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1-11 メルトプリズン5

 床を小刻みに揺らす外部から響く爆発音に耳を澄まし、赤髪の青年カガリは大きく欠伸をする。

 その仕草はいたって自然体で、顔の上部を覆い隠す半月の仮面をつけている事以外は街角でよく見かける青年といったところだろうか。

 ただし、その場所が政府が極秘裏で非合法実験に利用している隔離施設の最重要機密区画の通路でなければの話だが。


「さぁーて……片付けも終わったし、行くか」


 扉とは反対方向の壁に背を預けていたカガリは小さな掛け声と共にしっかりと地に足をつけて、ポケットにしまっていた安っぽい銘柄のタバコを取り出して咥える。

 コンビニまで散歩に来て帰る程度の気安さで歩き出した廊下は元の白く病的なまでに統一された空間だとは思えないほどに変貌していた。

 鋼鉄の扉であったものは赤々と熱を放射するヘドロへと変貌して床を舐め、天井に設置されていた照明はすべて割れてしまっており、現在はカガリがタバコに火をつけるためだけに灯した指先の炎が唯一の光源と化している。

 炎のか細い明かりに照らされた壁面は黒く煤け、大火災の後のように焦げ後が至る所に残っていた。


「っと、こうも足場が悪ぃとやっぱダメだな。ミケ姐みたく速くは歩けねぇや」


 床のそこかしこに転がった起伏を踏んでバランスを崩しかけたカガリは左手で後頭部をがしがしと掻きながら愚痴っぽく吐き捨てる。

 カガリが盛大に踏みしめた起伏は柔らかく、踏んだ瞬間に弱い反発を示していた。

 廊下と同じ白であった全体は黒く焼け焦げ、辺りに充満する臭いの発生源であることを疑う余地はない。

 鼻につく様な動物性の脂と肉が焦げる匂いに、カガリは顔を顰めてタバコの煙を吸い込む。

 カガリ自身、タバコにそれほどの愛着があるわけではないのだが、こうでもしないと匂いを上書きできないという理由から吸い始め、気づけば手放せなくなってしまっているのだった。

 紫煙を吐き出し、一息ついた所で足元に転がる起伏に視線を向ける。


「お前等だって悪いんだぜ。俺達(ホルダー)を人とも思ってないなら、お前等だって人並みに死ねなくて当然だろ」


 静けさを孕んだ煤けた空気に染み渡る声に応答はない。既にこの場にはカガリ以外の人間は存在しないのだから、当然といえば当然であろう。

 掃いて捨てるほど押し寄せていた武装職員の増援も数分ほど前から一切姿を現さなくなり、また、カガリを捕らえようと押し寄せていた職員は全て、今こうして床に転がり物言わぬ骸と成り果てている。

 残されたのはかろうじて原形をとどめている耐火効果を備えた防護服と、焼き尽くされ、黒く煤け熱によって縮んだ肉塊の群れだけであった。

 手向けの様に発せられた言葉が滲んで消え、階下から響く喧騒が遠くに感じられる。


「(さてと、ミケ姐達と合流するか。 ……おいオペ子)」

『はいはーい! どーしましたぁ? カガリさーん』

「……ったく、もうちょい音量落とせよ、こっちじゃ調節できねぇんだから」

『はーい。 ……んでんで、どうかしました?』

「(俺のほうは終わったからな。ミケ姐と合流するからナビ頼むわ)」

『りょーかいです。じゃあ、早速足場ぶち抜いちゃってくださーい』

「……あいよ!」


 床は硬質な建材が使われており、一見して無理難題とも思えるようなオペレーターの指示に、カガリは楽しげに肩を揺らして気軽に応える。

 比較的職員の残骸が少ない足場に肩膝をつき、右の掌をそっと床面へと押し当てる。


「――そらよっと!!!」


 気楽そうな掛け声に呼応するように、掌と床の間が見る間に灼けて、焦げ付き、煤塗れの白い床が赤に染まった。




 ◆◇◆


 武装職員の集団を首尾よく出雲から引き離した事を目算と気配で数える美花は、宙を踊るように身を捻って映画顔負けのアクションでもって飛び交う銃弾を回避して塔の端、回廊の袋小路へと降り立った。


