5-43 みこころ園3
「まぁまぁー。とりあえず座ったら良いさーぁ。ここで会ったのも何かの縁という奴だしねーぇ?」
黄泉路と姫更を見るなり縁なしの眼鏡の奥で怜悧そうな黒い瞳が一瞬だけ細められるも、すぐににこやかな表情へと変わってふたりに対して入室を促す。
どうしたものかと思いながらも、先にずんずんと入っていってしまう姫更を追って入室した黄泉路が扉を閉めて室内へと視線を向ければ、女性は手にしたままのカップとソーサーをテーブルへと戻していた。
見るに40代後半ほど、紺色のカジュアルなスーツの上に白衣を思わせる白いコートといった服装に身を包んだ女性の右肩から前方へと流されたゆるいカールが巻かれた茶髪がゆれる。
「あの――」
「いやーぁ、見ない顔? 見覚えのある顔? うーん……どちらにせよぉ、珍しい客人だねーぇ」
妙に間延びした声音が黄泉路の困惑を誘う。身奇麗な容貌とのギャップに戸惑いつつも、現状取れる行動はそれしかない上に、立ちっぱなしというのもなんとも格好がつかないという自覚もあったため、先に座ってしまっていた姫更の隣――女性の正面のソファへと腰掛ける。
ソファの配置自体はよくあるもので、ソファのサイズに合わせられた横長のテーブルに対してコの字を描くように、一人掛けのソファと横長のソファが並んでいる構図であった。
女性がすでに応接室の入り口を背にした横長のソファに腰掛けている以上、姫更を連れた黄泉路に一人掛けに座るという選択肢はなく、結局のところは話の流れがどうあれこの構図にはなっただろうと内心で諦めをつける。
「えっと……貴女は?」
口下手な姫更はもとより、黄泉路とて自身が飛びぬけて社交的な性格をしているという自覚はない。
特に初対面の、自身の親と年齢がそう変わらないかもしれない様な女性に対して気の利いた言葉をかけるような度量は持ち合わせていない。
ゆえに、女性が黄泉路たちに対して話題を振ってくれたらしいことを踏まえ、当たり障りないだろう言葉を返す。
女性はじぃっと姫更の顔を、ついで黄泉路の顔を観察するように眺めた後に、古くからの知己にあったような表情を浮かべて口を開く。
「ふふん。畏まる事はないさーぁ。私はしがない心理療法士というやつだよーぉ。ここには仕事上よくお邪魔させてもらってるのさーぁ」
間延びしつつも聞き取りやすい、妙に落ち着く音として耳に届く女性の声に、黄泉路は孤児院という役割とともにこの施設がもつ側面に思い至ってなるほどと納得する。
ここに集まっている孤児達は、一般的には超能力がらみの事件によって心に傷を負ったり、家族や居場所を失った者が多い。それらの心理的負担の軽減の為に呼ばれているのだと考えれば至極真っ当な内容であったからだ。
「私の自己紹介も終わったことだしーぃ。次は君たちの話を、聞かせてもらえないかなーぁ? ここで待つのも、何かと暇だろーぅ? おばさんの与太話に付き合ってくれると嬉しいと思うわけなのだよーぉ」
にこやかに話を振ってくる女性に、黄泉路は困惑しつつ、ちらりと姫更を見れば我関せずを貫く姿勢だろう。道中で買ったジュースに口をつけていた。
どの道返答できるのは黄泉路だけである。確かに暇つぶしにはちょうど良いかと、女性に向き直って黄泉路も自らの目的を告げる。
無論、話せるのはこの孤児院に預けられている知り合いをたずねてきた事と、その知り合いと色々あったので直接の面会の前に園長から許可をもらわねばならないことだけだ。
さほど長くない事情の説明も終われば、それまで静かにカップに口をつけて話を聴いていた女性は幾度かうなずく。
「なるほどねーぇ。参考までに。誰とお知り合いなのか、教えてくれたりはするのかなーぁ?」
「……朝軒、廻君です」
逡巡した後、黄泉路は廻の名を告げる。目の前の女性がカウンセラーとしてこの園に何度も来ているのならば、園長の判断に目の前の女性の意見が反映されることもあるだろう。
ゆえに隠し立てはせず、真正面から女性に答えることにした。
果たしてそれが正しい選択だったのかどうか、くすりと笑った女性がちらりと自身の腕時計へと目を向けてカップに残った紅茶に口をつけ、空になったカップをテーブルへと戻したところで、部屋の外から戸をたたく音が響く。
「おーっと、悪いねーぇ少年。どうやら時間のようだ」
扉へと視線を向ける女性に釣られ、黄泉路と姫更もまた、応接室の入り口へと目を向ける。
中を覗っていた訳ではないだろうが、ちょうど良く視線が集まった所で入ってきたのは、ふくよかな体型と柔和な表情が愛嬌を誘う、どうみても60は迎えているだろう白髪の男性であった。
「――いやぁ、お待たせしてしまって申し訳ない。と、そちらが谷内さんが言っていた恩人かな?」
平謝りをしながら入ってくる男性に対し、女性はゆるく手を振りながら立ち上がる。
「いやいやーぁ。私としても彼らのお陰で楽しい時間が過ごせていた所さーぁ。――それじゃーぁ、私は仕事も頂いたお茶も終わった事だしーぃ、退散させて頂くとするよーぅ」
「はい、はい。本日もありがとうございました。外までお送りは?」
「いやいや。君は客人を待たせているだろーぅ。そちらを優先してあげなさいなーぁ」
園長らしい老人に対して苦笑しつつも対等、それよりは目上のような物言いで出て行こうとする女性が不意に振り返り、黄泉路へと声をかける。
「そうそう。君が会いたがっている朝軒君だがねーぇ。私は、会っても問題ないと思うよーぉ」
それじゃあ、またどこかで。
そう言い残して廊下へと消えていった女性を言葉もなく見送った黄泉路は、園長が身動ぎした音でハッと我にかえって立ち上がる。
「あ、あの。すみません、突然訪問してしまって。入り口に案内がなかったもので谷内ちゃんに案内してもらっていたんです」
「いえいえ。事情は谷内さんから伺っております」
紹介状を渡せば、老人は封を開いてさらりと目を通して息を吐く。
「おかけください。お茶もお持ちさせますので、その後で改めてお話をお伺いしましょう」
園長に促され、黄泉路は再びソファに深く身を沈めた。