表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
165/605

6-7 私立嶺ヶ崎学園5

 体育の授業の一件から2週間。

 彩華はことあるごとに話しかけ、交流を持とうとしてくる黄泉路を避け続けていた。

 少々手間がかかるといえば確かだが、それをしないことでのストレスに比べればまだ許容圏内だと割り切る事にしたのだ。

 というのも、彩華と黄泉路の接点というのは実はそれほど多いものではない。

 黄泉路との接点をつぶし、かつての態度――周囲すべてに対して棘を向けるような、強い隔意だ――を見せれば、途端に勘違いしていた生徒(・・・・・・・・・)も波が引いたように関わってこなくなった。

 加えて、そうして彩華を避けた生徒が黄泉路に群がることでさらに自身との接点が潰れるのだから、彩華としてはどうしてもっと早くこうしなかったのかと思うほどである。


 午前の授業の終える鐘が鳴り、教室の空気が一気に弛緩する。

 その変化の中で、彩華は机の上に出たままの教科書とノートをそのままに、弁当箱だけを持って席を立つ。

 足早に教室を離れる後ろでは、群がるクラスメイトとそれに対して困ったように対応に追われる黄泉路の話し声が混じる喧騒が響いていた。

 空中の渡り廊下を抜けて実習用の教室が並ぶ校舎へと、1階の購買へと向かう生徒の流れの間を縫って階段を登る。

 彩華が現在歩いている校舎は生徒が常駐するような教室はひとつもない為、昼休みともなれば極端に人通りが少なくなる。

 弁当にしろ購買にしろ、自身の教室で食べるほうが次の授業までの空き時間を多く取れるなどのメリットも多い。

 その為、特段クラス内で問題を抱えている生徒でなければ、教室を離れて食事をするという意味はないのだ。

 裏を返せば、彩華は問題を抱えているという事にもなるのだが、周囲はおろか、彩華自身その自覚があるため、彩華の行為を不自然に思ったり咎めたりするものはいない。

 ひとつ階を上がってしまえば、途端に人の気配が薄くなる。

 購買が実習校舎の1階にあり、渡り廊下は1階と2階にしか存在しないことから、休み時間中に3階に生徒が来る理由は皆無なのだ。

 教室に居づらい、ありていに言えば、逃げ出した(・・・・・)生徒がたまに空き教室で食事をしている事もあるが、彩華の目的はそちらではなかった。

 微かに人の気配を感じる3階を無視してそのまま階段をさらに登り、突き当たりで足を止める。

 彩華の目の前にあるのは、屋上に出るための扉だ。

 鍵がかかっていることは生徒たちは誰もが知っている。それ故に、問題を抱えた生徒が逃げ込むのは3階までであった。

 だが、彩華は何の気なしに扉に手をかける。


 ――ギ、ぃ……。


 軽い鉄のような印象を受ける簡素なデザインの扉が僅かに鈍い音を奏で、春の終わりを感じさせる温い風が彩華の頬を撫でた。

 本来ならば足を踏み入れることのできない屋上は、当然のごとく無人で、日差しと風に長年晒されたコンクリート建材の床はざっと見渡してもさほど綺麗だとは言い難い光景であった。

 それでも、彩華は何の躊躇もなく最近では定位置になりつつある落下防止用のフェンスが張り巡らされた隅の方へと足を向ける。

 彩華が整備したことで、そこだけは制服のまま座る事に躊躇いを覚えない程度には綺麗に掃除されていた。

 フェンスを支えるための段に腰を下ろし、腿の上で弁当を広げて手を合わせる。


「いただきます」


 毎朝自身で作っているため、単純に生活に――生存に必要だから食べるというような無感動な食事だが、それでもきちんと手を合わせるのは親の教え、あるいはただの習慣か。

 風の音と、別の校舎から響く、やや遠い喧騒だけをBGMにした無言の食事。

 教室にいるよりは落ち着くと感じる一方で、どこか、心の片隅で違和感を覚えている自分がいる事も自覚した上で、彩華はその違和感を検分することをあえて避けて、無心で弁当へと向かい合う。

 両親を失ってからも残された死亡保険金や資産で卒業までは余裕を持って生活はできるだろうという見立てはあるが、それでも節約できる部分はするべきであると、元々食が細かった体質に感謝をしつつ、それに輪をかけて、彩華は弁当の量を少なくしていた。

 小ぶりの弁当箱、本来は二段で一組のそれの片方のみを持参し、中に白米が半分と、おかずが一品という、苦学生を思わせるようなそれを他人に見せたくないという理由もあるにはあるが、やはり、あの一件以来の諸々の事情により、誰かの近くにいるということに抵抗を覚えることが一番の理由であった。

 少ない食事を丁寧に箸で口へ運ぶしぐさはどこか育ちのよさが感じられるものであったが、その箸が不意に止まる。


「……」


 一人きりの食事に水をさす、風と階下の喧騒以外の異音を捉えた彩華の視線がこの屋上唯一の出入り口である扉へと、


「あ。いた。こんな所で食べてたんだ」


 嬉しそうな笑みを浮かべながら屋上に現れた、彩華がここ2週間避け続けてきた声と顔へと向けられていた。


「隣、いいかな?」


 それは質問というよりは、ただの形式ばかりの事後承諾であるとばかりに横に腰掛けた黄泉路に、彩華は無視を決め込むことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