1-9 メルトプリズン3
カガリと別れた廊下から進むこと数分。
美花の後を追う様に廊下を右へ左へと何度も進路を変え、時には来た道を引き返しながらも数階ほど降っていた。
地上へと近づいていく実感とともに、激しさを増していく銃声の大合唱と大勢の人間が駆け回る騒々しい地響きが大きくなっていくのを感じ、出雲が少なからず不安を抱き始めてきた頃。
不意に、小走りに歩いていた美花が角の手前で立ち止まり、出雲に静止を示す様に掌を向ける。
「……またですか?」
「こっち」
くるりと踵を返し、何の躊躇もなく来た道を戻り始める美花の後を追って出雲も来た道を引き返す。
先ほどから幾度となく繰り返してきたやり取りであった。
どうやら美花は察知に優れている様子で、離れた位置からやってくる足音などを聞き分けて遭遇しないように臨機応変にルートを変えて進んでいる様子だった。
そのお陰か、カガリと分かれてから今までで出雲たちは一度として職員の部隊と遭遇したことがない。
出雲はその事実に感心するように前を歩く猫のお面の女性の後姿を見ながら歩いていた。
しかし、と、出雲は思う。
「(空気が重いよ……っ)」
カガリが居た時は出雲が何も口にせずともカガリが陽気に話すお陰で、脱出劇という逼迫した状況にあってもどこか心の余裕を持つことが出来ていた気がしたが、こうして美花と二人きりになると、安全性という意味では変わりないはずなのだが、どうしても空気が重いと感じざるを得ないのだった。
「……」
「んっ、ぶっ!! す、すみませ――」
「しずかに」
考え事をするようにして追いかけていた出雲が、突然立ち止まった美花の首筋、その柔らかな猫っ毛に顔面をうずめて仕舞い、謝罪の言葉を口にしようとして、すばやく振り返った美花の手によって塞がれる。
もう片方の手を自身のお面の口元で人差し指を立てるようにして黙るようにジェスチャーする美花に、出雲は静かに何度かうなずき返すことで漸く口を解放してもらう。
手が離れる際に漂った柔らかな香りに、出雲はドキッとしてしまう。
出雲は施設に監禁されるまではどこにでもいる健全な高校生であった。付け加えて言うならば、女性との関わりの薄い、男子高校生であった。
危機的状況でこうして心臓が跳ねてしまうというのも情けないものだが、それはそれ、生きている証なのだと自分自身に言い聞かせるように心を落ち着かせる為、出雲は静かな声音で尋ねる。
「どうかしたんですか?」
「囲まれてる」
また進路を変えようという話かと思っていた出雲は、端的に答えられる内容に今度は違う意味で心臓が跳ねた。
「ど、どうす――」
「うるさい」
「すみません……でも、どうするつもりなんです?」
囲まれていると言うからには、おそらく先ほど進路を変えてまで遭遇を回避した部隊が後ろから迫っているのだろう。
そして前方の十字に枝分かれした通路にも、それぞれ少なからず部隊が展開しているはずである。
逃げ場がない。そう考えた途端、出雲の背中に嫌な汗が流れる。
「大丈夫」
「な、何が大丈夫なんです?」
「出雲は先に行く。ここは私が食い止める」
「で、でも」
「案内を引き継ぐ。あとはオペレーターの指示通りに動く様に」
「え、えと、おぺれーたー?」
「話は終わり。私は全部の部隊を引き連れて右へ行く。私が出て行ってから30秒後にまっすぐ走る。いい?」
有無を言わさない淡々とした口調に、出雲はうなずくことしか出来なかった。
どの道、出雲には他に提案できる作戦と呼べるようなものもなく、自身が安全に脱出するにはそれが最善だと心の奥底で本能が囁いていた。
そっと十字路を覗き込んだ出雲は息を呑む。
カガリが足止めを請け負ってくれた人数の倍以上の、殺気を隠しもしない集団の雰囲気が十字路の中心へと注がれていた。
出雲自身、何故そんな事を判ってしまうのか理解できなかったが、しかし、理由を考えようと思えばいくらでも思いつくことが出来る。
数年に及ぶ実験の中で、殺意という物を孕んだ空気を感受する感性が鋭く研ぎ澄まされてしまったのだろう。
「準備はいい?」
「は、はい」
「3、2、1……」
――ドンッ。
出雲の目の前の空気が爆発したように乱れる。
瞬きした瞬間には、出雲の目の前にいたはずの美花が十字路の方へと飛び出していた。
驚き、思わず眼を瞠ったのは出雲だけではない。
万全の状態で待ち構えていただろう武装職員の部隊に奔る動揺を利用するかのように、美花は壁を蹴って立体的に駆ける。
「あの駆動、猫の面――【化け猫】のミケか!!!」
「その名で私を呼ぶな」
「くっ、素早い……ッ!!」
統制を失った部隊が乱射する銃弾の嵐を踊る様に身を捻り回避する美花の姿が通路の右へと消えると、後を追うように銃声がそちらへと遠のいてゆく。
それと同時に左側と正面に展開していた部隊が追い縋る大勢の足音が響く中、出雲は心の中で30秒を数える。
「……30、っと」
ぽつりと最後だけ言葉にして吐き出して、そろりと通路のほうを覗き込む。
先ほどまで犇いていた気配が消失し、白い回廊に残された弾痕だけが、奇妙な静けさを演出していた。
「……」
美花が切り開いてくれた時間を無駄にしないと決意を胸に、出雲は十字路へと足を踏み入れ、駆け足で正面へと駆け抜けた。