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6-1 とある少女のプロローグ

 その日は、何事もない普通の日のはずであった。

 しいていうならば、ちょっとしたお祝い事の日。それも周知されている記念日などではなく、極々狭い、家族の間だけで祝うようなささやかな記念日であった。

 家族三人、両親とともに、お祝い事の度に足を運ぶ少しばかりお高いレストランで夕食を楽しみ、父親が運転する車のライトが照らす、暗い夏の夜道を辿って家路に着く。

 本当になんでもない日。夏休みも終盤ということもあって、そろそろ宿題を片付けた者とそうでない者の差が現れ始める、そんな時期だった。

 次の日には平日がやってきて、仕事に行く両親を送り出した後は洗濯物を干し、読書をしたり、友人と遊びに出かけるのもいいか。そんな思考に浸っていたはずだった。

 始めに異常に気づいたのは少女の母親だった。


「鍵、かけ忘れたっけ?」


 車庫にバックで駐車しようとする父親に先んじて車から降りた母親が玄関の前でそう呟いた時、少女は何の気なしに鍵は閉めてたはずと応えた。

 遅れてやってきた父親に問えば、やはり鍵を閉めたのは家族全員が確認している事であった。

 だとすれば、なぜ鍵が開いているのだろうかと、母親が首をかしげる中、父親が扉に手をかける。


「ただのかけ忘れか、母さんが今開けたのをド忘れしてるかだよ。念のため僕から入るから。あとから入っておいで」


 少女が朗らかに笑う父の顔を見たのは、これが最後だった。


「そうねぇ。私もそろそろ歳かも。最近、すぐ前のちょっとしたことが頭から抜けちゃったりするし」


 やだわぁ、と。苦笑しながら後に続く母の顔を見たのも、それが最後であった。

 少女の父親が玄関の電気をつけたらしく、ぱっと玄関口が明るくなる。それだけで帰ってきたという気になり、安心感が少女の内に広がってゆく。


「ただいまー」

「はいはい、おかえりなさい」

「ふふっ」


 全員がそろって外出して帰宅したというのに、お互いにただいまとお帰りを言い合う姿に、少女は小さく笑う。

 先に入った父親が靴を脱いでリビングへと向かう姿を視界の端に捉えながら、ついで母親が、そして最後に少女が扉の鍵を、今度こそしっかりと閉めた事を確認してから靴を脱ごうとした、その時だった。


 ――バツン。


 突然視界が真っ暗になり、少女はびくりと肩を揺らした。

 停電か、そう思ったのは少女だけではなかったらしく、リビングに上がった母親の驚く声や、父親が落ち着くように宥める声が耳を打った。


「お父さん、停電?」

「そうみたいだ。ちょっとブレーカーを見てくるから、目が慣れるまであまり動かないようにね」

「はぁい」


 問いかければ帰ってくる声に安堵しつつ、少女は心配性な父親の言い分に苦笑しながら靴を脱ぐ。

 この程度ならばいくら明かりがなかろうと慣れ親しんだ玄関先でそうそう大きな失敗はしない。するとしても、いつもならきれいに並べている靴を、多少乱雑に置くことになる程度だ。

 どうせ明日には同じ靴を履いて出るのだから、一晩くらい少し雑でも問題ないと思考に区切りを付けて、少女もフローリングに足を乗せて、壁に手をついてリビングへと続く廊下を一歩ずつゆっくりと歩く。

 ちょうど、少女が習慣から扉らしき感触に手が当たった事でリビングに到着したことを理解した時だ。


 ――ガタンッ。……。


 何か、大きなものが倒れるような音が響いた。

 自分が何かを倒したわけではない。だとすれば両親のいずれかが何かを落としてしまったか、はたまた何かに躓いて転んでしまったか。

 いずれにせよ安否は確認すべきだろうと少女は声を張る。


「お父さん? お母さん? どうしたの? すごい音したけど」


 あいたままの扉に手をついてかけた少女の声に返る音はない。

 シンと静まり返ったリビングは、いまだ目が慣れない少女にとっては妙に薄気味悪いものに思えてしまい、思わず何度も瞬きをしてはやく暗闇に目が慣れるようにと目を凝らす。


「……?」


 意識を研ぎ澄ました所為だろうか、少女の鼻が、すんと嗅いだ瞬間に異臭を感じ取る。

 日常では縁遠い、なんだろうと首をかしげる程度にはすぐには思い当たらない臭いに少女は眉を顰めた。

 何せ花のような落ち着く香りならばまだしも、今少女に微かに届いた臭いは、どう解釈しても少女の好みとは言い難い臭いであったからだ。

 最初こそ、ゴミ箱でもひっくり返してしまったのだろうかとも思った。だが、それではこの臭いが説明がつかないことと、両親からの返事がないことの説明がつかない。

 じわりと首筋に汗がにじみ、空気が澱んだ様な錯覚に口の中が乾く。


「もう、やだなぁお父さんもお母さんも。こんな時まで変なサプライズはいらないってば」


 つとめて冗談めかした声で少女は小さく笑い、自身の嫌な予感めいたものを払拭するべくリビングへと足を踏み入れる。

 廊下に程近い壁にある照明のスイッチをパチパチと繰り返し上下させ、電源が戻らないかという淡い期待を込めるが、空しくスイッチが立てる音だけが返ってくる。

 数度繰り返せば無駄であることは理解できる。その為、少女は意を決して、何かを踏んでしまわないようにと気をつけつつ、いまだ目が慣れない暗闇へと歩みだした。

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