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6-2 とある少女のプロローグ2

 何かに躓かないようにと足を進め、2歩、3歩。そうしてリビングの中ほどまで辿り着いた頃。ふと、足元でカーペットが違う感触でもって少女の足を迎えた。

 ぺちゃりと粘った音を立てた足元に、少女は反射的に足を引き抜いて一歩下げて顔をしかめた。


「もう、水こぼしたならこぼしたって言ってよー。靴下ぬれちゃったよ」


 少女の愚痴めいた言葉に、普段であれば母親が「これからお風呂入るし洗濯機に入れるんだから一緒よ」と笑ってくれるはずだ。

 だが、少女へと帰ってきたのは、掠れた様な、不規則な空気の流れにも似た呼気。

 あまりにも異質な、それでいて不気味な雰囲気に飲まれ、少女は怯えるままに声を上げる。


「……? やだ、ちょっと、なんの冗談……」

「あ、やか……」


 かすかに帰ってくる声が母親の声である、その事実だけを捉えた少女は、いまだ姿の見えない母親へと声をかけようとし、


「――にげなさい」


 続く、今にも消えそうな母親の声に、目をそらしていた事実に気づいてしまう。


「……え、う、そ……うそ、でしょ……」


 その声は。



 ――少女の足元から聞こえ(・・・・・・・・・・)てきていた事実に(・・・・・・・・)



「ちょっと、やだ、え、なに、何が……!?」


 少女の思考ががらがらと音を立てて崩れて、日常の延長だと決め付けて片隅へと押しのけていた非日常的な思考が隙間からあふれ出す。

 最初から、少女とておかしいとは思っていたのだ。

 完全に、掛けるところをみていたはずの鍵が開いていたことも、突然停電したように電気が消えたことも、先に入ったはずの両親の声が、ある時から一切聞こえなくなっていたことも。


 ――つい先ほど踏みしめた液体が、生温かったことも。


「あ、あ、ああ、あああああああっ!?」


 嫌な想像は現実のことで、現実の自分はどうすればいいか。そんな思考にたどり着こうとしては空転して真っ白になる頭とは別に、悲鳴が喉から溢れ出してリビングに響く。

 足ががくがくと震えて腰から砕けるようにカーペットの上にへたり込もうとしたその瞬間、重力にそって遅れて落ちる少女の後ろ髪が何かに轢かれるようにして千切れた。


「きゃぁあ!?」


 自身の頭があった場所を、今まさに何かが通り過ぎた。

 その事実だけでも恐怖が閾値を越えて、少女は這いずる様にして先ほど入ってきたばかりの扉へと向かう。

 まだ開いていた扉を幸いと廊下へと――ついた手から伝わる感触がカーペットからフローリングの木のものへと変わるが、それを気にするだけの余裕は少女にはない――転がるようにして飛び出して、よろけた拍子に壁に肩をぶつけてしまっても、痛みを忘れてしまったように、もう一枚の扉――玄関を目指す。

 ほんの数分前までは何気なく、意識することもなく通った玄関までの道が果てしなく遠く感じる中、少女は前に出した手がつくべき高さに床がない事でバランスを崩して前へとつんのめる。

 非常時において体勢を崩すという行為はそれそのものが致命的な隙であるが、しかし、先ほども、そして現在も、その不意の挙動は少女を窮地から救った。

 転んだ拍子に前へと転がったおかげで、自身で這うよりも数歩ほど玄関口に近くなっていた。肘で玄関の硬い石畳の感触を感じながら、少女は痛みにうめく暇も惜しんで膝立ちになってドアノブへと手を掛け――


 ガチャ。ガチャガチャガチャガチャ。


 先ほど、自分自身が確かに鍵を閉めた。その事を思い出して少女は愕然とする。


「あ、あ、あけ、あけて、あいて、開いてよお願い!!!」


 震える手で何度もドアノブをひねった後でその事実に気づいて鍵を開けようと手を伸ばそうとし、少女の手が鍵に手がかかったと同時。

 追いついてきた何者かが少女の体を押さえつけるように乗り上げる。


「きゃあああっ!?」


 膝立ちから床に引き釣りおろされる衝撃で少女の指が鍵を回すも、開錠を知らせる音は少女が胸から床へと組み敷かれる音と悲鳴によってかき消される。


「――むぐ、んんんんーッ!!!!」

「静かにしろ!! くそっ、外出中だと思ったのに!! 何でだよ!!! 何で俺ばっかり!!!!」

「っ!?」


 口元を覆われてパニックに拍車がかかった少女の耳に届いた声が、自身と近いだろうと思わせる若い男のものであったことに、少女の身動きが一瞬だけ止まる。

 動きが止まったことを了承ととったらしい男の力が僅かに緩み、ほんの僅かだが隙が生まれた。

 体感で、体にかかる負荷が弱くなったことを理解した少女が身を捩り、口に宛がわれた手を振り払って相手のほうへと顔を向け、目を見開く。


「おい、おいおいおい。マジかよ」


 見開かれた男の目が合う。

 いつの間にか暗闇に慣れた少女の視界は、正しく自身を組み敷いた相手を捉えていた。


「っ!?」

「……でも、イイよな? どうせ見られたし、口封じするなら……その前に楽しんだって」


 襲撃者の手が少女の肌に触れる。






 ――この日を境に、少女の日常は崩れ去った。

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