5-41 みこころ園
果から紹介状を受け取った日からさらに数日。
黄泉路は外行き用の大人しい雰囲気の私服に身を包み、紹介状がしっかりとポケットに入っている事を確認して旅館の裏手から外へと出る。
「ごめん、待たせたかな」
「ん。いまきた、ところ」
可愛らしいウサギのアップリケのついたポーチを肩から袈裟に提げた姫更が小さく首を振る。
片腕にしっかりと抱き込まれた、トレードマークでもある大きめのテディベアが揺れた。
「それじゃあ、今日はお願いね」
「まかせ、て」
本来ならば私用としか言いようの無い本日の外出。
何故貴重な移動系能力の持ち主である姫更が一緒に行くかといえば、それは前日に遡る。
黄泉路が翌日の移動についてのプランを練っていた――小金はあり、実質的には成人しているが、自動車の免許を取る機会もない。となれば当然公共機関を経由するしか方法が無い――ところへ、丁度遊びに来た姫更がそれならばと立候補したのだ。
当然黄泉路は私用に付き合わせるわけにはいかないと断ろうとしたものの、姫更と遊ぶ約束をしていたらしい標によってあれよあれよという間に本日の送迎と同道の約束が成立してしまったのだった。
当人曰く。
『わたし、は。いつもは、ぱぱのおてつだい。だから。ひまなとき、おおい』
だそうで、黄泉路がはじめての依頼として受けた際の様な送迎等は普段はやっていないらしい。
加えて、基本的には黄泉路が夜鷹所属になった頃から姫更は夜鷹の預かりという位置付けになっているらしく、三肢鴉は支部の人員の事情を優先する為、そちらの意味でも問題がない。
それを聞いてしまえば黄泉路としても無理に断る気にもなれず、姫更も廻と面識があり、歳も近かったはずだから良いかというところで黄泉路も折れ、本日のデートが成立したというわけだ。
無論、デート云々を言い出したのは標であり、黄泉路はその事についてしっかりと否定を述べようとしたのは言うまでもない。
だが、姫更の無表情な内に見えてくる楽しげな様子を真っ向から否定するだけの勇気は黄泉路にはなかったのだった。
なんだかなぁと思いつつ、前日までのやり取りを思い出して苦笑する黄泉路の手を取った姫更が転移を行えば、ぐにゃりと視界が歪んだ。
視界が安定しだすと、黄泉路たちの目の前は仮眠室を思わせるような室内であった。
藍色とグレーのパネルカーペットの上に機能性だけを求めた簡素で画一的なベッドが数台。
ただ寝るだけという機能を持たせたといわんばかりの空間の中にあって、黄泉路たちが降り立ったすぐ近くのベッド脇に設置されたテディベアだけが妙に浮いていた。
きょろきょろと周囲を見渡す黄泉路の手を姫更が引き、それに連れられるような形で部屋を出れば、幾人かのサラリーマン、OLといった一般会社員にしか見えない人々が事務仕事を行っていた。
ずんずんと従業員たちの間をぶった切るように先導する姫更の後を、黄泉路は困惑した表情のまま引かれて歩く。
「あの、姫ちゃん?」
「なに?」
「ここ、大丈夫なの?」
「だいじょう、ぶ」
問いかける黄泉路に対し、勝手知ったるという雰囲気を年相応のあどけない表情に宿した姫更の顔が向けられる。
何が大丈夫なんだろうか。そんな疑問が喉に差し掛かったところで、机仕事をしていたらしい女性から声がかかる。
「ふふふ。そんなに戸惑わなくても大丈夫よ。ここはしっかり三肢鴉の支部だから」
「え、っと」
「貴方の事は聞いてるわ。でも今日の目的はここじゃないんでしょ? 神室城さんをお願いね」
年齢としては30代そこそこ、長めの黒髪を後ろにひっつめた、実にオフィスという空間になじんでいる女性からの突然の声掛けに驚いたものの、しっかりとここが三肢鴉の支部だと告げられれば、なるほどそういう隠れ蓑もあるのだなと納得する黄泉路であった。
会話もそこそこに黄泉路の手を引いて前を歩く姫更に合わせてオフィスを出て階段を下る。
小さな玄関口付近では守衛らしき人がふたりを一瞥するものの、黄泉路を――というよりは、姫更を見てすっと手にした新聞へと視線を戻す所を見るに、建物全体が三肢鴉の所有物なのだろう。
外へと出れば、真夏日に比べれば柔らかな日差しがビルの合間から覗いていた。
周囲には黄泉路たちが出てきたオフィスビルと似たような構造の建物がひしめき合っており、東都育ちの黄泉路にとっては慣れ親しんだ光景が広がっていた。
「ここから。あるく」
「うん。ありがとう姫ちゃん」
転移というのは便利なもので、長距離を移動したことは間違いないはずだが、日の高さや街頭の時計は未だに午前を示している事もあり、ふたりは観光でもするようにゆったりとした歩みで目的地を目指す。
道路標識にそって地図看板を探し、地図の現在位置と目的地を記した自前のメモと見比べながら姫更の手を引いて歩く黄泉路の姿は仲のいい兄妹にしか見えない。
オフィス街を抜けて住宅街、それもやや外れて土地が安くなったために一軒一軒が広めの間隔を取るようになりつつある光景を眺めつつ目的地へと暫く歩いた頃。
もうじき施設が見えてきてもいいはずの頃だとあたりを眺めながら歩いていた黄泉路の耳に、子供たちの声が聞こえる。
「あ。もうそろそろかな」
「そうみた、い?」
途中で黄泉路が買い与えた120mlのペットボトルジュースをポーチへと仕舞い、姫更が再び黄泉路の手を握る。
「どうしたの?」
「なんでもな、い」
「そう?」
きゅっと、小さく柔らかな手に握られたのをそっと握り返し、声の方へと歩いてゆく。
ほかよりもやや広めの土地に、しっかりとしたコンクリート塀によって囲まれた建物の門前までたどり着いた。
「みこころ園……ここだね」
脇に取り付けられたプレートを確認し、黄泉路は鉄製の門を鳴らして中へと入っていった。