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幕間3-1 永冶世忠利の事件簿2

 永冶世忠利は治り掛け、実生活では大きな支障が薄らいできた右腕で捜査資料を支え、慣れてきた左手によってページを捲っていた。

 それは数ヶ月ほど前、春の終わりごろに遭遇したひとりの少年に関する資料だ。


「(東都第15区にて出生。区内の小中学校に進学、卒業。その後第5区の公立高校へ入学。同年6月、帰宅途中に獣化系能力者によって殺害される。享年15歳……)」


 現在眼前に開かれているのは出雲少年の捜査資料であり、それは、一人の少年の人生の略歴でもあった。

 道敷出雲という、どこにでもいる、極々普通の少年の生まれてから死ぬまでの軌跡。

 紙面に躍る無機質な文字を追う永冶世の目が、死亡の二文字で止まる。

 簡素な文字。ただ、記録としての側面しか持たないその文字が、永冶世にとっては別の意味を伴って頭に入ってくるようであった。


「(……高校に入学したその同じ歳の6月に……死亡?)」


 たしかに、出雲という少年の体躯は中学生や高校生にふさわしい、男子にしてはやや小柄な印象を受けるものであった。

 だが、それではおかしい事に永冶世は気づいた。

 資料を幾度読み返しても、出雲が死亡したのは今から5年も前の出来事になっており、今になって蘇ったとするには聊か異常であった。


「(それに……何故、今になって彼の逮捕状が出た?)」


 しかも下りた令状の内容は生死問わず。射殺も許可する、それは、こと日本において、能力者にのみ適用される特例許可だ。

 だが、それはあくまで政府が認定するランクによる危険度の高い存在に限られる話――そこまで考え、永冶世は首を振る。

 否。確かに彼は危険だ。と。

 緊急性を要するとの通達で近場から召集しただけで、対能力者を想定した部隊ではなかったとはいえ、あの人数を相手に振舞う暴虐ぶりは、過去に能力者逮捕に貢献した永冶世をして危険だといわざるを得ない。

 だが、本当にそれだけだろうか。

 夏の初め頃に出会った常群幸成という青年の証言を聞いた今、一度抱いた疑念は到底拭い去る事ができずにいた。

 そもそも、そうでなければこうして本部の資料室、その最奥とも呼べる未解決事件として棚上げされた捜査資料などをひっくりかえしてはいない。

 永冶世は更に資料を深く読み込むために視線を落とす。

 だが、それ以上の詳しい情報をその資料から得られることはなかった。


「(なんだ? 後半のページが――)」


 ページを捲ろうとした手が止まる。

 正確には、捲るべきページが存在しなかったが故に、永冶世の手は止まっていた。

 白紙どころか、そこから先のページが存在しないという事実に、永冶世は再び先ほどの最後のページへと戻して末尾を確認する。

 するとやはりページの最後は次のページへと続くような文面になっており、その後がまったくないという事実が目に見えない不気味さとなって永冶世の背筋を伝う。

 手にした資料を閉じ、元にあった場所へと戻そうとしながら他に情報はないかと棚に視線をめぐらせていると、入り口のほうで誰かが入室する気配した。

 合成樹脂製の床材を革靴が踏みしめる独特の音は、まっすぐに永冶世のほうへと近づいてくるようであった。

 永冶世の喉が小さく鳴る。喉が渇いたような錯覚に、つい唾を飲み込んでしまった音だ。

 警戒する永冶世が足音のほうへと油断なく視線を向け、身構えていると、


「あれ? 永冶世さん? どしたんすか?」


 資料棚によって通路となっている曲がり角から能天気な声と共に青年が現れ、永冶世の険しい表情に対して驚いたような顔になる。


「……なんだ。猫館か」

「なんだとはなんすか、ひどいっすねー」


 永冶世とさほど歳は変わらず、柔和で頼りない印象の顔つきをした青年は苦笑しながら頭を掻く。

 そんな青年の様子にここ最近交流もなかったことで記憶の片隅へと押しやられていた相手の事を思い出し、永冶世はバツの悪い顔になる。


「いや、悪い。そういうつもりじゃないんだが」

「気にしてないっすよ。俺、要領悪いのは自覚してるんで」

「……悪いな」


 警察学校で同期だった目の前の青年、猫館善喜(ねこだてよしき)は、本人の言うとおり決して要領のいい人物ではなかった。

 仕事こそ丁寧なものの、気をつけていなければ細かいミスをしたり、仕事そのものにかかる時間が長かったりと、現場では使えるとは呼びにくい人材だったのだ。

 警察学校を出ているにもかかわらず資料室勤めなどという窓際に追いやられてしまった猫館に同情する声がないではないが、それよりも多かったのは同期の中でも一番の出世頭であった永冶世との比較であった。

 当然いい思いなどしていようはずもないことは、噂にさほど関心のない永冶世にすら届く範囲でも容易に想像ができた。そんな彼にフォローさせてしまっている自分に永冶世は自己嫌悪して再び謝罪を口にする。

 律儀すぎると言ってもいいその謝罪に猫館は困ったように口をすぼめ、


「にしても、永冶世さんこそどうしたんすか」

「すこし、気になったことがあったんでな」

「あー。やめといたほうがいいっすよ。そこ、未解決事件の中でもヤバい棚っすから」


 話題を変える気配りまでさせてしまった永冶世であったが、それよりも気になった猫館の言葉に問いを挟む。


「ヤバい棚? それはどういう意味なんだ」

「んー。俺、ここの整理担当じゃないっすか。それで、普段からやることもないんでちょくちょくいろんな資料読んだりして、何か助けになればいいなーって思ってたんすけどね」


 どうにもその棚はよくない、と。顔をしかめて猫館は首を振った。

 どうよくないのかと追求しようとした永冶世が体の向きを変えた拍子、つい先ほどまで読んでいた道敷出雲に関する資料が棚から落ちる。


「あーあー。永冶世さんはそのままでいいっすよ、怪我してるんでしょ。俺がやるっす」

「いや、すまない」


 あわてて駆け寄った猫館がばらりと広がった資料を取りまとめ始めれば、棚と棚の間の狭い空間に大の男がふたりもかがみこむのは邪魔になるだろうと永冶世は度重なる謝罪をしつつ一歩退いた。

 資料を丁寧に拾い集める猫館の動作はどこかトロいと感じる永冶世であったが、しかし、右手をまだ満足に使えるとはいいがたい自分がやっても似たようなものだろうと考え直し、拾ってくれるだけで感謝すべきだと思ったところで猫館の手が止まっている事に気づく。


「どうした?」


 問いかけた永冶世の声でようやく手が止まっている事に気づいたらしい猫館が顔を俯かせたまま問う。


「あ、いや。あの……永冶世さん、これ調べてたんすか?」

「? ああ」


 永冶世は何か知っているのかというニュアンスをこめた肯定を返したものの、資料を手早く、しかし雑にまとめて立ち上がった猫館の顔を見て次にかけようと思っていた言葉の出口を見失う。


「やめといたほうがいいっすよ」


 いつになく真剣な表情の猫館の強張った声が、静かな資料室に響いた。

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