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6-8 私立嶺ヶ崎学園6

 数日後。隣に腰掛けた、何をするわけでもないで景色を眺めていますという雰囲気をかもし出す黒髪の少年を無視する週末を控えた金曜日の晴れた空の下。

 彩華は自身の影をひざの上の弁当箱に落としながらもくもくと食事を片付けていた。

 はじめの内は何を言ってくるだろうかと身構えていた彩華であったが、翌日、翌々日ともに黄泉路が何を言うわけでもなかった事で、その更に2日後には深く考えるのをやめるようになっていた。

 以降、彩華が屋上へやってくると、黄泉路も決まって少しばかり遅れて屋上へとやってくる日々が続いていた。


 一応、それなりに気を使ってはいるのだろう。

 合流地点が同じだとしても、黄泉路は決して彩華と同時に教室を出たりしなければ、同時に教室に戻ることもなかった。

 それはひとえに彩華が黄泉路を避けているという周知したい事実を否定しないための配慮であるということは、彩華自身よく理解できていた。

 ならばその配慮をもう少しマシな方向に使えないのかと文句を言いたい心境もないではないが、無視を決め込むことを内心で決意しておきながら自分のほうから声をかけるのは癪に障るという、当人をしても誰と張り合っているのかわからない葛藤によってその言葉は吐き出す機会を失っていた。


「……」

「……」


 この日も、黙々と食事を胃袋へと収める彩華の隣で黄泉路は黙ったままだ。

 もはや慣れてしまった、お互いの間に流れる奇妙な沈黙。

 無心で箸を動かし、白米とおかずを口へと運ぶ。

 時間が止まっているかのような錯覚に陥るような緩やかな空間の中で、彩華が食べ進める弁当の残りだけが時間の経過を示していた。


「……ごちそうさまでした」


 誰かに聞かせるためではなく、ただの礼儀、儀式としての宣言を終え、開始時と同じく手を合わせた後に空になった弁当箱の片づけを済ませ、当座のやるべきことがなくなってしまった彩華はちらりと隣に座った黄泉路を盗み見る。

 休み時間が終わるぎりぎりまで屋上で時間を潰してから授業にあわせて教室に戻るのが常であるが、食事という目の前に集中できることが終わってしまえば、とたんに手持ち無沙汰になってしまうのが最近の悩みであった。

 どうするべきかと悩んでいれば、当然のごとく、ここ数日の間に何度も繰り返した黄泉路に対する疑問が湧き上がってくる。


「(何で私に構うのよ……。仲良くしたいなら仲良くできる人とすればいいじゃない)」


 漫然とした不満だけが募ってゆくのを自覚しつつ、思わずといった具合に黄泉路へと向けていた視線が鋭くなる。

 すると、黄泉路はゆるりと、まるで気づいていたとばかりに彩華のほうへと困ったような笑みを浮かべる。

 言葉はない。彩華が黄泉路のことを考えているとき、きまって黄泉路は彩華のほうへと、最初から向けていたかのように視線を合わせてくるのだ。

 これもまた、この頃ずっと繰り返しているやりとりのひとつであり、読めない相手の思考に彩華の眉根に皺が寄るのもまた、いつものことであった。


「(何その顔。気に入らない。だいたいこの間まで散々話し掛けてきてた癖にどうして黙ってるのよ。話し掛ける気がないなら私の所に来る必要ないじゃない。何なの本っ当にイライラする!)」


 一度、目が合ってしまえば些細な事がひとつひとつ連鎖するように大きな不満へと膨れ上がり、心の内側で押さえ込んでいた熱を帯びた感情が高まってゆく。

 不意に、黄泉路が一瞬だけ気を取られたように、床につけていた手を離す。

 だが、その仕草でハッとなったのは彩華のほうであった。


「っ!」


 顔が一瞬強張ったのを自覚し、すぐに取り繕おうとして、それが無駄だと気づかされる。

 それでも無理に取り繕うべきか否か。決して短くない逡巡の後に、彩華は渋々といった表情を隠しもせずに大きく息を吐いた。


「――ねぇ。貴方本当は気づいてる(・・・・・)んでしょう?」

「何のこと?」

「惚けないで」


 問い返す黄泉路を遮る様に低い声を尖らせる彩華に、黄泉路は困ったような顔を浮かべる。


「貴方だって、もう噂が嘘じゃないって気づいてるんでしょう? 何で私に構うのよ」

「噂……ああ。彩華ちゃんの近くにいると怪我するっていう?」

「だからちゃんは――って、んっんっ! ……とにかく、貴方も今怪我したでしょう? これ以上痛い思いしたくなかったら早々に縁を切って。私のせいだって騒がれても迷惑だわ」