「追い詰めたぞ、B班はA班の援護へ回れ、C班は68号の捜索に――」

「させると思うの?」


 指示を出す職員を遮って発せられた凛とした美花の声に、銃を構えたまま警戒していた職員たちが一斉に警戒を強める。

 そんな敵の集団を前にしても、美花の態度は変わる事のない淡々としたものであった。

 緩やかにあげられる右手。その一挙手一投足に到るまでを職員たちのゴーグルが追いかけ、トリガーに指をかけられた銃はいつでも発砲できる状態で美花へと向けられている中、美香の右手が顔を覆う猫のお面の顎部分に触れる。


「――皆そう(・・)


 猫の面が緩やかに剥がされ、美花の顔が徐々に顕わになってゆく中、固唾を呑んだように静まり返った空間に美花の静かな呟きが零れる。


「私を化け物扱いするその目(・・・)

「「「っ!?」」」


 剥がされた面の奥に、もう一つ猫の顔(・・・)があった。

 艶やかな髪と同色のこげ茶色の体毛に僅かに突き出した鼻。

 触覚めいた髭が左右均等に伸びており、縦に割れた黒目を縁取る金色の瞳が睨む様に職員たちへ向けて細められていた。

 髪の間から生えた天を突くような耳がピクリと職員たちへと向けられ、僅かな物音ですらも聞き逃さないという意思を示している。


「私は私。私は――化け物なんかじゃない」

「う、撃て!! 撃てぇ!!!」


 銃声が響く。鋼鉄の嵐が吹き荒れ、壁面に深々と傷痕を残す数の暴力であったが、どれ一つして美花の毛先に掠る事すらなかった。

 姿勢を低くする事で初弾を交わした美花の、床へとつけられた両手の爪は鋭く煌き、まるで熱したナイフでバターを斬る様に床材を削る。


「良かった。出雲にはこんな姿、見せないで済む」


 比率にして虎7割、人間3割といった具合の虎人と化した美花の口からは、変わらず淡々とした声音が漏れた。

 四肢をバネの様に撓ませて壁を走り、銃弾がその後を遅れて追いかける。

 ほんの数秒の間に、袋小路に追い込まれた美花と、追い込んだ職員。これらの位置関係が逆転し、狩る者と狩られる者の立場が翻る。


「ひとりも、行かせない」


 美花から離れ、出雲を探しに行こうとした部隊の前へと降り立った美花が牙をむき出しにしてショートデニムから飛び出した尻尾がふるりと揺れた。

 職員が銃を向けるより速く、美花が足で床を強く蹴る。

 硝煙の匂いが漂う空気が乱れ、漸く正面を向いた銃口を横から美花の鋭い爪が振るわれると、銃身がそこを境に一瞬置いてからずるりとスライドする。

 床に金属が落ちる硬質な音が響いた。


「な、速――」


 放心していた様子の職員たちが金属音によって我に返り、距離を取ろうと下がろうとした瞬間。

 さらに踏み込んできた美花の拳が防護服を深々と切り裂きながら職員を吹き飛ばした。

 女性の膂力とはとても思えない程の力で斬り飛ばされた職員の体がボウリングの玉の様にほかの職員を連鎖的に押し倒して隊列が崩れ、その隙に美花は再び手近な職員へとその爪を振るう。

 そこから先は一方的な蹂躙であった。

 人間大の獣が食い散らかす様に縦横無尽に四肢を振るい、その度に職員達の悲鳴が轟く。

 18名からなる武装職員の動きが完全に止まり、地に臥した職員達を尻目に安物の猫仮面を被り直す美花が出雲の後を追いかけて走り出したのは、それから3分後の事であった。

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