1-10 メルトプリズン4
美花と別れた十字路から、言われたとおりに直進し続けた出雲の前に、やがて階下へ繋がる階段が見えてくる。
もはやこの程度では息切れすらしなくなった自身の身体に感謝しながら階段を降る。
下の階へと降りた時だった。つい先ほど出雲が美花と別れた階層の方から激しい銃撃と何かを叫びあう様な音が響いて、出雲は思わず顔を階段の上へと向けた。
「……カガリさんも美花さんも、無事かな……」
自分などよりも遥かに強い能力者なのだから、自分が心配した所でどうしようもない事など判りきってはいたが、それでも、出雲は不安にならざるを得なかった。
知り合って間もないとはいえ、自身を逃がす為に足止めを請け負ってくれた相手の事を早々に割り切れるほど、出雲は修羅場慣れしていない。
ただ、指示された通りに脱出しよう、そう思考を切り替えて廊下を歩き出し、少し進んだ所で、出雲は再び立ち止まってしまう。
「どっち進めばいいんだろう……これ」
標識も何もない白い廊下で突き当たり、T字路をどちらに進むのが正解か。そこまで指示を貰っていなかったが故に、出雲はどちらも選べずに立ち尽くしてしまっていた。
そんな折、不意に頭にキーンと音が走る。
『あーあー。Sレートさーん? 聞こえてますぅー?』
遠くで喧騒が響き、しかし、出雲の周囲だけ異様な静寂に包まれていた空間に突如として響き渡る軽快な声。
驚いて思わず肩が跳ねた出雲は、慌てて壁に背をつけて声の出所を探るように視線を巡らせた。
一向に姿の見えない声の主に慄く出雲とは対照的に、少女の様な声音の主はやたらテンションの高い調子で一方的にまくし立てる。
『ねーぇー! 聞こえてますかぁ? 聞こえてたらハイ、聞こえてなくてもYesで答えて、くーだーさーいーよぉー!!!』
「(だ、誰!? それに、一体どこから……)」
『ああ、よかったぁ! 間違って繋げちゃったかと思って焦ったぁー』
「――っ!?」
出雲は一瞬、自身が声に出していたのかと錯覚した。しかし、考えただけで、口に出した覚えはないと再確認していると、再び少女の声が“頭に響く”
『あー。もしかしてぇー、私の事ミケちゃんとかカガリさんから聞いてません?』
「え、っと……もしかして、オペレーターさん、ですか?」
『そーそー。そーですそのとーり、超いぐざくとりぃ! 私のことは気軽にオペ子ちゃんって呼んでねぇー』
「……はい、よろしくお願いします」
『それとぉ、私と話をする時は声に出さなくても、私に向かって心の中で愛を囁いてもらえれば何処にいても受信出来ちゃうよー』
「(あ、愛……)」
『まー、じょーだんはさておき、ここからは私がSレートさんの脱出のナビゲートをしますから、指示通りに動いてくださいねー』
「(……わかりました)」
『早速ですけどぉ、右手の通路先は外への最短ルートだけど大部隊が待機してますぅ。一応左にも貨物搬入用のダクトがあるんで、ちょっと遠回りになりますけどそっちからでもいけますよぉー』
頭に響く声に突っ込む気力もない出雲は言われたとおりに左へと曲がる。
当然、出雲に格闘経験などなければ、銃を奪う事に成功したとして、銃器を扱うだけの技量もない。
不死という取り柄だけで大人数を相手に強行突破を図ろうと思うほど、出雲は無謀ではなかったし、勇敢でもなかった。
廊下を小走りで進み、突き当たりの部屋へと入った出雲は思わず息を吐く。
暗い室内はどうやら倉庫として使われているらしく、所狭しと並べられた棚の迷路にぎっしりとダンボールが詰め込まれていた。
階下へと繋がるダクトとやらを探す出雲の頭に、不意にオペレーターの声が響く。
『そーいえば、Sレートさんって案外声が若いですよねー。意外ですぅー。てっきりガチガチのムキムキでこう、顔面に大きな傷跡があるような渋いおじ様を想像してたから、すっごいギャップですよー』
「(なんでまたそんな事に……)」
『えー、だってぇ。Sレートさんって結構な有名人ですよぉ?』
有名人、という言葉に、出雲は思わず首をかしげる。
元はといえばただの一般人であった上、能力を自覚したのも施設の中である。どこでそのような話題になるのかさっぱり見当もつかなかったのだった。
「(有名人って……人違いじゃないですか?)」
『えー! でもでもぉー、東都能力犯罪者収容所の68号さんなんですよねぇ?』
「(えっと、能力解剖研究所、って、たぶん偉い人が言ってましたけど……)」
『能力を悪用する犯罪者の収容所とは世を忍ぶ仮の姿! しかしてその実態は、私たち能力者を人とも思わない極悪研究員が政府主導で行っている非人道的人体実験施設、通称、能力解剖研究所なのであった!!』
「(は、はぁ……)」
『んで、んでぇ、Sレートさんってそこの68号さんなんですよねぇ?』
「(そうですけど……それと一体何の関係が)」
『いやいや、謙遜しないでくださいよぉ。 私たちの情報網にビンビン引っかかってるんですからぁー。どんな過酷な実験を科せられても必ず生還する不死身の能力者、通称【黄泉渡】の68号って、Sレートさんの事なんでしょー?』
「(……そんな事言われてたんだ……僕、本当にそんなのじゃないのに――)」
『マジぱねぇーっす。超格好良いじゃないですかぁ!』
遮る様にキンキンと頭の中で騒ぎ立てるオペレーターに僅かに辟易したように顔をしかめたものの、久しぶりにしっかりとした会話というものを噛み締める出雲の心の内は、脱走中という状況でありながらも、収容されている時よりも遥かに軽やかであった。
他愛の無い雑談に興じながら、出雲はようやく見つけた人一人、大人がぎりぎり通れるかどうかという程度のサイズのダクトへと意を決して飛び込んだ。