6-10 休日の邂逅2
買い物袋の重量から開放された腕は軽いものの、帰路を歩む彩華の内心は居心地が悪いという気まずさでいっぱいであった。
というのも、彩華が前を歩き、その後ろを迎坂兄妹が横並びに――兄のほうは荷物をもって――ついてくるという、どこの貴族だと言われてしまうような様相であったからだ。
「はぁ……」
思わず、といった具合にため息が漏れる。
「どうかした?」
「――っ」
表情など掴み様もないだろうとたかを括っていただけに、背後からかかった気遣わしな声に小さく息を詰める。
どう反応すべきか逡巡していれば、ちょうど進行方向にある交差点の信号が変わる。
横断歩道の前で脚を止めた彩華の隣へとさも当然のように並んだ黄泉路の気配に、彩華は思考を切って口を開く。
「……なんでもないわ。強いて言うなら、どこまでついてくるつもりなのかしら、と思っていた所よ」
「あはは……」
「そもそも、そっちの用事はどうなの。あんな場所にいたんだから何か用があったんでしょう。私にかまけていていいの?」
はぐらかされた質問を再度投げかければ、黄泉路は見慣れた笑みを浮かべ、
「んー。用事、って程でもないかな。僕のはただの下見だよ」
特に隠す事でもないという風に片目を瞑った。
彩華が更に目で問えば、黄泉路は視線を姫更へと向ける。
「最近ようやく落ち着いてきたし、こうして散歩のついでにね」
「ふぅん」
もとより話題そらしのオマケ程度の気持ちでの問いであったこともあり、目の前の信号が青になった事をこれ幸いにと彩華はそっけない相槌を返しつつ歩き出す。
信号を渡りきってしまった頃になってようやく、どこまで着いてくるのかという問いがはぐらかされた事に気づいたが後の祭りである。
すでに彩華が先頭を行く構図に戻ってしまっており、わざわざ足を止めて問うのも格好がつかない。
「(……はぁ)」
黄泉路達が悪いわけではない。強いて言うならば、純粋な善意で動いているからこそ、黄泉路の性質が悪いと言えない事もないが。
どちらにせよ、すべては彩華自身の自縄自縛であるという認識もあって、彩華は何も言い出すことができずにいた。
後ろでは時折姫更と黄泉路が会話する声が聞こえてきており、内心に募る居心地の悪さと、自身の性格の悪さに辟易としつつ、少しでも早く帰れるようにと彩華は歩く足を僅かに速めるのだった。
「……ここでいいわ」
結局、彩華がそれを切り出したのは自宅から程近い小さな公園に差し掛かった頃であった。
辺りを一瞥し、ここまででいいのかと首を傾げる黄泉路に、彩華は返答の変わりと言わんばかりに袋を手繰り寄せる。
「ええ。むしろ、もっと早くに貴方から切り出してくれたらよかったのに」
「持ちかけた側なのにそんな提案しないよ」
「そうよね。貴方ってそういう人だったわ」
彩華は皮肉を口にしてから自身でも、それはそれで嫌だなと思ってしまう。
だからこそ、即答した黄泉路に対して納得したような、あらかじめ知っていたかのような滑らかな相槌が零れ、口に出してから彩華は自身の思考とは別に出てきた自らの言葉に僅かに表情をこわばらせた。
「(あれ? なんで私……嘘、ホッとした? コイツがそう答えるだろうって根拠もなく信じて、その通りだったから? 何それ。まるで――いえ、違うわ。絶対に違う)」
その先の思考を断ち切る様に、彩華はぎゅっと目を閉じ、幾度か瞬き。姫更の姿を視界の端で捉え、
「……私に構うより妹さんに構ってあげなさい。家族は大事よ」
どの口がいうのかと、彩華自身でも苦し紛れだとわかり切った皮肉が思わず口をつく。
取り繕うにしても他に話題があっただろうにと、僅かな後悔から黄泉路へと視線を戻すのもつかの間、これではまるで自分が黄泉路の機微を窺っているようではないかと、彩華は自らの無意識の行動に顔を顰めかけ、
「――」
視線の先にいる黄泉路の表情が予想していたものと大きくずれていた事でそんな思考もどこかへと飛んでいってしまった。
こんなキレのない皮肉などてっきりいつも通りの苦笑で流されてしまうものだと、笑って窘めて来るだろうと。彩華はそう無意識に確信していた。だが、黄泉路の表情を見た瞬間、動揺などどこかへと飛んでいってしまった様な錯覚に陥った。
何事も余裕綽々、暗い雰囲気など感じさることのなかった黄泉路が初めて見せる影を纏った表情に、彩華は一瞬呑まれてしまう。
「そう、だね。ごめん」
ぽつりと呟かれた黄泉路の謝罪で彩華は自分が固まってしまっていた事に思い至り、何かを言わねばとあわてて口を開く。
「私に言わないで」
咄嗟にでた言葉に対して、嫌な奴。そう自分で自分に内心で唾を吐きたい気分であった。
言ってしまってから、失態に次ぐ失態に苦い顔が出してしまう。
黄泉路は彩華の指摘どおり姫更のほうへと顔を向けていたことが、彩華にとっての幸いであった。
「ごめんね姫ちゃん。つき合わせちゃって」
「ううん。歩くの楽しかった」
微笑ましいやりとりではあるが、今の彩華にはそれを額面通りに受け取るだけのゆとりはない。
むしろ兄妹揃って気を使われた様な気さえしてしまう。
「あまり引き止めるのも繰り返しになっちゃうし、僕らはこれで」
「ばいばい、彩華ちゃん」
「え、あっ――」
故に、彩華は普段であれば絶対に口にしない提案を口走ってしまう。
「ちょっと待ちなさい。荷物もちだけさせてさよならじゃ私の面子に関わるじゃない」
「へ?」
「――っ、あっ。私の家、すぐそこだし。……その、お茶くらい出すわよ? もちろん、これから予定がないならだけど」
普段の彩華であれば、提案はしなかっただろう。
それだけに動揺していたという事でもあるのだが、しかし、この提案に否定的であるかと言われれば、彩華自身判断が付けられないのも事実であった。
「いいの?」
「ついてくるの? こないの?」
思いがけない提案だったのは黄泉路にしても同じ、いや、提案者本人すら思いがけないものだっただけに、その彩華の普段の態度からでは予想すらしえなかった提案である。思わず問い返してしまったのも無理からぬことであった。
まるで恥らうのを隠すような剣幕で再び二者択一を迫る彩華に、黄泉路はいつもどおりの苦笑を浮かべて応じる。
「あはは。それじゃあ、お言葉に甘えようかな。ね、姫ちゃん」
「ん。甘える」
「そう。ならついてきて」
ここでの話はこれで終わり、そう言わんばかりに踵を返そうとする彩華を、今度は黄泉路が引き止める。
「あ、どうせお邪魔するなら、最後まで持つよ」
そういって再び荷物が黄泉路の手に渡るのに、最初ほどの抵抗はない。
彩華が黄泉路に気を許してしまっている事実を認識するのは、黄泉路を家にあげる段になってからなのであった。