5-45 みこころ園5
朝軒廻。【未来予知】の能力を持つ少年。
その彼の言う知っているという言葉は、事前に話を聞いていた――ということを意味するのでは、勿論ない。
「――廻君、それは……」
黄泉路が声を詰まらせたのは、その能力を知るが故だ。
未来を見通す。奇跡の様なその能力には、使用すれば自らの死を招きよせるという代償が備わっていた。
そんな能力を憂い、迫りくる死から逃れようと引きこもっていた廻を救おうと奔走し、結果として彼の祖父母を失わせてしまうという事件の当事者であった黄泉路は、その能力を既に使用していたという事実に背筋を凍らせる。
あわてて詰め寄り目線を合わせるようにしゃがみ込んだ黄泉路の顔色の変化に、さすがに廻も笑ったままではいられずに表情を戻し、まじめな顔で告げる。
「大丈夫。大丈夫ですよ、黄泉路さん。僕はもう、未来を見ても死に追われることはありませんから」
ゆるやかな口調と落ち着いた表情が、それが嘘ではないと雄弁に語るようで、黄泉路の心に徐々にだが冷静さが戻ってくる。
「積もる話もあるだろう。私はしばらく席を外すとするよ。私の客というよりは、朝軒くんへの来客だからね。お茶はここに運ばせるように言っておくから。ゆっくり、お話しするといい」
「はい、園長先生。ありがとうございます」
黄泉路と廻の間でのやりとりで、自分が監督する必要はないと判断した園長はゆっくりと席を立って部屋を出て行く。
残されたのは黄泉路と廻、そして、この状況であっても口にお菓子を頬張って心なしか表情が緩んでいる姫更だけであった。
廻がさきほどまで園長が座っていた席へと腰を下ろし、黄泉路も倣って姫更の隣へと腰掛ける。
互いに落ち着いたのを見計らって、廻が先ほどから一言も発さない姫更へと視線を向けた。
「……こんにちは。あの日はお世話になりました」
「こちら、こそ?」
「ふたりには、本当に感謝してます」
「僕は、感謝されるようなことは何も出来ていない」
廻の言葉に、黄泉路は反射的に応えていた。
その心中にあったのは悔恨。もしあの時にもっとあらゆる状況を想定できていれば、廻の祖父母、朝軒巌夫・妙恵夫妻の死はなかったかもしれない。
今こうして孤児院という場所に廻が身を寄せる事も、なかったかもしれない。
口を開きかけた黄泉路を制するように、廻が首を振った。
「黄泉路さん。それは違います」
廻の口から出た否定は何を意味するものなのか。一瞬思考に詰まり、黄泉路が固まっていると、廻は小さく息を吸って、改めて胸を張るように堂々と黄泉路を見上げた。
「後悔がないかと言えば、確かに嘘です。僕だって、あの時って考えることは今でもあります」
「……廻くんは、僕を恨んでないの?」
卑怯な問いだ。そう、黄泉路は自身で質問を口にしてから内心で自身に対して唾を吐く。
「……考えの上では恨む理由が無いし、気持ちの問題でも、もう、恨めません」
「それは、どうして?」
「黄泉路さん。恨んで欲しいって、思わないでください。僕は確かにあの事件で家族を全員失いました。けど、おじいちゃんとおばあちゃんが、黄泉路さんに頼って救いたかった僕は、ここにいます」
だから、祖父母の依頼が果たされているのに、その当事者が恨むなんてできないですよ。と。
割り切ったというよりは、乗り越えた表情を浮かべる幼い少年に黄泉路はハッと眼を瞠る。
「これじゃ、どっちが子供かわからないね」
こんなに小さな子が自分に残されたものを糧に立ち上がってる。にも拘らず黄泉路は自身がいつまでも負い目に縋って足元を見つめたままだった事に気付かされ、思わずつぶやいていた。
「ごめん。……やっぱり僕、廻君に会いに来るべきじゃなかったね。廻君はこんなにもしっかりと前を向いているのに、僕は今の今まで後ろしか見ていなかった」
「そんな事ないです。だって、最近ここに来た皆は、皆黄泉路さんに助けてもらったって言ってました。僕以外にも救われた人がいる。それは、誇っても良いと思います。助けてくれた人がいつまでも落ち込んでいたら、助けてもらった側も喜べなくなっちゃいますから」
またしても、一回り近くも年の差が出ているだろう少年に諭されてしまった黄泉路は、もはやこれ以上何もいえないと苦笑した。
その笑みは、ずっと胸の奥に刺さっていた苦い思いが溶け出したような、笑顔とも、泣き顔ともつかない表情であった。
涙腺がゆるくなっていることを自覚した黄泉路は顔を俯けて服の袖で目元を隠す。
はらはらと零れて来る涙が流れれば流れるほど内側が透き通ってゆくような感覚に声を殺していると、不意に黄泉路の頭に小さな手が乗っかった。
「よみにい。いたい、の?」
「……違うよ」
「なんで、ないて、るの?」
「わからない」
「そっか。じゃあ、なきやむまで、なでてあげる、ね?」
「……」
頭に乗った小さな手は、心に溜まった涙が吐き出し終わるまでの間、ゆるく黄泉路の心を落ち着かせていった。