6-9 休日の邂逅
「あれ、彩華ちゃん。奇遇だね」
不意打ちを食らった昼休みから翌日。
休日ということもあって、1週間分の買出しの帰り道で耳に入った、聞きなれてしまった声に彩華は一瞬どう反応すべきか迷い、ややあってからあきれた表情を作って声の主へと振り返る。
「……はぁ。その鳥頭、いつになったら学習するのかしら」
「ごめんごめん。この呼び方で落ち着いちゃったからさ」
ここ数年、学校という最小限の人間関係の中ですら人との接触を避けていた彩華が外でだれかと会話をするというのは実に久しぶりのことであった。
故に、身だしなみにはそこそこ気を使ってはいても、誰かに見せるためというよりは、自分がはしたない格好をしたくないからというレベル――つまりは必要最低限の装いなことを自覚し、思わず相手の服装へと目を向ける。
制服姿しか見たことのない黄泉路の服飾センスが酷かったならば多少の慰めにはなるだろうし、何よりも、この完璧超人のような少年の欠点を見つけることができたという優越感に浸れると思ったからだ。
「……? どうかした?」
「なんでも、ないわ」
黄泉路と目が合い、他意なく尋ねられれば、そっと逸らしながら答えるのが彩華の精一杯の虚勢であった。
足元から視線を上に向けての無遠慮な観察であった自覚はある。観察に到った後暗い理由も手伝って、彩華はばつが悪そうな表情を浮かべかけ、それを自覚してさっと打ち消してから普段に近い無表情で再び顔を黄泉路へと向ける。
「そんなにお洒落したってこの辺りじゃ何もないわよ」
「あはは……僕が選んだ訳じゃないんだけどね」
「そう」
照れくさそうに笑う黄泉路に彩華はあえて素っ気無い態度だと伝わるような短い言葉を返し、改めてちらりと黄泉路の服装へと目を向ける。
モノトーンで大人しい印象のインナーは清潔感があり、その上から明るめの色合いのジャケットを着ることで元の大人びた雰囲気を崩さない程度に季節感を演出していた。
黄泉路の顔立ちや高校生という立場としてみるならば少々渋めだが、本人の落ち着いた立ち振る舞いを合わせれば十分にアリだと思わせると彩華は内心で寸評を済ませていれば、黄泉路の視線が自身の服へと向いている事に気づく。
「何よ」
「お互い制服姿しか見たことがなかったから新鮮だなって」
「こんな格好で悪かったわね」
外出に手間をかけたくないという理由も含め、彩華の格好はシンプルだ。
白のブラウスは簡素であるが故に本人の素材をそのままに全体の印象をまとめ、植物の蔦を思わせる刺繍によって濃淡が作られた青い膝丈のスカートが春らしい爽やかさを主張する。
全体としては選んだ人のセンスは悪くないと思わせるものだ。よくよく見ればデザイン的には庶民派で知られる大手衣料品店のものだけで構成されているが、それを匂わせないのもまた、着合わせの力量といったところだろう。
「ううん。似合ってると思うよ」
「それはどうも」
感想を述べる黄泉路に対し、それがお世辞ではない率直なものであると直感した彩華はその考えを振り切るように素っ気無い態度を返す。
そろそろ立ち話をするにも手提げに詰め込んだ食料品が重いと感じ、わずかに下げたのに黄泉路が気づく。
「重そうだけど、買い溜め?」
「そうよ。知っているでしょう? 私、もう親いないから。買い溜めしたほうが得なのよ」
「ああ、確かに。纏めて買ったほうが予定立てやすいしお買い得だったりするよね」
納得したという風に相槌を返す黄泉路に、彩華はおやっと思う。
一般的な、というのを語るには聊か経験が足りないものの、クラスメイトを観察する限りにおいては、男子が――それは女子とて一部を除けば似たようなものであるが――こういった家事事情に精通していることは珍しく感じられた。
だが、こと黄泉路に関しては学校での言動に非を付け辛いこともあり、この少年ならば家事とてそつなくこなすのだろうという根拠なき説得力と、それ以上の理由不明のもやもやした感情に思わず皮肉が口をつく。
「ずいぶん家庭的なご意見をお持ちで。家事まで完璧なんて恐れ入るわ」
「あはは……そういうわけじゃないよ。ただ、親がいないっていうのはわかるからさ」
「――そう」
編入理由は一身上の都合という話であったことを、朧気ながら思い出した彩華は小さく頷く。
親を失って世界一不幸だというつもりはない。だからといって、傷の舐め合いをするつもりも毛頭ないのだ。この話題がお互いの益にならない事を正しく理解していたが故に口を噤み、
「黄泉にい。待った?」
そろそろ会話を切り上げて帰ろう、彩華がそう思っていた時。横合いからかかる声に思わず視線をそちらへと向ける。
おそらくは黄泉路に対し声をかけてきただろう人物が歩み寄ってきていた。
中学生かそこらの、愛らしい顔立ちの少女だ。よく手入れされているであろう背に流れた黒髪が歩くたびに揺れる。
「ああ。姫ちゃん。おかえり。今ちょうどクラスの子と話してたから、大丈夫だよ」
「ん。黄泉にいの、お友達?」
そばまで寄ってくれば、その藍色の瞳に見上げられて彩華はとっさに反応できずにいた。
違うといえば黄泉路の面子はつぶせて多少の嫌がらせにはなるだろうが、それよりも、先ほどから両者が交わす言葉が気になって仕方がなかったのだ。
「……ねぇ、この子は?」
「紹介するね。僕の妹の姫更ちゃんだよ。こっちは僕のクラスメイトで隣の席の戦場彩華ちゃん」
妹と紹介されれば、似ているかと問われれば首を傾げるものの、なるほどと思う程度には共通項がある2人を交互に見比べ疑問が解消されるが、
「彩華ちゃん?」
黄泉路の言葉尻に反応するように問い返した姫更の声に思わず黄泉路をきっと睨み付ける。
もう半ば諦めてはいたものの、さすがにそれが伝染するのをよしとするほど、彩華は寛容ではない。
「だからちゃん付けで呼ばないでってあれほど――」
「ダメ?」
「っ」
言いかけた文句にかぶせる様にして問う姫更と目が合い、彩華の言葉が詰まる。
結局、数秒ほど姫更と視線を合わせた結果、年上の彩華のほうが折れたほうが波風が立たないと判断して諦めたように首を振った。
「……はぁ、もう。いいわ。好きにしなさい」
「ありが、とう?」
「はいはい。じゃあ私はこれで」
「あ、まって」
相手の時間つぶしにまんまと引っかかってしまった自分を悔しいと思う反面、これでようやく両手の重さから解放されると、淡々と踵を返そうとする彩華に再び黄泉路から声がかかった。
「……何よ」
「良ければ持とうか?」
「いいわよ。これから帰るだけなんだから。それに妹さんはどうするの」
「? 私は、黄泉にいに、ついていくよ?」
断る口実のつもりで話を振ったはずの姫更に肯定されてしまい、面食らってしまった彩華が言葉に詰まっていると、黄泉路がすっと横に並んで荷物を持つ。
途端、腕が軽くなったことで我に返った彩華が抗議しようと顔を向ければ、黄泉路のいつもの困ったような笑みに迎えられ、
「重いもの持ったまま付き合わせちゃったから。せめて荷物持ちくらいはさ。お詫びのつもりだから持たせてよ」
確かに負担が減った自身の腕の軽さに負けて、彩華は渋々荷物を押し付けてため息を吐いた。