 つい、気安く話をしていた頃の調子で脱線しかけた自らの思考を戒めるように咳払いし、本題を吐き出し終えた彩華は心の隅で感じた引っ掻かれるような、かすかな痛みにも似た錯覚を押し殺して黄泉路の表情を、返答を待った。

 その表情は、これで縁を切れるという理性的なものからくる安堵の中に、どこか一抹の寂しさのような色を宿していた。

 そんな表情を向けられてしまえば、黄泉路はやはり、困ったような顔をするしかないのであった。


「僕は彩華ちゃんの所為だなんて言うつもりはないし、それに、怪我と彩華ちゃんに仮に因果関係があったとして、それが縁を切る理由にはならないよ」


 こうもはっきりと黄泉路から拒否をされたのは、彩華にとってははじめてのことであった。

 否、彩華がこれまで――不本意ながらも――近くで見続けてきた黄泉路という少年は、よく言えば柔軟性があって他人に合わせるのがうまく、悪く言えば押しに弱いところがあった。

 彩華に対する態度のみがある種の例外ではあったが、それでも彩華が徹底して否をたたきつければ、黄泉路はそれより先に踏み込んでくることはなかったのだ。

 だからだろう。彩華はとっさに何を言われたのか処理することができず、一泊あけて、黄泉路の言葉を理解すれば、湧き上がるのは自分でも理解できない苛立ちであった。


「……意味が、わからないわ。普通避けるでしょう。もう私のことは放って置いてよ。私に構うよりほかの子と仲良くしてなさいよ。そうしたら全部うまく纏まるじゃない。なんで私なのよ。本当、意味がわからない」


 吐き出されたのは苛立ちと、何度も湧き上がる、理解不能に対する疑問。

 らしくない。彩華はそう自嘲する理性が聞こえるような気すらしていたが、黄泉路の返答によってそんな考えはすぐに霧散することになる。


「だって、彩華ちゃんは優しいし」

「は?」


 思わず、だ。

 完全に素の声音が漏れて、彩華の思考がとまる。

 その返答を疑問と捉えたらしい黄泉路が、続けてトドメとばかりに言葉を重ねる。


「うん。彩華ちゃんは優しくて良い子だって知ってるから」

「や、やさし……はぁ!?」


 今度はタイムラグなしで直接耳から脳へ、言葉の意味を理解できてしまうだけの理性が回復していたこともあって、彩華は思わず立ち上がっていた。


「な、なに、何を、いっているの!? 私が優しい!? どこが!?」

「必要があれば教科書も見せてくれたし、無視すればいいのに話にも乗ってくれた」

「それは、でも、その後すぐに無視するようになったでしょう!?」

「人を近寄らせないようにしてるのも、周りの人を巻き込まないようにしてるからだよね」

「な、あっ」


 図星。ではないと断言できない自身の口に、彩華自身が驚愕する。

 理性の上では、人を避ける理由にそんなものはないと、ただたんに、必要だから(・・・・・)なのだと断言できる。

 それなのに、否定の言葉が出てこないどころか、顔に熱が集まるのを感じて、これではまるで秘密がばれて照れているようではないかと彩華は頭を振る。


「不器用なだけの優しい人を避ける理由はない。これで理由になったかな?」

「――っ!!」


 彩華は反射的に黄泉路に背を向け、早足に扉へと向かう。

 校舎内へと入れば、階段の中ごろ――黄泉路の視界から完全に外れたと認識できる場所だ――で自然と足が止まれば、日向の熱を感じないことで余計に自身から発されている熱を自覚してしまう。


「はぁ……」


 足元を見下ろして、内側の熱を吐き出すかのように深いため息をつくのだった。

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