5-39 ケジメと代償
黄泉路が孤児院の地下施設に潜入してから1ヶ月。
季節は夏から秋へと移り変わろうとし、枝葉の緑が徐々に色を変え始めた頃。
慌しく動き回る三肢鴉とは裏腹に、黄泉路の身の回りは台風の目が如く静穏な日々が続いていた。
というのも、黄泉路たちの支部は所謂荒事専門の部署である。
その後の社会的、福祉的な内容に関与するには組織としてもリスクが高すぎる面々しかいないため、黄泉路達はこうして山奥の旅館の地下にひっそりと息を潜めているのであった。
とはいえ黄泉路もただただ安穏と過ごしていたわけではない。
もとはといえば自分の所為で美花が負傷したという負い目も強く、命の危険と背中合わせという職業柄、万全の状態でなければ復帰はさせたくないという支部の方針によって暫くの療養を言い渡された美花の介護に勤しんでいた。
「美花さん、起きてます?」
「開いてる」
「失礼します」
中から返ってくる声を受けて扉を開ける黄泉路の様子に躊躇いはない。
初日こそ女性の部屋に立ち入るという行動に歳相応の躊躇いを覚え、その事に後ろめたさを感じていたものの、そんなものは部屋に入った時点で消し飛んでしまっており、今では何の気負いもなく室内に足を踏み入れる。
「美花さん……動けるからってそれは流石に……」
「やることなくて暇」
「暇だからって筋トレしないでください」
「普段から鍛えてないと鈍る」
「……はぁ」
ダンベル片手に良い汗を流したという顔の美花に対し、呆れた様子を取り繕う事もせずにため息を吐いた。
初日こそ甲斐甲斐しく世話を焼いたのも今は懐かしいと思いつつ、女性の部屋というよりはトレーニングジムの様相を呈している室内を一瞥し、介護ってなんだっけという言葉を飲み込んで食事を簡素な机の上に並べてゆく。
「僕が言うのも、本当に筋違いなんですけど。……怪我してる時くらいは安静にしていてください」
「……もう治ってる」
「さすがにそんな嘘は」
「ほら」
「――!?」
身体を動かすことを前提として作られたようなタンクトップシャツを突然捲り上げる美花に、さすがの黄泉路も動転して言葉を失う。
美花の健康的で滑らかな肌に目が吸い寄せられて目が離せなくなる。
ただし、それは男子の好奇心としてのそれではなく、痛々しい銃創があったはずの腹部の傷がなくなっていることへの驚きからであった。
「え、美花さん、傷は?」
「だから、治った」
「治ったって、普通あれだけの傷が1ヶ月そこらで治るはずが」
「獣化能力は、体組織の変容が主な効果。自然治癒力も含まれてる」
そういう物なのだろうかと思うものの、いまいち納得しきれない黄泉路が首をひねっていると、美花がタンクトップを下げながら付け加える。
「あと、薬研の能力」
「……薬研さん?」
「薬研はあれでも、しっかりした医者だから。他人に適用できる再生能力を持ってる」
他人に使用できる再生能力と聞いて、今度こそ納得した黄泉路は、ふと、既に美花が回復しているのならば介護は必要なのだろうかという意識が芽生える。
言い渡されたわけではなく自発的に行っていたことだけに止め時をどうするかなど全く考えていなかった黄泉路は、運んできた軽食を物足りなそうに食べ始めた美花に視線を向ける。
「……どうしたの。黄泉路」
美花の問いかけに、黄泉路はそんなにわかり易かっただろうかと内心軽く落ち込むものの、美花の側から話を振ってくれたのを幸いに口を開く。
「あ、えっと。美花さん、怪我、治ったんですよね?」
「さっき見せた」
相変わらずの眠そうな目に見据えられ、淡々とした語り口で切り返される。
会話のテンポ自体にはもはや慣れたものの、いまいち感情を図りづらい美花の声音に、どちらにしても自身から切り出さねばならないことなのだと黄泉路は意を決した。
「……自分から介護を申し出ておいて身勝手だっていうのはわかるんです。けど、僕、どうしても会いに行きたい人がいて……その、外してもいいですか?」
「行って来たら良い。私の怪我は自業自得。黄泉路が気にするなら、それは黄泉路の問題」
「……ありがとうございます」
「行ってらっしゃい」
「はい」
結局、美花に背を押される形で部屋を後にした黄泉路は、その足で支部の上に建った旅館の方へと向かった。
隠し通路から館内へと入り、そのままそろそろ時期として客の増え始めた廊下を何食わぬ顔で歩き、目的地を目指す。
地下を反政府といっても過言ではない集団が根城にしている、隠れ蓑としての旅館だとはいえ、これからの季節は紅葉を目当てに一般客もそこそこに訪れる。
まさか黄泉路の知人がくるなどということは低すぎる確率であるとはいえ、多少は警戒すべきかなぁなどと、すれ違った家族連れを横目に流し見ながら歩くうち、黄泉路は従業員区画のとある一室の前に辿り付く。
「空いていますよ」
ノックの後に声をかけて伺いを立てようと思っていた所を、先を越された形で室内から声が掛かる。
そういえばそういう能力なんだったと、南条果――皆見の能力を思い出して黄泉路は失礼しますと一声かけてから扉を開ける。
美花の部屋に続き、女性の私室ではあるのだが、果の部屋もまた、少年心として抱く好奇心よりは、支部長という立場、上司に面会するというような意味合いからか、緊張感の方が先に立つ。
室内に足を踏み入れれば果は丁度休憩中であったようで、湯のみでお茶を啜っている所であった。
板間から畳敷きへと上がるためにスリッパを脱ぎ揃えて上がりこんだ黄泉路に対して新たに湯のみを用意しつつ果が尋ねる。
「それで、御用はなんでしょう? 狩野さんの経過の事かしら」
「あ、いえ。なんかもう完治したらしくて」
「あら……本当。相変わらずすごいですね。薬研さん」
「ですね」
「それで、それとは違う別件と言いますと?」
黄泉路はすっと居住まいを正し、正面から向き合う形で果の目をじっと見つめる。
温和な雰囲気であるはずなのだが、果の目を見ていると心の底まで見透かされているような気がするのを飲み堪え、黄泉路は意を決して要件を告げた。
「朝軒廻君についての話です」