう。小さく苦笑したかと思うと、すっと目を細め、
「ご両親が先にリビングで襲われたのを彩華ちゃんが玄関で知っていれば、すぐに外へ、つまりは保護された場所よりも遠くへ逃げられたはずだよね」
「かもしれないわね」
「彩華ちゃんはこの時点で玄関から離れた場所に、順当にいけばご両親と一緒にリビングにいたはず。その上で襲われた際、彩華ちゃんだけは玄関まで逃げることが出来た。これは犯人にとって想定外のことのはずだ」
「でしょうね」
彩華を見据えたままよどみなく、まるで見てきたかのように黄泉路は語る。
「当然、犯人も玄関へ――つまりは彩華ちゃんの逃亡を防ぐように追いかけたはずだけど」
「どうかしら。あの時は暗かったし、私という目撃者が、本当に犯人を目撃しているとは限らないわ。それなら通報されるまでの間、いいえ、もしかしたらもう通報されているかもしれないと考えた犯人が逃げることを優先してもおかしくはないんじゃない?」
「――暗かったから顔は見られていないかもしれないなら、念のため殺しておこう。と、考えると思うよ。すでに2人も殺しているならなおさらね」
「知ったような口ね。経験でもあるのかしら」
「あはは。まさか……だけど、そう考えるとおかしいんだよね。彩華ちゃんは玄関より先へは逃げていないから」
「……」
彩華は黙り込む。言い訳をするつもりはないが、すでに黄泉路はなんらかの確証を持って問いかけてきているという事実に、無用な口は閉じざるを得なかったのだ。
自分でどんな感情を抱いたらいいのかわからない。
気味が悪いと思うよりも、闇の中に押し込めてきたモノを暴かれるのではないかという不安よりも、目の前の少年が何を思っているのかが知りたいと、そう思ってしまっていた。
「事件はそこで、本来なら終わっていてもおかしくなかった。一家強盗殺人事件として。でも彩華ちゃんはこうして生きている。彩華ちゃん自身が通報し、保護されることで」
「何が言いたいのかしら」
二度目になる催促の言葉。だが、先ほどのような苛立ち交じりのものではない。
無意識に上がる心拍と、相反するように冷徹に冷え切った心境を自覚しつつ、彩華は淡々と問い、紅茶を口に運ぶ。
すでに温くなっている紅茶の味が舌を濡らし、味だけが別の世界にあるような錯覚。
そんな一挙手一投足すら、黄泉路に見られているような気がして、彩華はすっと目を閉じる。
「……警察がくるまでの間。――彩華ちゃん、犯人と一緒にいたよね」